幕間4 「聖女」様の結婚式

 式が行われる神殿は、白い神官服で埋め尽くされていた。いつもにも増して厳格な雰囲気を覗かせる聖なる場所で、一人緊張からではない溜息をつく。


 式の手順自体はそう難解なものでもないが、事ある度に祈りを捧げる場面があるために、結婚式は随分な長時間に及ぶ。長ったらしい公の行事には慣れているつもりでいるが、普段にも増して気の乗らない内容となれば、溜息もつきたくなるものだ。


「花嫁の隣で溜息をつく花婿なんて、世界中探してもあなたくらいしかいないのではないかしら?」


 隣で囁くのは、普段より格式ばった聖女の装束を纏ったコーデリアだ。今日ばかりは純白のベールを身に着けており、形だけはいかにも聖女らしく見える。ルーナには無い何とも言えない妖艶さは相変わらずであるが。


「お前だって同じ気持ちだろう。さっさと終わらせて帰りたいところだ」


「王城に? それとも離宮に?」


 悪戯っぽく目を輝かせるコーデリアにもう一度溜息をついて、視線を逸らす。彼女は俺がほとんど毎日離宮に通い詰めていることを察しているのだろう。


「……今朝行ったばかりだからな。一日に二度も顔を合わせたらルーナに嫌われるかもしれない」


「ええ……よりにもよって今朝行ったの……?」


 呆れの混じった声でコーデリアは引くような素振りを見せる。そんな反応を示されるとは思っても見なかった。


「いくらルーナを追い詰めるためとは言っても……それはちょっとやりすぎじゃないかしら」


「追い詰める意図で訪ねたわけではない。……単に俺が会いたかっただけだ。式の前に」


「あなたって、妙なところで無神経よね。将来を約束されていた幼馴染が式の当日に訪ねて来るなんて……わたくしなら死んでも御免だわ」

 

 コーデリアは僅かに声を低めたかと思うと、首から下げた貝殻のペンダントをそっと握りしめた。


 女神を嫌うようになったきっかけが詰まっているというペンダント。その意味を詳しく聞いたわけではないが、近頃は何となく察し始めていた。彼女にそのペンダントを贈った主はきっと、彼女の——。


「王太子殿下、聖女コーデリア様。間もなく式が始まります」


 慎ましく礼をした神殿関係者の一声に、気分を切り替えて前を向いた。あくまでも仲睦まじい二人を装うべく、コーデリアに腕を差し出せば、白い手がそっと肘のあたりに添えられる。


「人生に一度の結婚式が、こんなにも心の踊らないものだとは思わなかったわ」


「同感だ」


 互いに囁き合ったのを最後に、式は厳かに開始された。何もかもがゆったりと、丁重に行われるために、非常に退屈な時間が流れていく。


 コーデリアは、あくまでも「聖女」としてきちんと振舞っていた。神官たちが彼女を見る目に、最早疑うような意図は含まれない。


 ……こんなにも簡単に騙されてくれるものなのだな。


 コーデリアの圧倒的な美貌が有利に働いているのも確かだが、彼女の演説力も物を言っているのだろう。危険なくらいの扇動力は、ある意味王家に相応しいものなのかもしれない。


 コーデリアは、薄いベールの下、慎ましく顔を伏せて女神に祈りを捧げていた。内心腸が煮えくり返っているに違いないが、見事な演技力だ。


 仕掛けた当事者が言うのもなんだが、あっけなく事が進みすぎて不安になるくらいだ。皆、ルーナのことなどもう忘れているのだろう。


 やがて、二人で神官長の待つ祭壇の前に歩み寄る。名前の分からない白い花に埋め尽くされた祭壇は、何とも神聖な雰囲気を帯びていた。


 神官長が長々とした祈りの言葉を唱え始める。思わず欠伸が出そうになるのを堪えながら、表面上はあくまでも神妙な面持ちを取り繕って、女神の紋を睨み上げていた。


 永遠を誓うか尋ねる神官長の問いかけに、打ち合わせ通りに「誓います」と無感動に答えれば、誓いの口付けを促された。


 誓いの口付けは唇にするのが一般的だが、お互いに嫌なのは分かり切っている。とはいえ、どこにも口付けずに終えるわけにもいかない。二人はあくまでも、仲睦まじい王太子と聖女なのだから。


「……別にいいわよ、どこにでもどうぞ」


 言葉とは裏腹に、心底嫌そうにコーデリアは囁いた。一日に二度も嫌がる女性に口付けることになろうとは。


 お互いに心理的な負担が少ない場所がいい、と迷ったところで、額に口付けることにした。そっとコーデリアのベールを取って、彼女の頬に手を当てる。


 いつだって強気なコーデリアが、今ばかりは緊張するように長い睫毛を震わせている姿に、何だかふっと気が抜けてしまった。そのままそっと彼女の耳元に顔を寄せ、からかうように囁く。


「……今だけは、俺をそのペンダントの贈り主だと思え」


「っ……あなた、ジルのこと知って……!?」


 囁くような声だったが、コーデリアは珍しく慌てふためいていた。やはり、そのペンダントは、彼女の特別な相手——恐らくは恋人に贈られたものらしい。


「へえ、ジルって言うのか。彼はこの馬鹿げた茶番に理解を示しているのか? 信用できる相手なら、一度会わせてくれ」


 恋人たちのいざこざに巻き込まれるのは御免だから、信用できそうな相手であれば話をしてみてもいいかもしれない。


 そんな軽い気持ちで囁いたことだったが、コーデリアはどこか寂し気な微笑みを浮かべて睫毛を伏せた。


「……そうね、叶うものならあなたにも会わせたかったわ」


 そっとコーデリアの前髪を掻き上げて額に口付ければ、彼女はまるで涙を流すように静かに瞼を閉じて告げた。


「でも残念、彼、もうこの世にいないのよ。……神官たちに殺されたから」


 驚いてコーデリアの額から唇を離せば、彼女はとても遠くを見るような穏やかな目で俺を見上げた。


 瞬間、神殿中から祝福の拍手が沸き起こる。当代の王太子夫妻の誕生を誰もが喜んでいた。


 今も視線は合っているのに、コーデリアが俺を見ていないことは一目でわかった。亡くした大切な「ジル」のことを思っているのだろう。


 ……神官たちに殺された、か。


 詳しい事情を聞いたわけではないが、それだけで彼女が俺と同様に女神を憎む理由が分かった気がする。結婚式の真っ只中でそのわけを知るとは思ってもみなかったが。


「だから、あなたには後悔してほしくないわ。出来る限りのことをやってやりましょ。……真冬の新月の夜を越えるまで」


 誓いの口付けを終えても尚、真剣な面持ちで向かい合う俺たちは、傍から見れば互いを愛おしんでいるようにも見えるのかもしれない。止まない祝福の中、改めて決意を言葉にする。


「ああ、絶対に……女神の思い通りになどさせるものか。そのためならなんだってやってやるさ」


 これこそが、二人に相応しい誓いだった。互いに恋い慕っているわけではないが、共に戦い抜く友なのだと実感する。


「ふふ、真剣な顔をすると様になるのね。一応、王子様って感じがするわ」


 いつもの調子で笑うコーデリアに、俺もふっと頬を緩める。


「一応とは失礼な奴だ。これでも次期国王なのに」


「聖女様のために国を危険に晒す悪い王様でしょう?」


「間違いないな」


 向かい合う体勢から再び腕を組みなおし、祭壇に背を向けて歩き始める。割れんばかりの拍手が一層大きくなった気がした。


「……お前も、死んでくれるなよ。後味が悪いから」


「あら、心配してくださるの? まあ、好き好んで死にはしないけれど、わたくしは別に死ぬのは怖くないのよ。きっと、ジルが待っていてくれるから」


 コーデリアはまっすぐに前を向いて、晴れやかな笑みを浮かべていた。彼女の中で「ジル」は、相当特別で愛おしい存在らしい。


 そういう存在がいると、強くなれるものだ。俺にも同じくいるだけに、コーデリアの気持ちが分かる気がした。


「それでも、気を付けてくれ。お前が死ぬと、きっとルーナが悲しむ」


「……それはそうでしょうね。あの子はどうせ、人を恨んでも恨み切れはしない、中途半端で憐れな子だもの」


「どうだろうな。意外に激しいぞ。この間も愛を囁いたら睨まれたしな……今朝も似たような反応だった」


 その意外な一面にも、惹かれていることは確かなのだが。このところは睨まれていると分かっていても、彼女が目を合わせてくれるだけで嬉しくなってしまうから、我ながら拗らせていると思う。


「いい気味ね、王子様」


 コーデリアは心底面白がっているようだ。明らかな愉悦の浮かんだ顔を一睨みしながら、本日何度目とも知れない溜息をつく。


「まあ、自分を監禁している男を易々と許すような子だったら、却って心配になってしまうから正しい反応だとしか言いようがないけれど」


「……それを言われてしまえばおしまいだな」


 一生彼女に許されなくていい。触れられなくていい。


 その覚悟の上で始めたことだが、もしも何かの奇跡が起こって、彼女が再びあの愛らしい笑みを向けてくれたのなら、と願ってしまう自分の浅ましさを呪った。


 そうして、大勢の人々から祝福の中、当代の王太子と聖女の結婚式は幕を下ろした。




 ルーナが自死を試みたという知らせが飛び込んできたのは、式が終わって間もなくのことだった。

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