第20話 星影と二度目の恋
その夜は、殿下の仰る通り綺麗に晴れ渡る星空が広がっていた。
今夜は新月のようで、星がよく見える。新月の夜は女神アデュレリアの加護が薄れるなんて言うけれど、今の私にはあまり関係がなかった。
籠の鳥生活をしているうちに季節は随分と進んでいたようで、麗しい夏はとっくに過ぎ去っていた。秋ももう終わりに近いと言ってもいいだろう。すっかり寒くなり始めている。
ガーネットが羽織らせてくれたストールを手繰り寄せながら、オパールが掃除してくれた小さな庭を歩く。庭のテーブルの上には、クリスが作ってくれたクッキーが置かれていた。
彼らに支えられていることを実感しながら、薄暗い庭を歩いた。私に触れることすら控えている殿下は、エスコートする素振りこそ見せないが、それとなく誘導してくれている。
「晴れてよかった。……まずは、あの一番大きく見える星について話そうか」
殿下はひときわ明るく輝く銀の星を指さして、星の名前や伝承を教えてくれた。昼間に読んだ本の内容と被っている部分も多かったが、殿下の声で聴くと不思議と新鮮な気持ちで聞ける。何と贅沢な時間だろう。
「あの星と、こっちにある小さな星を結んで……」
殿下は星座にもお詳しいようだった。博識な方だ、と感心しながら耳を傾ける。やはり本で読むのと実際に見るのでは、同じ星座でも随分違う。
……殿下とこうして並んで星を見る日が来るとは思わなかったわ。
それこそ、彼に剣を突きつけられたあの夜からは考えられないような、穏やかなひとときだ。少し冷えた秋の風すらも、彼の隣では心地よい。瞬く銀の星たちが、淡く薄く私たちを照らしていた。
「……と、まあ、こんな物だろうか。読んでいた本と同じ説明になっていたらすまない」
ざっくりと星々の名前や星座を説明してくれた後に、殿下はどこか自信なさそうに微笑んだ。やがて、とても遠くを見るような目で星空を見上げる。
「……ここから見る星空は変わらないな。いつまでも美しいままだ」
まるで今までも離宮に通っていたかのような口ぶりだ。不思議に思いじっと殿下を見つめていると、彼はぽつぽつと昔話を始めた。
「……この離宮には、かつて俺の母が滞在していたこともあったんだ。俺も何度か訪れたことがある。母は星に詳しかったから、よくこうして星空を見上げてはいろいろと教えてもらったんだ」
殿下のお母様である側妃シェリア様はもう亡くなっている。穏やかで、陽だまりのような優しい方だった。
……あら? でも側妃には側妃専用の離宮があるはずなのに、どうしてわざわざここを使っていたのかしら。
側妃とは言え、一国の王の妃が使うにはこの離宮は少々簡素だ。存在すらも良く知られていないような場所に、側妃を押し込めるとは考えづらい。
私が引っかかりを覚えていることに気づいたのか、殿下は小さく微笑むと、淡々と衝撃的な事実を口にした。
「……この離宮を使っていたのは先代の聖女だ。つまり俺は、王と聖女の間に生まれた禁忌の子なんだよ」
「っ……」
聖女は御子を産む役目を担わない。少なくとも表向きには生涯純潔を守るとされている。その聖女が御子を身ごもったとなれば、一騒動起きてもおかしくなかった。神殿と王家の関係だってどうなるか分からない。
だから表向きには、殿下は側妃シェリア様の御子ということにしたのだろうか。思えば先代聖女は、側妃シェリア様のご懐妊中に体調を崩して、表舞台から姿を消している時期があった。あの療養生活にこのような重大な秘密が隠されていたなんて。
こんなこと、私に打ち明けてしまっても良かったのだろうか。どこにも行きようがないのだから秘密が漏れることはないのだろうけれど、それでも衝撃の事実を前に落ち着かない気分になってしまう。
一方の殿下は、何てことないように柔らかく微笑んでいた。淡い星影を受ける横顔が、神聖さすらも感じさせるほどに美しい。
「聖女の血を引いているからなのか分からないが、ルーナにまつわる予言を聞いたの俺なんだ。……亡き母が、教えてくれた。10歳のころだったかな。予言を聞いたのはその一度きりだったが、初めて自分の血筋に感謝したよ」
――当代の聖女は、一年を待たずして真冬の新月に女神の御許に召されるだろう。
あの予言は、殿下ご自身がお聞きになったものだったのか。10歳のころといえば、優しく朗らかだった殿下が冷たい目をするようになったころとちょうど同じ時期だ。
彼が冷たい王子様になってしまったのは、私にまつわる予言があったからなのだろうか。
……殿下はこの数年間ずっと、この予言を一人で抱えて悩んでおられたの?
先代聖女の能力は「自らが最も愛する者の異変を予知できる」というものだった。聖女の血が流れている殿下も、僅かながらその能力を受け継いでいるのだとしたら、彼の最も愛する者はもう何年も前からずっと私だったということになる。
目頭が熱かった。彼の愛は底が見えないほどに深い。こんなに我儘で厄介な性格の私のどこを好きになったのだ。どうかしている。
「……予言の期日まで、あと一月か。何もないといいんだがな」
あれだけ女神様を忌み嫌っているというのに、その言葉はまるで祈るような響きを伴っていた。
その言葉に、余計に胸を締め付けられる。瞳に差した翳りはきっと、私を失うことへの恐怖が生み出したものなのだろう。何だか、やるせない気持ちになった。
思わず星空から目を逸らして、殿下に気づかれないように涙を拭う。歪んだ視界に映り込む星影が、悲しいくらいに美しかった。
「次の新月が過ぎたら、宴でも開こう。コーデリアやガーネットたちも一緒に——」
と、そこまで言いかけて、殿下は私の異変に気付いたようだった。顔を上げずとも、殿下の憂うような視線が向けられているのが分かる。
「どうした? ルーナ。少し寒いだろうか。そろそろ中へ戻ろうか?」
殿下は私の肩にかけられているストールを巻き直しながら、気遣うような言葉をかけてくださった。その優しさに余計に涙が溢れそうになる。
彼に涙を見られるのは御免だから、そのまま私は彼の胸に顔を埋めた。
温かい。温かくて、安心する。頬をすり寄せるように殿下にぴったりと寄り添えば、殿下の戸惑いが直に伝わってくるようだった。
「っ……ルーナ」
殿下の手が私に触れるのを躊躇うように宙を彷徨っていた。その様が何だか可笑しくて、彼の心臓の音を聞きながら頬を緩めてしまう。
「さ、寒いのか……? どう、すればいいだろうか。やっぱり中に……」
公の場ではあれだけ冷静沈着な殿下が、こんなにも狼狽えるなんて。やっぱり面白い。何とも言えない優越感を覚える。
私に触れるか迷うように彷徨っていた殿下の手を捕まえて、そっと口元に引き寄せた。秋風に晒されていたせいで少し冷えた大きな手に、すりすりと頬をすり寄せる。この世でいちばん優しい手だ。
怒りも見栄も、この手の前ではたちまち溶けて温かな感情に変わってしまう。心の奥底が疼くような、切ないこの想いは、紛れもなく恋情だった。
……そうね、これはいわば、二度目の恋だわ。
初恋は凛とした王太子である彼に、二度目の恋はエリアル・アデュレリアその人に捧げよう。
頬にあてがった彼の指先が、戸惑うようにそっと私の髪に触れた。どうにもくすぐったい感触に、小さく笑い声を上げてしまう。
「っ……」
次の瞬間、殿下は殆ど衝動的に私を抱きしめていた。今まで触れるのを躊躇っていたのが嘘のような強い力で。
……この鼓動の音はどちらのものなのかしら。
とくとくと、普段よりもずっと早い心臓の音に耳を澄ませる。恋い慕う人の腕の中が、こんなにも安らかであるなんて知らなかった。
「ルーナ……」
熱に浮かされたような殿下の甘い声に、心が乱される。そんな風に名前を呼ぶのは反則だ。
それに応えるように、私もそっと殿下の背中に腕を回す。
この夜が秋の終わりで良かった。二度目の恋の熱に、今にものぼせてしまいそうだから。
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