第37話 『観測者』
「俺は、行くよ」
揺るがぬ決意を言の葉として示す。
それから何秒と静寂が流れて。
「……です、か。はぁぁ……結局こうなるんですね。わかってはいました、けど。ボクは端役ではるはるは主役、きっとそういう違いですかね」
「なんか悪いな。全部俺のためだったんだろ」
「ボクが損をしてるような言い方やめてくださいよ。好きでやったことですし、初めから勝算がゼロの彼方なんてことはわかりきっていましたし。本当に無駄な労力でした」
「そこまでいうのか……」
「言いますよ。だから、その労力への報酬くらいはねだってもいいですよね」
よいしょ、と起き上がった天音が俺の背に背を合わせて座り込む。
互いの姿が見えないまま両手を握り、
「――はるはるがいなくなったら、揶揄う相手が減って割と人生楽しくないので。ちゃんと、帰ってきて下さい」
「わかった」
「それと、もう一つ。もしも本当にダメだと思ったら、助けを呼んでください。必ず、助けます」
「そうならないのが一番だけど、覚えておく」
約束を、交わした。
平和な日常に戻るための道標を手にして。
死ぬ気なんて微塵も感じない。
感傷に浸る間もなく、ベッドから立ち上がろうとした俺の手に硬い感触が滑り込んだ。
見れば、コルク栓で閉じられた小瓶の中に白い小粒の錠剤が三つ入っている。
「これは?」
「こんなこともあろうかとボクがさる筋から入手してきた安定剤です。少しは呪力障害の痛みもマシになると思います。後々の副作用に目を瞑れば、ですけど」
「あからさまな危険物渡すなよ……」
出典をぼやかす時点で碌でもない物品であることは確定だろう。
けれど気にしている猶予はない。
「ありがとな」
「後で貯金から引いておくので気にしないでください」
「因みにお幾ら?」
「ざっとこのくらい」
天音は両手を広げて見せた。
十万……百万……いや、一千万?
あの笑みから考えて後者だろうな。
なんてもん押し付けてんだと言ってやりたかったが、ある種の信頼の証なのだろうか。
「あっ、そうだ。服も着替えません? パジャマで戦うのはちょっと見てられないので」
――タダより高いものはない。
そんな言葉があるように天音の行動がタダの善意であるはずがない。
至極当然に存在する大前提がその時の俺からはすっかりと抜け落ちていたのだ。
「――で、何か言うことはあるか?」
「馬子にも衣装とはよく言ったものですね♪」
「いっぺん辞書で意味調べてこい」
というのも。
「軍服ワンピースとかどっから出てきたんだよマジで……」
文字通り軍服めいたシックなデザインのワンピースである。
夜闇を束ねたかのような艶のある黒の布地と、所々に煌めく金色の装飾が高級感を醸していた。
ふわりと大きく膨らんだスカートは踊るように軽く、コルセットで引き締められた腰周りをより美しく魅せる。
随所に散りばめられたフリルがしつこくない可愛らしさを演出し、さながら洗練された美術品のような出来栄えだ。
履き替えた厚底のブーツの踵を鳴らしながら、俺を指さしてベッドで笑い転げる天音を睨めつける。
一見コスプレのように思えるそれは、無駄に作りがしっかりとしていた上に誂えたかのようにサイズまでピッタリ。
左耳に嵌めた通信用のイヤホンと首に装着した咽喉マイクは本物だ。
「どこでサイズ測ったんだよ……」
「この間泊まりに行った日の夜に測りました!」
「やっぱり蹴り出せばよかった」
今更後悔しても遅いのは理解しているが、言わずにはいられなかった。
「因みにそれ手作りです」
「無駄に無駄な手間暇かかってんなぁ!?」
「そんな褒めないでくださいよ照れるじゃないですかー」
この完成度なら売りに出せるレベルだろうに、才能の無駄遣いが否めない。
本人が半ば遊びで作ってるのも酷い話である。
「一応耐呪加工もしてあるのでそれなりに丈夫ですが胸の辺りは気をつけてくださいね」
「なんで胸だけ?」
「そりゃ戦ってる最中に攻撃を受けたらこう、ポロリが――って嘘、嘘ですから! DV反対です!」
「そもそもお前と家族になった覚えはない!」
変わり身が早すぎる天音に構ってる暇はないのを思い出して、握っていた拳を解いて回れ右。
「もう行くんですか」
「まあ、な。心配してくれてるのか?」
「まさか。ゴキブリ並にしぶといんですから」
「……もっと別の喩えなかった?」
「じゃあプラナリアで」
「……まあ、ゴキブリよりかはマシだな」
そもそもゴキブリに人を喩えるなというのはおいておいて。
一つ、深呼吸を挟んで一歩踏み出し、
「――行ってくる。また後でな」
「ええ。また後で」
短く言葉を交わして、俺は天音の部屋を後にした。
▪️
電子ロックがかかり、しんと静まりかえる部屋。
遥斗を見送ったまま視線が宙を泳いでいた紅い瞳が、諦めたかのように伏せられた。
そのまま後ろへ倒れ込み、ベッドへ背を預け天井を仰ぐ。
「――行っちゃいましたね。自分勝手で困っちゃいますよ全く」
自分を棚に上げた悪態を吐きながらも彼女は薄く微笑を浮かべ、ぱちりと目を開く。
『これで良かった』のだと鏡写しの自分が告げていた。
感傷に浸るのもそこそこに、起き上がっておもむろに椅子へ座す。
「さて、と。啖呵を切った手前、ボクも久々にやりますかね」
そう呟きながらカラコンを外し、顕になるのはルビーの如き深紅の双眸。
デスクの棚を引いていつもの度の入っていない眼鏡をかけて、遥斗に渡した錠剤と同じものを一つ口へ放り込んで奥歯で噛み砕く。
カチリ、頭の中でスイッチが切り替わる。
琥月遥斗の専属職員としての榊天音から――特級呪術師『
瞬間、脳内に街を上空から俯瞰した景色が映し出される。
強烈な負荷は慣れっこという風に、天音は誰に見せるでもなく不敵に笑う。
「戦況は
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