第17話 わがままな籠の鳥

 当たり前のように日が昇って、離宮の外から小鳥たちの声が聞こえてくる。


 あまりにあっさりと朝が来たものだから、昨夜の殿下とのやり取りや全て夢だったような気もして、しばらくベッドの中でぼうっとしてしまった。


 ——当代の聖女は、一年を待たずして真冬の新月に女神の御許に召されるだろう。


 その予言めいた言葉は、今も私のことを指しているのだろうか。それとも、私ではなくコーデリア姉様が聖女となった今、その予言はもう意味をなさないのだろうか。


 まあ、今は考えても仕方ないかしら、と一人笑みを浮かべて寝台から体を起こす。


 ばらばらに切り裂いた銀の髪が、ちくちくと鎖骨のあたりをなぞった。この機会に、肩に着かない程度に切りそろえてみるのも面白いかもしれない。


「お嬢様、お目覚めになりましたか……?」


 寝室に姿を現したのは、不安そうな顔をしたガーネットだ。昨日の私の半狂乱の姿を見ていたせいか、やはり、彼女には多大な心配をかけてしまったらしい。


「ええ、不思議とそう悪くない気分です。……早速ですが、まずはこの髪を揃えていただけるでしょうか」


 新たな一日を始めよう。昨日までの私とは、少しだけ違う姿で。


 にこりと微笑みを浮かべれば、ガーネットの深い赤の瞳がどこか安心したように輝いた気がした。




「よろしかったのですか、ここまで短く切ってしまって……」


 髪を切り簡単な湯浴みを終えた後、ガーネットは私の髪をとかしながら問いかけた。今は肩につくかどうかというくらいの長さに切りそろえてしまっている。令嬢としてはあるまじき長さだ。


「ふふ、いいんです」


 私は鏡に映る自分の姿をまじまじと眺めた。髪を短く切りそろえた自分は、籠の中にいるというのにどこか清々しい顔をしていて、昨日よりの私よりは好きになれる気がした。


「……長いのも素敵でしたが、このくらいの長さも新鮮でいいですね。花飾りをつけてみましょうか」


 ガーネットは右側だけ簡単に編み込むと、鏡台の上に並んだいくつかの髪飾りを眺めて軽く悩むようなそぶりを見せる。


 何だか昨日よりも種類が増えている気がする。不思議に思って鏡越しにガーネットに視線で問いかければ、彼女はおずおずと語りだした。


「……今朝になって、殿下からいくつか装飾品とドレスが届いたのです。どれも見事な一級品ばかりで……」


 そこまで言いかけて、ガーネットは慌てたように取り繕う。


「だからと言って、無理に身に着ける必要はございません。今までのように淡い色合いのものにしましょう!」


 昨日の私の取り乱しようを思い出してなのか、気遣うような笑みを浮かべるガーネットに、私は苦笑交じりに小さく息をつく。


「……いいのです。折角殿下が用意してくださったのなら、使ってみましょう。……そうね、殿下を驚かせるためにも、今日はとびきり深い色のドレスと装飾品にしましょう。思い切って黒なんて纏ってみたいところですが……私に似合うでしょうか?」


 ガーネットは僅かに目を瞠る。しばらく戸惑うように鏡越しに私を見ていたが、繊細な黒いレースのリボンとその中心に小ぶりの白い花があしらわれた髪留めを、そっと私に髪にあてがった。


「お嬢様の銀の髪には、どんな色でも良くお似合いになりますよ。……でも、よろしいのですか? こんなに濃い色なのに」


「ええ」


 にこりとガーネットに微笑みかければ、彼女はいくらか安心したように頬を緩めた。


「……何か御心境の変化でも?」


 私は軽く瞼を閉じて、こくりと頷いて見せた。見ようによっては前向きと言える心境の変化だろう。


「そうでございましたか」


 ガーネットはそれ以上詮索することなく、私の支度を整えることに集中した。


 それから間もなくして出来上がった私の装いは、昨日までとはまるで別人のようだった。


「……お美しいです、お嬢様」


 ほう、と溜息をつくようにガーネットが褒めてくれる。私は姿見の前で、軽く体を捻りながら全身を確認した。


 ガーネットに着せてもらったのは、漆黒のドレスだった。喪服というには華やかで、至る所にレースやリボンが施されている。片側だけ編んだ髪には黒いレースのリボンと白い花、首もとには黒いレースのチョーカーをつけていた。肩に着くか否かという位置で髪を切りそろえたおかげで、チョーカーがよく映える。


 今まで灰色のドレスばかり纏っていたせいか、本当に生まれ変わったような心地だった。高貴な黒を纏うだけで、強気でいられるような気がする。


 新たな装いを、オパールもクリスも褒めてくれた。


「今までは儚げな印象が強かったですが、黒を纏うと凛としたお顔立ちが映えていいですね。素敵です、お嬢様!」


 オパールの華やいだ声に、クリスも続く。


「色だけでこんなに印象が変わるものなんですね……」


 どこか感心したようなクリスの言葉に、私とガーネットは軽く目を見合わせてくすくすと笑い合った。とても新鮮な気分だ。




 殿下が訪ねて来られたのは、夕方になってからだった。


 ちょうどお茶の時間が終わったころで、今日も美味しいレモンケーキをいただいて機嫌が良かったのだが、殿下の姿を見るなり、明るいだけの気持ちではいられなくなる。


 かといって彼の存在を必要以上に意識していると思われるのも嫌だったので、あくまでも私は、悠然と椅子に腰かけながら殿下を迎えた。


 殿下は色とりどりの花束を手にしていて、彼が動くたびふわりと甘い香りが漂ってきた。その香りを楽しむように軽く目を瞑った後、ゆったりと殿下を見上げれば、彼は明らかな戸惑いをその整った顔立ちに滲ませていた。


 彼の今日の装いはやっぱり黒で、図らずもお揃いみたいになってしまったわ、などと考えていると、彼は私の前に跪いて信じられないほど甘い笑みを浮かべた。


「……綺麗だ、ルーナ」


 殿下は黒が好きなのだろうか。思えばここに来た初めの日に用意されていたドレスも黒だった。


「……今日は、退屈しなかっただろうか。本当はもっと早くここに来たかったんだが……昨日の今日で何かと用事があって、こんな時間になってしまった」


 このドレスのお陰か、今日は一日中新鮮な気持ちで過ごしていたために、退屈はしなかった。その返事の代わりににこりと微笑めば、殿下は恍惚にも似た眼差しで、跪いたまま私を見上げてくる。


「……良ければ、この花束を。……君の好きな花で作りたかったんだが、分からなくて……色々な種類のものを集めてしまった」


 殿下に手渡された大きな花束を、そっと抱きしめてみる。甘くてよい香りだ。瞼を閉じてその香りに酔いしれていると、殿下がほうっと溜息をつくのが分かった。


「……生きていてくれてありがとう、ルーナ」


 贈り物の花束を抱きしめただけでこの反応は、少々気恥ずかしいものがある。腐っても彼は私の初恋の人なのだ。無闇に甘ったるい言葉を吐くのはやめてほしい。


 動揺を悟られるのが嫌で、思わず殿下から顔を背け、花束をまじまじと見つめる。色とりどりの花束の中には名前の分からないものもあった。


 殿下は私の好きな花を知りたかったようだが、好きな花、なんてあまり考えたことも無かった。生きているお花は大体なんでも好きだ。


 でもそれを伝えるのも癪だから、にこにこと微笑むだけに留めておいた。せいぜい私の好きな花を探って奔走すればいいのだ。


 そんな意地悪なことを考えているというのに、目が合っただけで殿下は嬉しそうに頬を緩める。公の場ではあんなに無表情だったのが、嘘みたいだ。


 無闇に触れようともしない辺り、私が生きているだけでいいと言った彼の言葉は本当なのだろう。私の何をそんなに愛しているのか知らないが、ひたむきな人だ。


「君は本が好きだと思って、離宮の蔵書を増やすことにしたんだ。早いものは明日には届くだろうから、好きに読んでくれ」


 退屈しない限りは生きていると告げた私の言葉を、彼は真摯に捉えているようだった。彼を困らせたくて言い始めたことなのに、困ったことにこの人は王子様だから、大抵の望みは叶えられてしまうのだろう。私の我儘に辟易するどころか、嬉々としてあれこれと手配する姿に、調子が狂う。


 改めてぎゅっと花束を抱きしめた。こんなに大きな花束を飾ったら、この離宮は華やいでしまうだろう。殿下のせいだ。


「……その花束がそんなに気に入ったのか?」


 答えを返すこともなく、ふいと彼から顔を背ける。甘い香りが纏わりつくようだ。


「殿下」


 どこからともなくガーネットがやってきて、ちらりと彼女の様子を見やれば殿下に椅子を差し出していた。私の座っている椅子に向かい追うように置かれた椅子に、殿下は腰かける。


「お嬢様、お花を活けて参りますね。ここのテーブルに飾りましょう」


 私の傍にあるティーテーブルのことを言っているのだろう。私はおとなしくガーネットに花束を手渡して、膝の上で指を揃えた。


「……何か、君が楽しめるような話の一つでも出来たらいいんだが……」


 殿下はどこか自信なさげに視線を泳がせていた。それを見たガーネットが丁重に花束を抱えたまま微笑む。


「離宮の外の様子をお話しなさればよろしいのでは? ここから外の世界のことはあまり窺い知ることが出来ませんから」


「そうか……そうだな」


 それから殿下は、私に外の世界のことや、王城で起こった出来事を色々と口にした。このところ私が黙り込んでいるせいか、殿下は少しずつ口数が多くなってきたように思う。


 心地の良い声だ。悔しいけれど私はこの声を聞くと安心してしまう。


 許す許さないは別として、彼の隣はどうやら居心地がよさそうだ。それをどこか悔しく思いながらも、私は日が暮れるまで、殿下の話に耳を傾け続けたのだった。

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