曾爺ちゃん「蟹を獲って帰って一安心じゃない。今度はその報告だ」
その後僕らは、装備を回収してきた中島曹長と合流し、戦利品を担いで帰還した。
帰還後は僕の隊には巨大蟹を残し、そして残りの蟹を他の隊への土産として、僕は報告の為に本隊の拠点へと向かう事となる。
幾つもの雑嚢に詰まった大振りの活蟹は、他の部隊にたいそう喜ばれた。
それだけあっても全員が満腹というわけにはいかないだろうが、久しぶりの御馳走という事にはなっただろう。
僕は僅かな満足感を得て、原田少佐の元へ向かう。
その途中、僕は空襲警報のサイレンを聞いた。
唸るように響くそれ。しかし、堅牢なこの地下にいる限り、砲爆撃でどうなるものではないという事は既に実証されている。
そう、実証されてしまうほど十分に、ここは空爆に晒されていた。
「また、定期便か」
「はい、またであります」
僕の漏らした呟きを聞いたか、近く脇道から姿を現した他隊の軍曹が姿勢を正して答えた。おそらく、そこで休んでいたのだろう。
僕の隊とは違う中隊に所属する軍曹。彼は、元来た脇道をチラと見て続ける。
「基地設営作業班は現在、偵察機を確認し、作業中断の上で退避中。そろそろ爆撃機も来る頃だと思っておりましたが、やはりです。連中、作業が進むと見るや、爆撃機をよこしますな」
気づいてみれば、彼の来た脇道には休む兵達の姿が、陰に隠れて僅かに覗けた。
気づかないふりをする。
休んでいる兵を立たせ、上官の前でたるんでいると説教を一つ。上官の姿を見るやわざわざ姿を出してきた軍曹は、そんな煩わしい儀式を避ける為にそうしたのだろう。その配慮を無碍にするつもりはない。
と、その時、腹に響く地響きと、遠くあれど地下道を揺るがす轟音が来た。
安全とわかっていても、思わず天を見上げる。
今、この上空に、米軍の爆撃機がいるのだ。
「また穴埋めでありますなぁ」
軍曹が、怒りも悲しみも見せず、徒労感のみを溜息に交えつつ言い捨てた。
基地の設営はまだ道半ば。と言うか、滑走路の建設で足踏みを続けている。
米軍はこちらの事を知っていて放置しているわけだが、さすがに完全無視とはいかず、おそらくはマリアナから偵察機を飛ばしてくる。
そして、上陸予定のない島の地下基地はともかく、滑走路を造られては面倒という事だろう。時々爆撃機が悠々と飛んできて滑走路を爆弾で耕していく。
造っては爆弾を落とされ。その度に穴を埋め。不発弾があれば処理し。地均しをやり直して。そしてまた爆撃機が飛んでくる。
それをあまりに繰り返すので「定期便」だ。
無駄な作業と思うだろうか? しかし、それでも作業を進めなければならない。
いつか、味方がその滑走路を必要とする時が来るかもしれないのだ。戦況を考えれば、それは万が一にも無いかもしれない。しかし、絶対に無いとも言い切れない。
爆撃の音はすぐに止んだ。小さい爆撃機一機分だから、意外にあっさりとしたものだ。しかし、滑走路を穴だらけにするには十分だろう。
「では、自分はこれで……」
「待て」
背を向け去りかける軍曹を呼び止める。
怪訝な表情を浮かべて振り返る軍曹に、僕はねぎらいの笑みを向けて言った。
「今日は、僕の隊からの土産の活蟹がある。飯を楽しみにしておけ」
「大尉のご活躍に助けられます」
軍曹は応えて笑む。追従ではない、本当に嬉し気な笑みだった。
それを見て僕は、恥ずかしながらわずかばかりの達成感を胸中に抱く。まだ何も達成してはいないというのにだ。
そのまま別れた後、僕は外に出て被害状況を確認した。
夕闇の中、滑走路を造っていた辺りは今も煙を上げており、小さく赤い火も数多見え、穿たれた穴は暗い影の淵となっている。そんな中を兵達が動き回っていた。
賽の河原の石積みを思い出させる。
積んでは崩され。積んでは崩され。
賽の河原ならば、最後には地蔵菩薩が救いに来てくれると言うが、ここではそれもかなうまい。ならば、これは何処まで続くのか。
いや、どこまで続かせる事が出来るのか……
破局を先伸ばすために、僕は働かなければならない。飯を食えれば、皆は戦える。
先の軍曹が浮かべた笑顔を思い返しつつ、そう思う。
しばし外を見た後、再び地下壕を移動。指揮所へと向かった。
いつもの指揮所で僕を出迎える、いつも通り蒸し上がった感じで気だるげな原田少佐の両隣には、他の中隊の指揮官である五十嵐大尉と小林大尉の姿がある。
話し合いの途中だったか、真剣かつやや暗い表情が、僕を見た事で緩む。
「ご苦労だったなぁ、森本大尉。蟹は有難く受領したぞ」
五十嵐大尉が太い笑みを浮かべる。そして、小林大尉が僅かに悔しそうに苦笑した。
「こっちの浜じゃ、あんなでかいのは獲れん。向こうの浜へ行ったのか? どうだ、魚は獲れそうだったか?」
問われて僕は盛大に溜息をつく。
「行きました。ですが、漁場にするには危険が過ぎます」
「米軍がいたのか!?」
五十嵐大尉が声を上げた。小林大尉の表情も強張る。なるほど、それは危惧されることだ。だが、違う。
「蟹に襲われました」
「はぁ? 蟹だと?」
小林大尉の強張った表情が崩れ、怪訝そうに問いを発した。
さもありなん。実物を知らねば、蟹など指を挟むのがせいぜいとしか思うまい。
「小屋くらいの大きさがありましたよ。うちの一匹に襲われまして。小銃は甲殻を貫通するも効果が薄く、手榴弾を使って何とか仕留めました」
正直な報告に五十嵐大尉と小林大尉は顔を見合わせる。そして、小林大尉はしみじみとうなずいた。
「南洋って奴は何でもありだな。日本とは桁が違うというか」
「大隊長の前で嘘を言う筈もない。それでも言わせてもらう。嘘だろう?」
五十嵐大尉の方は信じられない様子。が、事実は事実だ。
「爪や脚を回収しましたが、配った蟹と違って死んでおるものですから、長く運んでは痛むと判断しまして。今頃、僕の兵達が食らっております。後で殻をご覧に入れますよ」
実物を見せると言えば、両大尉ともそれに異を唱える事はしなかった。珍しいものが見られると、むしろ喜んで見せる。
と、ここで原田少佐が口を開いた。
「どうやら、木叢島は想像以上に危険な場所な様だ。くれぐれも気を付けて活動するように。木叢島での食糧確保は重要だが、命を投げ出すほどではないのだから」
「やはり、重要となりますか?」
「両大尉とも話し合ったが、もうこちらでの食糧自給は限界だ。いや、漁労も畑作も安定しつつはある。しかし、それで必要十分な食糧を確保できるというわけでもない。おそらく、得られる最大量を確保できてなお足るまい」
島に上陸した当初に持ち込んだ食糧は尽きようとしている。
ならば全員で木叢島での食糧確保をすればいいと思うだろうか。しかし、僕らの任務は、あくまでもこの島の防衛なのだ。
僕らはまだ軍人だ。与えられた任務を全うしなければならない。
死ねばそれはかなわないので、生きる努力はしよう。
「了解しました。死なぬ程度に努力します」
素直に頷く。が、次に言われたのは素直に頷けぬ言葉だった。
「うむ、それで良い。ならば、その浜での食糧確保を当面は禁ずる」
「は? いや、しかし、あそこの蟹は大量確保も出来る有望な食料源です。巨大蟹は打倒できない敵ではありません。より大勢でかかれば、当面の食糧が得られると愚考します」
巨大蟹は脅威だ。しかし、倒せなくはない。浜に行けば容易く獲れる普通の大きさの蟹は、食糧として有望に思えた。
その考えを見透かした様に原田少佐は溜息をつく。
「焦るな。焦ると、事を仕損じるものだ。銃弾で倒しきれず、手榴弾を使うような蟹。一匹には勝てたろうが、群れで来ないとも限るまい。なれば一小隊の戦力では、被害甚大となるのではないか?」
「しかし……」
抗弁したい。しかし、原田少佐の言は正論だ。対する僕は上手く言葉を紡げない。返す言葉もないというのは、こういう事を言うのだろう。
「必要とならば、戦力を十分に投入し、作戦を立てた上で襲撃する。そういう事だ」
「了解しました」
他に言えることはなかった。
いや、納得はしている。胸にわだかまるのは、自身の未熟さであろう。
あの浜より蟹を悉く狩り倒し、空腹の兵共が飽きるほどにそれを食わしてやれと。愚にもつかないと自身でわかるにも関わらず、そう言い返したい自分がいる。
原田少佐に恨みも怒りもない。まっこと、正論であり、その言葉は金言とすべきでさえある。わかっていればこそ、それを認めたくない自分の未熟さを感じるのだ。
と、僕の肩にポンと手が置かれた。五十嵐大尉だ。
彼は僕を励まして言う。
「森本君。こう考えろ。もっと美味いものがあるかもしれないとな。そうだ、次は山のものを探せ。食える野草か果物が良い」
励ましなのか? それが励ましであるのか、それとも食いたい物を言っただけなのか。僕には判断がつかなかった。
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