第36話 行くよ
「まさかとは思いますが、自分の身体の悲惨を理解していないんですか? ボクはそこまではるはるが馬鹿じゃないと思いたいんですけど、そのあほ面を見る限り色仕掛けして正解でした」
表情は猫のように緩んでいるが、声だけは抜き身の刃のように鋭く刺々しい。
二の句が継げず停滞した思考。
再起動に数秒を要し、ようやく浮かんだ言葉を紡ぐ。
「……お前、色仕掛けのつもりだったのかよ」
「なっ、ボクの身体が魅力的じゃないとそう言いたいんですか!? 酷いです! 傷つきました! 慰謝料としてはるはる成分一年分を請求します!」
「絶対傷ついたとか嘘だろ」
「でも一世一代の色仕掛けは本当ですし……効果はそこそこにありましたし? 文字通り一肌脱いだ甲斐があったというものです」
「気が済んだなら服を着てくれ。いい加減……その、目のやり場に困る」
なにしろ、今の天音は下着姿。
視界の肌色占有率は驚異的な数値を叩き出しているところだ。
天音とはいえ、普段は絶対に見ることの無いそれを見るのは躊躇われた。
その言葉を聞き届けた天音が悪巧みを始めたのか、含みのある笑みを湛えて、
「ははーん? さてはボクの抑えきれない大人の色香に悩殺されて――」
「それはない」
「まさかの即答っ!?」
がーん、と露骨に肩を落とす……振りをして直ぐに気を取り直したのか一歩前へ。
密着したパジャマの薄い生地と肌の間で、天音のやや高めな体温を伝えた。
頬を撫でるミルクティー色の髪に乗った甘い香りが不意に意識の隙間を満たす。
耳元まで近づいた口が、そっと囁きかける。
「――はるはるだけが背負う必要なんて、どこにもないんですよ」
甘く蕩けさせるような熱の込められた声。
おどけた様子も、冗談めかしてはぐらかす気配もない、明らかに毛色の違う言葉。
「こんな時にまではるはるが自分をすり減らしながら誰かを助ける意味ってなんですか? 自己満足? 英雄願望? ええ、大いに結構ですよ。でも――ボク以上の身勝手は絶対に許しませんからね」
一方的に言い放った言葉の楔。
ぎり、と見えない鎖で拘束されているようで。
反論なんて受け付けないと言われているようで。
けれど、俺を心配して言っていることがありありと伝わって。
胸が、じくりと痛んだ。
「幸いなことに呪術師連中の戦力は相当にあります。今回の核――薊もこのままならシスコンが迎撃するでしょう」
「……ちょっと待て。今回の元凶が薊?」
「状況証拠的に一番可能性が高いのは薊ですね。既に薊としての自我があるかも怪しいですが……今は置いておきましょう」
追求を避けるように、天音は話を切り替える。
しかし、そこには聞き捨てならない言葉が混じっていたのを覚えていた。
「冷士さんが
「ボクの予想通りなら、ですけど」
天音の予想は良くも悪くも当たる。
俺が薊の立場なら、なぜ防御が硬い協会を狙う?
「……呪いを奪うため?」
「珍しく当たりです。ここには沢山の呪いが、呪術師が集まっていますから。はるはると『祟水蒼牙』なんてその筆頭ですよ?」
「俺を狙って薊が襲撃に来る……なら協会から離れないと」
「だーかーらー、そうしなくても良いようにシスコンをここに置いてるんでしょう? それにはるはるが離れるのはもっと危険です」
「――最後まで何もせず見ていろって言うのか」
「そうです。どうせ何も出来やしないんですから大人しく――っ」
我慢の限界だった。
衝動に任せて動いた身体は天音の肩を掴んで――気づけば、壁際のベッドへ押し倒していた。
山積みの服をクッションにして仰向けの天音を正面から見下ろす体勢。
図らず形勢逆転を果たしたものの、自分がやってしまったことを冷静に受け止めた瞬間、感情がすっかり冷めてしまった。
ベッドに押し倒して見つめ合う、なんて構図が出来上がってしまったわけで。
「ボクをそんなに好きにしたいんです?」
「馬鹿言うな。これはその、あれだ。手が滑ったとかそういうの」
「ひょってしてボクのことなんてアウトオブ眼中って言われてます? 乙女のハートが傷物になっちゃいましたよ」
にへらと頬を緩めた天音に少しでも緊張していたのが馬鹿らしくなって、体勢を戻してベッドの空きスペースへ腰を落とす。
隣で天音も起き上がる……かと思えば仰向けに寝たままだ。
「……怒ってますか、さっきのこと」
「『どうせ何も出来やしない』ってとこか? それ自体は事実だよ……認めたくないけど。認めたくないから今も必死に藻掻いて、それでも水の底で溺れたままだ」
「……そうでもないと思いますけどね。や、ボクにはるはるが抱える悶々とした感情の全てを推し量ることなんて不可能……頑張れば出来そうですね。その水の底って浅そうですし」
「おいこら」
「冗談ですよ。どんなに浅くても深くても、苦しいことに変わりないですから」
その言葉にはどこか実感のようななにかが込められているような気がして。
思わず、口を噤んだ。
「本当に、戦うんですか?」
「ああ」
「次こそ死ぬかも知れませんよ」
「ああ」
「怖くないんですか」
「いいや、怖いさ。でも、何も出来ずに見てるだけの方が、よっぽど怖い。それに――みんな、待ってるから。無事に帰れなかった時を考えると震えが止まらないね」
もしも、なんて心配事が尽きることは無い。
昔も今も、未来もきっと。
だけど足踏みしてたらそれこそ何も変わらないし、変えられない。
死に物狂いで戦って掴み取った先にしか、俺が望む明日はないのだろう。
だから……という訳では無いけれど。
「俺は、行くよ」
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