第38話 後はわかるだろう?
「おかえり、遥斗くん。その服は……」
「聞くな……何も聞かないでくれ……」
協会のホールへ戻った俺へ声をかけた冷士さんの追求を『察して』と意味を含めた視線で制し、話を聞かれないようにすぐ隣へ。
ホールは変わらず喧騒に満ちていて、協会の職員が対応に追われていた。
無理もない、命の危機に恐怖を感じるのは当たり前のこと。
ましてや『呪魔』なんて得体の知れない化物が相手では尚更だろう。
「……大変だね、相変わらず。それで、話は纏まったみたいだね」
「事前に中身を知っていたんですか」
「推測だけだよ。行くんだろう? そういう顔をしている」
そう指摘されて、つい顔を両手でぺたぺたと触ってみる。
指が沈むほど柔らかい頬、すべすべとした肌。
鏡がないから表情がわからないが、これといって指標になるものがあると思えなかった。
「――遥斗くん」
唐突に浴びせられた真面目な声に釣られて顔を上げた。
「君ばかりに、本当に苦労をかける」
「いいや。冷士さんがここを守ってくれるから、俺は気負うことなく戦えます」
「だけど、本来今の遥斗くんは戦うべきじゃない。守られて然るべき……いや、今のは忘れてくれ。それを理解しながら赴く覚悟を侮辱する言葉だな」
「そんな高尚な理由なんてありませんよ。俺は助けを求める人を昔の自分に重ねて、自己満足に耽っているだけですから」
誰かを助ければ、あの日自分だけが助かってしまった贖罪になる気がして。
どれだけ
それでも、そうだとしても。
見て見ぬふりで後悔はしたくないから。
「――一つ、頼みを聞いてくれますか」
「うん」
「陽菜と海涼が無茶をしないように、少しでいいので気にかけておいて貰えませんか。公私混合は良くないですし、無理にとは言いませんが――」
「何を当然のことを言っているんだい?」
飄々とした笑みを浮かべ愚問だと言いたげに口の端を緩めて、
「僕はここを守ると宣言した。それは名も知らない呪術師であっても、知り合いであっても、避難してきた人達であっても同じこと。ましてや身内なら尚のこと。大船に乗ったつもりで任せてくれ。誰一人として死なせやしないよ」
当たり前の事実を羅列するように冷士さんは言ってのけた。
数え切れないほどの人の命を背負う『重さ』は想像を絶するものだろう。
精神を押し潰されるような重圧すらも跳ね除けて立ち続ける冷士さんは、絶望に瀕した人には天から差す一条の光にも等しい。
これで極度のシスコンじゃなければ……まあ、天は二物を与えずとも言うし。
そんな時、協会の扉が勢いよく開かれ一人の呪術師が冷士さんのもとへ焦燥を露わに駆け寄ってきた。
「――氷上さん、大変ですっ!」
「大丈夫だ、まずは落ち着いて。僕もわかっているから」
冷静な対応は避難してきた人を不安にさせないための配慮だろう。
冷静さを取り戻した男性が、現場の最高階級たる冷士さんの判断を待つ。
「……よし。外の呪術師を結界の近くまで引き戻そう。この数の『呪魔』を一々相手にしていたら日が暮れてしまうからね。僕が全て受け持つよ。すまないけど皆に伝えてきてくれるかな」
その指示で男性が外へ駆け戻り、さてと冷士さんが軽く手を鳴らす。
「僕が道を作ろう。遥斗くんはその隙に包囲網を抜けてくれ」
「わかりました。けど、それだと冷士さんの負担が」
「こんなのなんでもないさ。なにせ今日は――最愛の妹がいるんだ」
後はわかるだろう? と。
自信満々に笑ってみせるのだった。
協会を中心に張られた透明な対呪結界を抜けると、夜風に乗った呪いの気配が肌を撫ぜた。
赤褐色の天蓋、都市部が朽ちた成れの果てが荒れた道路の向こう側まで広がっている。
その先に蠢く異形の軍勢。
パレードのように練り歩く『呪魔』が人間の生存圏を踏み躙り、刻一刻と包囲網を狭めている。
隠れ潜んでいた蟲を見つけてしまったかのような、えもいえない悪寒が背を這い登り息を呑んだ。
冷士さんの指示で退避を始めている呪術師たちには、隠しきれない安堵の色が滲んでいた。
絶対的な戦力たる証――特級として名を馳せる存在の登場はそれだけで空気を一変させる。
「陽菜と海涼は……まあ見つからないか」
「乱戦だから仕方がない――おや、噂をすれば」
ここを立つ前に声くらいは掛けておこうかと探して諦める寸前に、冷士さんがある一方を指さした。
するとあちらも気づいたのか、二人揃って駆け寄ってくる。
「はるちゃん! 冷士さんも!」
「遅いですよ。それに、その格好は」
「気にするな」
「でも」
「気にするな」
少しばかり語調を強めて言うと、二人もそれ以上の追求はしなくなった。
代わりに事がすんだら絶対に根掘り葉掘り聞いてやると強い意志の篭った瞳を向けられる。
「二人も下がってくれ。冷士さんが出る」
「それはわかってるけど……はるちゃんがここにいるってことは、そういうことなんだよね?」
「……ああ。俺もちょっと、行ってくる」
相変わらず変なとこで察しがいいなと、陽菜の言葉に歯切れ悪く返す。
「何を言っても無駄なんだよね、きっと」
「子供みたいな我儘ですね。それでこそ先輩という気もしますけど」
「もしかして貶されてる?」
「まさか。褒めてますよ」
くすりと笑って海涼が言う。
強引にでも止められると思っていただけに、この反応は少々拍子抜けではある。
けれどその言葉を口にするのに少なくない葛藤があったのだと、俺から隠れるように握り締めた二人の手を見て気づいた。
しかし、口にするのは躊躇われた。
隠そうとしているのなら無理に暴く必要も無い。
それが俺のためについた嘘なら尚更だろう。
「お喋りはここまでにしようか。他の退避も終わったみたいだからね」
どうやら軽く話をしているうちに外で協会を防衛していた呪術師は下がったようだ。
『呪魔』の軍勢は目前まで迫っている。
しかし、だ。
冷士さんがしゃがんで右手の手のひらを地面にぺったりとつけ、
「――凍てつけ」
たった一言で、異変は直ぐに訪れた。
華が咲くように溢れた銀色の呪力が一帯をくまなく包み込む。
手のひらを起点として瞬く間に薄氷が地面を覆っていく。
さながら自分の領地だと示すように更に広がりを見せる。
侵攻を続けていた『呪魔』達の足を遅らせ、氷の枷によって捕縛し身動きを封じた。
極寒の風が吹き抜け――『呪魔』は身動ぎ一つ出来ない氷像へ姿を変えていた。
「――君たちには寒すぎたみたいだね」
ついやり過ぎた、と思ったのか苦笑を漏らしながら頬を指先で掻く。
とはいえ。
目的は十全に果たされたと言っていいだろう。
次は、俺の番だ。
「――行ってくる」
一言だけ伝えて、見えない繋がりを通じて愛剣『祟水蒼牙』を呼び出し左腰へ佩いて。
貯めていた呪力で身体を満たし、ピリリと全身を走る痺れのような痛みを意図的に無視して。
氷の地面を踏み抜き呪術で空中に作った透明な足場を渡って。
三人の声を背に受けながら、赤褐色の夜空に溶けるのだった。
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