爺ちゃん「若造だったから、お説教もされたもんさ」

 肉を食べ終えた僕は、洞窟を急ぎ戻って本隊の拠点へと戻った。

 探索で勝手知った洞窟内を二時間ほどかけて踏破すると、洞窟を拡張して作られた地下壕へと辿り着く。

 もう深夜と言っていい時間だ。兵の宿舎となってる場所は避け、倉庫の方から指揮所を目指した。

 灯りのない兵器倉庫に並ぶ九五式軽戦車。陸揚げの為に分解されてそのままの一式戦闘機。ランタンの火に、その影が浮き上がる。

 被弾機や故障機の継ぎ接ぎで、口さがない奴は「案山子」だと言うが、これが案山子だとしたら僕らは何だ。ご同類じゃないのか。

 武器弾薬の詰まった木箱の山。使い果たして死ぬ事を望まれたそれは、使われる事なく死蔵されている。

 ……兵器倉庫を出て、空間と空箱を晒す食糧庫へ。

 ここにいると不安が重くのしかかってくる。これが尽きた時、きっと僕らが死ぬ時だ。

 生き物として生命の死、人間の尊厳の死、軍人の誇りの死。

 生き物として死しても、人間としては死にたくない。願わくば軍人としても死にたくはない。

 洞窟の向こうの密林は、ここにきて垂らされた蜘蛛の糸だ。掴んで放すまい。

 足を止めてしまっていた事に気づいて再び歩き出す。

 通路を暫し進めば指揮所であり、扉も何もないそこからは灯りが漏れていた。

「森本大尉。報告に上がりました!」

 灯りの中に身を晒し、直立、敬礼の姿勢で声を張り上げる。

「入り給え」

 僕を待っていたのだろう。原田少佐が執務机についたまま僕の入室を許可した。

 それに応えて入室し、執務机の前に立つと、原田少佐は僕が証拠として送った草を手に取って見せて言う。

「兵からの報告は聞いた。森を見たと」

「はい、洞窟を抜けた先は別の島と思われます」

 それから僕は報告を開始した。僕の見聞した事、隠す事無く全てだ。

 原田少佐は黙って聞いていたが、最後の毒見の所で顔をしかめた。

「肉を食ったのか」

「はい、美味しゅうございました。翌朝まで僕が倒れなければ、原田少佐にもご賞味いただけると……」

「そうじゃない。将校が危機に飛び込むのは感心しないという事だ」

 説教の気配。ああ来るぞ、と言うのがわかり、胃が重くなる気がする。

「しかし……」

 思わず、先手を打って抗弁しようとし、その中身に何もないことに気づく。

 自分でも間違いであるのはわかっているのだから、抗弁するも何もない。説教を逃れる為の、子供じみた逃げだ。

 僕は先頭に立つ事しかできない。後ろに立って指示を下せる人間ではない。だが、それは将校の取るべき姿ではないのだ。

 見透かしたか、原田少佐は首を横に振りつつ、まるで労わる様に言った。

「君が……いや、全ての将校がそうだが、食糧の枯渇に悩んでいた事は知っている。解決の糸口を得たと、逸ってしまうのもわかる。先走ってしまうのも理解はしよう」

 そして、最後に原田少佐は僕の目を見据えながら真摯に告げる。

「だが、君は将校だ。死ぬならば、最後に死ぬように心がけねばならない」

「はい」

 他にどう答えよと。

 上官が、父のごとき年齢の男が、ただただ僕に道を示さんと告げた言葉だ。

 頭を下げ、その言葉を受け取り、そして自らの糧とするより他無いではないか。

 僕は頭を下げながら考える。

 ああ、これで僕は真っ先に死ぬ事は許されなくなった。誰よりも後に死ななければならない。

 先頭に立てば背後は見えない。背後で誰が死のうとも。

 後尾に立つならば、その全てが見えるのだ。

 部下の死を見つめ、部下の死に嘆き、そして部下と同じ様に死ぬ。それはきっと、先頭に立って死ぬよりも辛い事だ。

 その重さを僕は背負えるのか?

 おそらくはきっと……いや、僕の事なのだ認めてしまえ、それを逃れる為にこそ僕は兵達と共に歩いていた。僕は兵達と死ぬ事で、重荷を背負わずに消えたかったのだ。

 懊悩の中に落ち込みそうになる僕に、原田少佐の声がかかる。

「まあ、考えすぎるのも良くない。思うところがあるようだが、自分が言ったのはあくまでも将校としての在り方の話だ。君には別の答えが必要なのかもしれない。将校としてありつつも、それを探す事は忘れない事だ」

 返す言葉もない僕は無言でうなずく。それで原田少佐は、それ以上は何も言わずに話を先に進めてくれた。

「さて、実務の話に戻ろう。森本大尉。新地域の偵察を新たに命ずる。一個小隊を偵察に当て、周辺の状況を確認せよ」

「了解であります」

 気を取り直し、努めて明朗に返答し、さらに問い返す。

「食糧調達は許可願えますか?」

「偵察任務の障害にならない範囲で認める。当面は控えろ。銃声は遠く響く」

 銃声は遠くまで届く。

 それを米軍に聞かれ、こちらの存在が先に露見する恐れがあるわけだ。

「……銃を使ったのは早計でしたでしょうか?」

 既に僕は銃を使っている。敵がいたなら、それを聞かれたかもしれない。

「そうだな。背後の味方を危険に晒さぬため、前に立つ兵の命を切り捨てる。そういう答えもあるかもしれない。だが、兵を無為に死なせないという判断にも一理はある。難しいところだ」

 原田少佐は、それで僕を叱責することはなかった。

 護身での使用も許容なれど、敢えて使用せざるもまた許容と。前線の判断に委ねるという奴か。

「ともあれ、偵察を進めて周辺に米軍が存在するか否かを判断するのが先決だ。敵がいないならば、銃の使用に気兼ねはなくなる。本格的な調達活動は偵察で安全が確認された後に計画出来るようになるだろう」

「狩猟による食糧確保は認められますでしょうか?」

 と、ここで原田少佐は考え込むそぶりを見せた。

「弾薬は、戦争の為、陛下より預かったものである。浪費は許されない」

「しかし!」

 思わず抗弁しようとする。狩猟なしに食糧は得られない。狩猟には銃弾が必要だ。銃剣であの野ブタを仕留めるのは難しかろう。

 だが、それは尚早に過ぎた。原田少佐の言葉は終わってはいない。

「兵もまた陛下より預かったもの。戦い死すは誉れでも、飢え死ぬは陛下の御心にも背こう。護身の為の弾薬使用は許可する。ただし、前出の理由につき、その使用は最低限とせよ。必要に惜しむ事なく使い、無駄には決して使うな」

「あ……はい。了解しました」

 抗弁しようと身を乗り出したまま、挙げた拳の下ろし所を見つけられずに情けない返事を返す。情けない格好だ。

 原田少佐はそんな僕の姿に苦笑を浮かべつつ言葉を漏らした。

「君は青いなぁ」

 その通り。返す言葉もない。




 夜半も過ぎた頃、僕は僕の中隊へと帰還した。

「おかえりなさい、森本大尉」

 夜も遅いというのに待っていたのか、洞窟の片隅に小さな焚火を起こし、その光の中で水橋少尉が出迎える。

「そのお顔、叱られましたか?」

「いや、そんなわけじゃあないんだが」

 色々と顔に出ていたというのか、水橋少尉に見透かしたような事を言われ、僕は手の平で顔をぬぐった。

「今後についての下達があった。翌朝より、僕らは木叢島の偵察に入る」

「こむらとう?」

「森を表す古語から原田少佐がつけた、この新しい島の名前だよ。場所を表す言葉がないと不便だからね」

 木叢島。それが新たに発見された地の仮称となった。

 場所を表す単語が無いのは不便だったためのの暫定的呼称であり、後に本当の名前がわかれば使われなくなるだろう。だから、それほど重要な事ではない。

 何にせよこれで、僕らの前線基地がある本島に対して、木叢島という別の場所を表すことができるというものだ。

「だから、ここが木叢島陣地。僕ら森本中隊の拠点となる」

「つまり私たちの家というわけですか」

 水橋少尉は、はにかむように笑った。

「言い方はどうかと思うけど、外れてはいないかな。留守番、よろしく頼む」

 僕が言えば、水橋少尉は呆れ顔を返す。

「自ら御出陣の悪い癖は直さないんですねぇ。叱られたんじゃないんですか?」

「性分だよ。こればかりは止めない」

 原田少佐に言われた事が心に残らなかったわけではない。

 それでも、自分が後ろから指揮をするという選択は出来なかった。

「なぁに、将が危険を冒すなというなら、僕をちゃんと生かして帰せばいいのさ。他の兵達も含めてね」

 子供じみた考えだとは思う。意地を張る子供の言い分だ。大人ならば、まして人を率いる立場の者ならば、もっと別の答えを出せただろう。

 そんな思いに俯く。情けない。

 と、僕の頭のヘルメットの上にそっと重みがかかった。

「なら、しっかりと留守を守り、大尉のお帰りを待たなくてはなりませんね」

 わずかに背伸びして僕の頭に手をやりつつ水橋少尉がいつもの笑顔で言う。

 なんだろう。今すぐにでも屈みこみ、彼の体を抱きしめ、母の名を叫びたい。衝動にも似た熱い思いに襲われた。

 それを多少の苦労をしつつも抑え込み、表面上の平静を保つ。

 うんまあ、出来るわけがないな。将校として以前に、男として。同性に泣き縋りつつ母の名を呼ぶなどは。

「……任せた。水橋少尉」

「はい、了解」

 何とか平静を保ったふりで言えた言葉に、母を思い出させる笑顔で返される。

 此方が子供で、あやされているような感覚を覚えるが、不快ではないのが困りものだ。調子が狂うどころの話ではない。

 水橋少尉は、こちらの複雑な心中など知ってから知らずか、手をポンと打ち鳴らすと思い出したとばかりに言葉をつなげた。

「あ、そうだ。大尉が獲ってこられた豚のお肉、味見として皆でおいしくいただきましたよ。ごちそうさまでした」

「皆が食べただって? いや、体調を崩したものはないか? 僕は無事だから、滅多な事はないと思うが」

 必要なら、秘蔵の征露丸を出さねばなるまい。そんな覚悟で問うが、水橋少尉の笑みは変わらない。

「いいえ。食べた皆、喜んでましたよ。本隊に送る分を除いて、中隊みんなに配ったので全部無くなってしまいましたが……」

 そうして水橋少尉は、焚火の傍に置かれた飯盒を手に取る。

「金田二等兵から差し入れです。お腹、空きませんか? お夜食にどうでしょう?」

 温めていたのか? 差し出す飯盒の中には、何やら白や黒の小片が入っていた。

「何だこれ?」

「臓物だそうで」

 僕は顔をしかめる。

「臓物? 食えるのか? 熊の胆を薬にする話は聞くが、臓物を食う話など聞いた事もない」

 肉を食うというのはまだわかる。しかし、臓物など、食い物と言って良いのか?

 しかし、食えない物を水橋少尉も勧めはすまい。

「ほとんどの皆が大尉と同じ事を言って食べないのだと、金田二等兵も言っておりましたよ。腐りやすいので売り物にはならないけど、新鮮なものを、よく洗えば、美味しいのだそうで」

 言いながら水橋少尉は、飯盒の中の白い肉片を指でつまんで自身の口に放り入れた。

「おい、大丈夫なのか?」

 すぐにでも吐き出すのではと心配した僕を尻目に、水橋少尉は少々長い事、口を動かしていた。

 やがて口の中の物を飲み込み、水橋少尉は上機嫌に笑む。

「珍味って奴ですねぇ。お肉とはまた違った味がして、臭みもありますが、なかなかに味わい深い。焼酎なんぞに合いそうです」

 さあどうぞと差し出される飯盒。

 僕は覚悟を決めて、黒い肉片をつまむと、薬を飲む覚悟で口に入れた。

 塩茹でされた、妙な肉の味。肉とは思えない歯応え。微かな血の匂い。だが、これはこれで。

「意外に食えるものなんだな」

 言いながら、僕は肉片を次々に口に放り込んだ。

 肉は色々な部分を乱切りして混ぜ合わせた様で一口ごとに味が違う。そのどれもが美味というわけではないが、全体的に言えばまあ珍味であるとは言えるだろう。

 飽きが来ないので飯盒一杯でも食べられそうだが。

「……水橋少尉も食べたまえよ」

 僕は独り占めを考える自分を恥じて水橋少尉に飯盒を差し出す。彼は喜びを見せながら、その細い指を飯盒の中に入れ、肉を一欠けつまむ。

「ご相伴にあずかります。お酒が無いのが残念ですねぇ」

「酒かぁ……そればかりはどうにもならない。猿酒でも探すかな」

 僕は水橋少尉と二人、しばし夜食の一時を過ごすのであった。

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