第10話 囚われ聖女の挑戦

 それから二週間ほどが経った。


 相変わらず離宮の外に出してもらえるような気配はなく、閉じ込められた理由も意図も分からないままに、私は殿下の言葉を無視する日々を送っていた。


 私は一言も返さないと言うのに、殿下は一方的に話しかけてくる。それほど口数が多い方ではなかったはずなのに、この離宮ではまるで昔に戻ったかのように他愛のないことでも話しかけてくる。


 無視を決め込んでいる私に対して、そこまで粘れるその執着性には、最早拍手喝采を送って差し上げたいが、彼の言葉に何か反応を示すことすら嫌なので何もしないことにした。


 私がレモンケーキを気に入ったようだと見計らった途端に、毎日お茶の時間にはレモンケーキが出てくるようになったし、私が灰色のドレスばかりを好んで着ているのを見てなのか、クローゼットの中にはいつの間にか灰色系統のドレスが増えていた。


 別に灰色が好きなわけではなく、消去法的に選んだ結果なのだが、いつからか薄緑のドレスが消えたのを見て、心の柔らかい部分がほんの少しだけ痛んだ気がしたのは、誰にも内緒だ。


 祈りを捧げることすら許されない身の上である以上、本当に無為に無駄に無価値に息をしていたわけなのだが、いくらガーネットたちが話し相手になってくれるとはいえ、退屈が私の心を蝕み始めていた。


 そこで、私は右肩の傷がある程度塞がったのを機に、私は、ガーネットたちにある頼みごとをしてみることにしたのだ。


「もしよかったら、私に皆さんのお仕事を教えてくださいませんか?」


 三人の仕事が一段落し、塀に囲まれた庭でお茶をしていたタイミングで、思い切って頼み込んでみた。三人はまるで息を合わせたように小首をかしげる。


「私たちの業務内容を把握なさりたいということですか? でしたら、業務日誌がありますので後程それを——」


「違うのです。皆さんが毎日行っているお仕事を、実際にやってみたいな……と思いまして。もちろん、極力邪魔にならないようには努めますわ」

 

 聖女候補として育ってきたせいか、私は本当に何もしたことがない。恐らくは、普通の令嬢よりもずっと世間知らずだ。聖女たるもの、出来る限り女神に祈り続けるべしと言い聞かされ、それに従うようにして礼拝堂にこもりきりで育ってきたのだから。


 掃除や洗濯をしたことがないのはもちろん、料理も刺繍もお茶の淹れ方一つ知らない。ここでは黙っていれば三人がすべて完璧に整えてくれるが、本当はずっと興味があったのだ。 


「何なら、傍で皆さんのお仕事を見させていただいて、見よう見まねでやってみるだけでもいいのです。駄目、でしょうか……?」


 彼らの邪魔になってしまうことは分かっている。何なら、彼らが仕事としているものをやってみたいと言う私はさぞかし傲慢に映っているかもしれないが、このまま何もせずじっとしているのは性に合わないのだ。断られたら勝手に真似をしてみようと決めていた。


「もちろん、駄目なんてことはありませんが……一応、お嬢様がやるようなことではないとだけ申し上げておきますね」


 ガーネットが戸惑うように口を開く。オパールもクリスも未だ動揺しているようだった。


「まあ、嬉しいです! 折角機会をいただいたのですもの、真剣に取り組ませていただきます」


 単調だった日々に変化が訪れるのを感じて、これには思わず頬を緩ませた。その表情を見てなのか、三人もつられたように笑う。


「まあ、興味本位でやってみるだけやってみるのも悪くないかもしれませんね」


「あたしが教えられるのは掃除くらいなものですが……」


「まずはお茶の淹れ方辺りから始めましょうか」


 私の不躾な申し出を三人は快く受け入れてくれた。そうしてこの日から、彼らの仕事を学ぶ日々が幕を開けたのだ。




 

 始めに取り組んだのは、お茶の淹れ方だった。私に教えてくれたのはガーネットで、お湯の温度やら茶葉を蒸す時間を簡単に説明してくれる。


 単純な作業に思えるが、思ったよりも奥が深い。ガーネットに教えてもらったことを忘れないよう書き付けてみるも、上手くいかないことの方が多かった。


 ガーネットは手慣れているためにさらりとこなしてしまえるが、どうやら私はもともと不器用な性質らしく、彼女の言う時間通りに作業を進めようとしても、お湯を零したり茶葉を散らせてしまったりと、思うように進まない。


「少しずつできるようになりますよ。私が初めてお茶を淹れた時とは比べ物にならないくらいお上手です」


「……ありがとうございます、ガーネットさん」


 私が初めて淹れたどうにも味の濃い紅茶を二人で嗜みながら、ガーネットは励ましてくれた。彼女はそう言うが、こんな紅茶が出てきたらきっと客人は歓迎されていないと思うだろう。


 それくらいひどい出来栄えだったが、自分への戒めを兼ねて最後まで飲み干した。明日にはこれよりも絶対に美味しいお茶を淹れてやる、と一人決意しながら。


 また別の日には、オパールにモップ掛けを教えてもらった。ドレス姿では上手く作業が出来ないので、体格の似ているガーネットにメイド服を借りて、離宮の広間にモップを片手に踏み込んだ。


「お嬢様が着ると、メイド服も何だか可愛らしく見えますね!」


 オパールが溌溂とした笑顔を見せながら、メイド服の袖を捲る。左腕には爛れた火傷の痕が見えた。


 私も彼女に倣うように腕まくりをして、早速彼女と共に広間のモップ掛けを始めた。小さい離宮とは言え、広間は普通の屋敷よりも広い。きゅっきゅと音を響かせながら、懸命に床を磨いた。


「お嬢様、そんなに力を入れるとすぐに疲れてしまいますよ。こんな感じで上手く力を逃がして」


 オパールは手慣れた様子でさらさらと床を磨いていた。その割に私が担当している部分よりずっときれいに磨かれているので、彼女の技術の高さがうかがえる。


「お嬢様、少し競争しましょうか。向こうの壁までモップで拭きながら走り抜けましょう!」


 オパールの突然の提案に、私はぎゅっとモップの柄を握り直す。


「いいですわね。合図はよろしくお願いいたしますわ」


 オパールの合図を待ちながら、私はメイド服の裾を軽くたくし上げた。勝負は真剣に挑まなければ。


「おお、やる気ですね! 行きますよ」


 オパールの合図で、私はモップで床を磨き上げながら走り始めた。きゅっきゅと響く靴音が何とも楽し気だ。


 だが、濡れたモップで拭いた床を踏み占めて転びそうになる当たり、自分の身体能力の低さを思い知らされてしまう。案の定先に壁に辿り着いたのはオパールで、彼女はけらけらと笑いながら私を待っていた。


「そう悔しがらないでください。あたしは三人の中でも一番足が速いんですから。今度ガーネット辺りと競争してみたら、案外いい勝負になるかもしれませんよ」


 飾り気のないオパールの笑顔につられるようにして、私も額に浮かんだ汗を拭いながら笑う。慣れないメイド服も、モップ掛け競争も何もかもが新鮮で楽しい。


 またその次の日には、クリスに簡単なお菓子作りを教わっていた。今日はクッキーを作るらしい。


「本当はお嬢様の好きなレモンケーキに挑戦してみても良かったのですが、難易度が高いので慣れてからにしましょう」


 厨房に立つときは、クリスは白い上下のシェフの服を纏っているようだ。普段とは少し印象が違い、職人と言った気質を醸し出す彼を前に、私もメイド服姿で妙に居佇まいを正してしまう。


「たくさん作って、後でガーネットさんやオパールさんにも差し上げたいですわ」


 さりげなくクリスに希望を伝えれば、彼は快諾してくれた。


「そうしましょうか。……殿下にはいいんですか?」


「彼にあげるくらいなら、私が無理にでもお腹に収めます」


 つん、と顔を背けながら宣言すれば、クリスはくすくすと笑いながら「そうですか」とだけ答えた。何だか上手くあしらわれている気がする。


 私は彼に言われた通りに卵を割ったり、粉を混ぜ合わせたりする役目をこなしたのだが、お菓子作りは結構な重労働のようだ。モップ掛けの時よりも、腕が痛くなった気がする。


 何をするにしても、まずは体力をつけなくてはいけないらしい。クッキーが焼きあがるのを待ちながら、私はメイド服の上からもみもみと腕を揉んだ。


「体力をつけたいのなら、僕らと一緒に遊ぶのがいいかもしれませんね。離宮の中で隠れて、魔王役に捕まるまで逃げる遊び、なんてどうですか?」


 クリスは親身になって相談に乗ってくれた。その遊びは初めて聞いたが、どうやら庶民の間ではごく一般的な遊びらしい。


「魔王から逃げる、だなんて、この国にいかに女神アデュレリアの教えが浸透しているかが窺えて面白いですね」


 聖女が深い色の服を着ると魔に魅入られる、という掟があるように、女神と対極の立場にあるのが魔物や魔族と呼ばれる魔の者たちだ。


 遠い昔、人々の弱みに付け込んで、この国を支配していた魔の者たちは、女神アデュレリアの祈りによって退散したという。彼らは今もこの国のことを狙っており、聖女を始めとした女神にまつわる者を取り込んで、女神の仇なそうと考えている悪しき者なのだ。


「そうですね。僕らのような者でも女神様の存在は知っていますから。……昔はよく、殿下と一緒にこの遊びをしました。殿下が魔王役をやると、三人ともすぐに捕まってしまって……」


「殿下が魔王役だなんてぴったりですわね」


 今や女神に仇なした王太子なのだから、これほど適役はいないだろう。思わず皮肉気に笑えば、クリスは困ったように微笑んだ。


「……ああ、クッキーが焼きあがりましたね。取り出すのは僕がやりますから、お嬢様は少々お待ち下さい」


 また気を遣わせてしまった、とひとり心の中で反省しながら、私はクッキーの香りを胸一杯に吸い込んだ。この甘さには、まだ慣れない。


「うん、上手く焼けています。お嬢様が材料を丁寧に混ぜ合わせてくださったからかな」


 クリスまで私を甘やかすように笑う。彼らはみんな私に優しい。この爛れた離宮生活の確かな慰めになっていた。

  

「クリス! クッキー焼けたの?」


 この香りにおびき寄せられてきたのか、オパールが勢いよく厨房のドアを開けた。その後ろからガーネットもついてくる。


「本当に、オパールは甘いものに目がないな……」


 クリスは若干呆れたように笑うと、焼き立てのクッキーを皿に盛り合わせながら、私に目配せをした。


「……折角ですから、みんなでお茶にしませんか? もしよければ、お嬢様の淹れてくださったお茶を飲んでみたいです」


 クリスは私に練習の機会を与えてくれているのだ。これにはすぐさま椅子から立ち上がり、メイド服の袖を捲る。


「任せてください! 少しはマシになってきたのですよ」


 ガーネットが心配そうにこちらを見つめているが、そう下手な真似はしないはずだ。ガーネットに教えてもらった細かな手順を脳裏に蘇らせながら、ぎこちなくも何とかお茶の準備を整えていく。


 天気が良かったので、塀に囲まれた庭でお茶にすることにした。私が材料を混ぜ合わせたクッキーは、所々甘さが偏っていたけれど、それすらも何だか面白く思えて、終始和やかな御茶会になったのだった。

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