第8話 離宮の宝石たち

 それから間もなくして。


 一しきり泣き終えた私は、メイドの首の傷を診ているところだった。元聖女候補として、神殿に運ばれてくる怪我人の治療などを見守っていたこともあり、それなりの知識は持ち合わせているのだ。


「……痛みますか?」


 メイドとソファーに向き直るようにして座っている形なのだが、メイドは今も恐縮したように肩を震わせている。


「それほどでもありません。お嬢様……このくらい何ともありませんので、どうぞ放っておいてくださいませ」


 メイドは私を目を合わせようとはせず、ともすればすぐに俯いてしまう。首の傷が見えづらくなってしまうので、そのたびに上を向くように促しているのだが、彼女は顔を上げていること自体が苦手なようだった。もしかすると、顔の右半分を覆うような火傷の跡を気にしているのかもしれない。


「でも、皮膚が切れています。きっと湯浴みの時なんかには痛んでしまうでしょうから、包帯でも巻いておいた方がいいと思うのです。……ここにはあなた以外に使用人はいないのですか?」


 私の身の回りの世話をしてくれていたのは彼女一人だが、温かい食事が出てくることといい、広い離宮中が綺麗に保たれていることといい、他にも使用人がいても不思議はない。


「いるには、いるのですが……その……」


 少女は戸惑うように視線を揺らすと、やがて意を決したように口を開いた。


「皆……私と同じような醜い火傷の跡があるのです。とてもお嬢様の目に触れられるような見目では……」


「そんなこと少しも気にしません。もしもここに来てくださるのなら、包帯と消毒液を持ってきてもらいたいのです。もしだめなら、私が取りに行きますから場所を教えてください」


「そんな、お嬢様が取りに行くなんて……! お嬢様の方がよっぽどひどい怪我ですのに!」


 少女は私の右肩の傷のことを言っているのだろう。確かに怪我の程度で言えば私の方がひどいのかもしれないが、私のせいで傷つけられてしまった彼女を放っておけるはずも無かった。


「それなら、他の皆さんを呼んでくださいますか? ちょうどいい機会です。皆さんにご挨拶もしたいですし」


 どうやらこの離宮での生活は長期戦になりそうだ。それならば私の身の回りの世話をしてくれている人たちとは、一度顔を合わせておきたかった。


「……承知しました。お嬢様がそう仰るのなら」


 少女はメイド服のエプロンから小さなベルを取り出したかと思うと、ちりんと涼やかな音を響かせた。これで離宮中に聞こえるのだろうか、と不思議に思ったが、間もなくして広間の方から二人の人影が近づいてくる。


 二人とも灰色の瞳と灰色の髪を持つ、そっくりな顔立ちの男女だった。やはり、年のころは私と同じくらいだ。


「ガーネット、この部屋に呼び出すなんて一体——」


 灰色の髪の少女がそう言かけたところで、はっと口を継ぐんでしまった。どうやら私がいたことは予想外だったようだ。


 慌てて逃げ出そうとする二人に、ガーネットと呼ばれた目の前の少女は呼びかける。


「オパール、クリス、悪いけど包帯を取ってきてくれる?」


「お嬢様が怪我でもしたのか?」


 灰色の髪の少年が浮か窺うように私とガーネットを見比べた。ガーネットは安心させるような笑みを浮かべる。


「私がちょっとね。事情は後で話すから、お願いできる?」


「……分かった」


 ガーネットの言葉に二人は包帯と消毒液を捜しに行ってくれたようだった。ここ数日で久しぶりに新しい人の顔を見たせいか、何だか新鮮な気持ちだ。




 その後、オパールとクリスが持ってきてくれた消毒液と包帯でガーネットの傷の手当てを終えた私は、三人から自己紹介を受けていた。


「改めまして……私は、ガーネットと申します。この離宮では、お嬢様の身の回りのお世話を仰せつかっております」


 仮面をつけていたメイドことガーネットは、深い赤の瞳を揺らしながら、やっぱり俯き気味に言葉を紡いだ。顔の右半分を覆うような火傷のせいか、どことなく自信なさげな素振りだ。


「あたしは、オパールと言います。この離宮ではお掃除とかお洗濯とか……出来ることは何でもやってます」


 溌溂とした笑顔で自己紹介をしたのは、灰色の髪と灰色の瞳のオパールだ。どうやら左半身の所々に火傷を負っているらしいのだが、メイド服の上からは、首のあたりにある火傷だけが確認できた。


「僕はクリスです。オパールの双子の兄で……ここでは料理を担当しています。お口に合えばいいんですが……」


 はにかむように告げたのは、やはり灰色の髪と灰色の瞳を持つクリスだ。オパールと双子というだけあって、二人の顔はどことなく似ている。彼もまた右手に火傷の跡があった。


「……私たちは同じ孤児院の出身で、孤児院が燃えてしまった時、命からがら逃げだした仲間なんです」


 ガーネットは俯き気味に説明してくれた。晴れやかな表情とは言い難い。


「皆さんの火傷は、そのときに……?」


「ええ、まあ」


 クリスがガーネットを労わるように彼女の肩を撫でる。オパールもまた、ガーネットの手を握って励ますような笑みを向けていた。


「……すみません、お嬢様。こんな顔を長い時間晒してしまって……。明日からは仮面が外れないようにもっとちゃんと調節いたします」


 ガーネットは肩を落として、膝の上に乗せた仮面を見つめていた。やはり、火傷の痕を気にしているようだ。


「……その、無理に仮面をつける必要はないのですよ? これから暑くなることでしょうし……お仕事をしづらいでしょう。もちろん、着けてる方が気が楽だと言うのなら、そのままでもいいのですけれど」


 怯えさせないようになるべく柔らかく微笑みかければ、ガーネットははっとしたように顔を上げた。


「っ……私のこの顔が、恐ろしくはないのですか? 街行く人は皆、私の顔を見て笑うか罵るか、その二択でしたのに……」


「ちっとも怖くありません。あなたの瞳は、名前の通りとっても綺麗な赤色なんですね」


 思わずガーネットの頬に触れてまじまじと赤色の瞳を見つめれば、彼女は酷く戸惑ったように視線を泳がせた。やがてぽろぽろと涙を流し始めてしまう。


 少し、図々しかっただろうか。久しぶりに殿下以外の人の顔を見られたのが嬉しくて、不躾な真似をしてしまったようだ。


「あ……その、ごめんなさい、ガーネットさん。不快な思いをさせてしまいましたね……」


「っ……違います、ただ……嬉しくて……」


 涙ながらに応えるガーネットの背を、クリスが摩りながら彼女の代わりに説明してくれた。


「……僕たちはこの火傷を負ってからというもの、行く先々で醜いと石を投げられて生きてきたんです。僕とオパールはともかく、ガーネットは顔に火傷痕がありますから、余計に酷かった」


 それは、私には想像しえない世界の話だった。この王国には孤児となってしまった子供たちがいて、不当に扱われている話だけは知っていたが、いざ体験談を目の前で語られると生々しさが違う。


 私が今までしてきたことと言えば、綺麗な聖女の装束を纏って、整備の整った孤児院を慰問したことくらいだ。孤児院の子どもたちが楽しそうに笑っているのを見て、勝手に安心していたけれど、あれは孤児の中でもごく一部の、恵まれた施設に入った子どもたちの姿に過ぎなかったのだと思い知る。


 それで何かをしたような気になっていたのだから、途端に自分が恥ずかしく思えてならなかった。


「僕とオパールが火傷痕を隠して、たまにもらえる仕事で僕らは命を繋いでいました。路地裏で三人で身を寄せ合って生きていたんです」


 簡単に言うが、雨風すら凌げないような路地裏で、年端も行かぬ子どもたちが生き抜くのはどれだけ大変だっただろう。私などには、とても想像できない。


 飢えと渇きだけはこの二日間の断食で少しだけ理解できるようになったのかもしれないが、自分の意思で行ったことと、どうあがいても食べられないことでは心の余裕がまるで違うはずだ。


 その状態から、こうして王家の所有する小さな離宮で立派に仕事をこなせるようになるなんて。


 素晴らしいことだと思うが、どうにも腑に落ちない部分があるのも確かだった。王城や離宮に仕えることのできる使用人は、誰もが身分の確かな、恵まれた者たちだけのはずなのだから。


「……失礼ですが、この離宮へはどのようにして勤めるようになったのですか?」


 この問いに、三人は僅かに戸惑うように顔を見合わせたが、やがてオパールが口を開いた。


「もう何年も前に、たまたま城下を訪れていた王太子殿下があたしたちを拾ってくださったんです。それ以来、殿下のお計らいでこうして離宮に勤めさせてもらっているんですよ」


「……殿下が?」


 殿下のことを考えただけで明らかに低くなった私の声に、彼らは私に同情するような笑みを見せつつも、ぽつぽつと告げた。


「……私の顔を見て怯えなかったのは、お嬢様と殿下だけでした」


「お嬢様にとっては、きっと憎らしいお相手なのでしょうが、僕らにとっては恩人なのです。僕らの名前だって、殿下がつけてくださったんですよ」

 

「っ……」


 彼らの目に嘘はなかった。殿下への恩義を感じ、彼を大切に想っている様子だ。彼らを前に、私はどんな表情をしていいのか分からなくなってしまう。


 昔は誰より心優しい少年だったことを思えば、不当に虐げられている孤児の彼らを見て放っておけず、こうして働き口を紹介したと言われても納得できるが、この数日の私への横暴を思うと、どうにもちぐはぐな感じがしてならなかった。


「殿下は先ほど、ガーネットさんのことを殺そうとしましたわ。……半分は私のせいでもありますけれど」


 怒りの滲んだ私の言葉に、三人は再び困ったように視線を泳がせた。どうしても殿下の優しさを認めたくない私の意地が浮き彫りになった気がして、何だかこちらも気まずくなってしまう。


「殿下は」


 数秒の沈黙の後、口を開いたのはガーネットだった。


「それだけお嬢様にお食事を摂って頂きたかったのでしょう。それに、私のことだって本気で殺すつもりはなかったと思います。お嬢様が私を見殺しに出来ないお優しいお心の持ち主であることを利用して、あんな風に脅したのだと思いますよ。……穏やかな振舞でないことは、確かですが」


「……あの方は何を考えているのでしょう? 私を捕らえておきながら、殺すわけでも傷つけるわけでもなく、こうして心配するような素振りを見せるなんて……」


 いっそ気持ち悪いくらいだ、とは言わないでおいた。殿下は、今はどうあれ、彼らにとっては恩人であることに変わりないのだから。


「その辺は、あたしたちもずっと考えているんですよ。詳しいことを知っているわけじゃありませんが、殿下はいつだってお嬢様のことを楽しそうにお話になっていたのに、こんな仕打ちをなさるなんて……」


「……殿下が私のことを?」


 それはあまりにも意外だった。こんな真似をしてまで私を聖女の座から引きずり下ろしたからには、私のことなどわざわざ言葉にするほどの関心事ではなかったものだと思っていたのに。


「こればかりは、僕らにもどうにも分かりません。直接お尋ねしても、はぐらかされてばかりなんです」


 彼らにも分からないのなら、私には尚更知る由もない。殿下の思惑も、先行きも見えない現状が不安でたまらなかった。


 だが、そんな私を励ますようにガーネットが口を開く。


「……時間が経てば見えてくることもあるかもしれません。今はお怪我を治すことに専念なさって、少しずつ本当のことを探っていきましょう。私たちもお手伝いいたします」


「ガーネットさん……」


 陰鬱な離宮生活に突如現れた三人の頼もしい少年少女たちに、どうにも励まされてしまった。ガーネットの言う通りだ。女神の御許に行くことばかりを考えずに、真実が見えてくるまで、もう少しだけ頑張って見てもいいのかもしれない。


「ありがとうございます、皆さん。……これから、よろしくお願いいたしますね」


 改めて挨拶をすれば、三人とも柔らかな微笑みを向けてくれた。塞ぎこみそうだった気持ちを救ってもらったことに感謝しながら、私はひとまず、この怪我をきちんと治すことを心に決めたのだった。

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