第20話 蒼紅の炎
「う、らぁっ!」
炎を纏った拳が矮躯の『呪魔』の頬を打ち抜き、勢いよく吹き飛び朽ちたコンクリートの壁へ激突した。
殴った感触は酷く軽い。
だというのに消えない何かがこびりついた気がして、きゅうと胸が締め付けられる。
べしゃりと壁に張り付いた『呪魔』はビクビクと痙攣し、地面に落ちて黒い靄へ姿を変えた。
「大丈夫ですか?」
「あ、ありがとう」
「うわぁぁぁあん!!」
泣きじゃくる子供に抱きつかれた女性の無事を確認し、次の『呪魔』がいるであろう場所へと急行する。
移動にも時間は掛かるし、『呪魔』の数も多い。
唯一の救いは一体一体の強さがそれほどじゃないってことだけ。
ただ、これでは長くは持たないから早く応援の呪術師が来てくれると嬉しいけれど。
「――ううん、応援が来なくても陽菜が頑張らないと。二人に無理はさせられない」
力が劣っていても、万全に動けるのは陽菜だけ。
だから二人をゴンドラの中に置いてきたけれど、やっぱり心配だ。
海涼ちゃんはともかく、はるちゃんは多分……いや、絶対に顔も知らない誰かを助けようとするから。
――陽菜も、そうやって助けられたから。
「……嬉しかったなぁ、もう駄目だと思った時にはるちゃんが手を伸ばしてくれた時は」
それは陽菜が呪いと邂逅した日。
燃え盛る業火の中、灼熱の空気が焼き焦がす地獄。
逃げることも出来ず死を待つだけだった陽菜に、「生きててよかった」と火傷と煤だらけの手を差し出した少年――琥月遥斗の姿。
諦めなくてよかったと心の底から歓喜した。
この出会いは、この手は――偶然。
でも、偶然で終わらせたくなかったから陽菜はここにいる。
いつか隣に並び立てるようになる為に。
だからこそ、わかる。
陽菜が何を言っても、はるちゃんは誰かを助けるためなら簡単に無茶をする。
それを陽菜は止められないと思う。
二度も命を助けられた陽菜にははるちゃんを止める資格なんてない。
「陽菜がもっと頑張らないとなのに。まだまだ、足りない」
ひび割れた地面を踏み締め駆ける。
荒廃したテーマパークは不気味で、楽しげな雰囲気は霧散していた。
無人で回り続けるメリーゴーランド。
キーキーと軋む劣化した金具の音。
倒れて放置されたベンチや自動販売機。
午前中の様子は白昼夢だったのかと錯覚してしまうようだ。
あるのは血と惨劇、巻き込まれた人が響かせる悲鳴と泣き声。
「っ、遅かった……ごめん、なさい」
はたと立ち止まって無惨に食い荒らされた人の残骸へ手を合わせる。
人の死は何度か目の当たりにしたけれど、一生慣れることはないだろう。
その時はきっと、人として壊れているから。
込み上げる激情を脳の奥へと沈めて、きっと仇は取ると祈りを捧げる。
後悔は全てが終わってからにしよう。
悩めば悩むだけ無事な人を取りこぼすかもしれない。
「次は――ッ!?」
その場を離れようと走り出した時。
嫌な感覚が背筋を這い上る。
死神の鎌が添えられたような、えもいえぬ不快感。
培ってきた勘だけを頼りに間髪入れず背後へ飛び退く。
轟と寸前まで陽菜がいた場所を横から蒼炎が薙いだ。
超高温で熱され沸騰した地面を飴細工のようにペロリと舐めとり、灼熱の風が皮膚を焼く。
もう少し遅かったら……ううん、考えるのは後。
そんな余裕、ないから。
「――人間」
低く掠れた男の声。
晴れた蒼い火の粉の向こう側には、山のような巨躯で佇む双角の鬼。
身を包む和服は古めかしく見える身体は筋骨隆々としている。
唯ならぬ存在感、放たれる呪力の濃密さに当てられて知らずのうちに汗が頬を伝った。
疑う余地はなく目の前の『呪魔』は強い――陽菜よりも。
「我、獄鬼と名を授けられし呪也。地獄の蒼炎、とくと味わうがいい」
「名前持ち……それなら納得かな。でも、そんなことはさせない――ここで陽菜が祓うから」
臆するな、前を見ろ。
あの鬼が死を体現した存在であろうとも、陽菜は背を向けられない。
真正面から立ち向かう人の背を幾度となく見てきたから。
陽菜自身もそうありたいと憧れ、願ったから。
届かないかもしれないけれど。
それでも。
「――その覚悟や潔し。其方に敬意を評して我は己が焔に誓おう。『この身朽ち果てようとも、|延々(炎々)と燃ゆる|大禍(大火)とならんことを』」
宣誓。
途端に膨れ上がる呪力の圧。
蒼白い炎を全身に纏い、温度差でゆらゆらと陽炎が生み出された。
熱された空気が肺腑を焦がす。
長期戦は厳しそうだね……それなら、陽菜も始めから全力全開で行くしかない。
左手を前に、右手を後ろへ引き半身の構え。
練り上げた呪力を熾して、紅く輝きを放つ紅炎が渦を巻く。
「いくよッ!」
静寂を裂いた靴音。
蒼紅の炎が天へ昇り、弾けた。
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