第39話 『救う』ため
地上を凍てつかせた大規模な呪術の余波は空にも及んでいるようで、身体の芯から冷えるような空気が満ちていた。
素肌を曝している顔と両脚が特に寒く、よくもこんな防御力の低い服を着せてくれたなと天音へ脳内で文句を垂れる。
現実が変わるなんて有り得ない話だが、そう思わざるを得なかったのだ。
諦めついでに呪力を循環させて抵抗力を増しながら、さてと頭を回し始める。
「――行ってくるとは言ったものの、肝心の薊の居場所がわからないんじゃどうしようもないんだよなぁ……」
そもそもの話。
俺が薊を止めるために、まず見つけ出さなければ話が始まらないのである。
そして俺に薊を捜す手段があるかと問われれば、答えはノー。
「無策にも程があるだろ……」
後悔先に立たず……ちょっと違うか?
とにかく怪しい呪力を辿って虱潰しに探すしかないかと半ば諦めていた最中、ヒラヒラと白いものが俺に追随するように飛んできた。
目を凝らして見てみれば、それは薄っぺらい紙人形――俗に『
呪力を込めることで遠隔操作が出来る便利な呪具ではあるが、これがなかなか難しい。
それを姿が見えない程の遠距離から自在に操るとなれば、相当な腕前が必要になる。
一体誰が、と人形の動向を窺っていると、左耳に嵌めていたインカムから声が響いてきた。
『――てすてすー。あーあー。はるはるの胸はBよりのA〜』
「間違ってもマイクテストで話すことじゃないよな?」
『おっ、感度良好っ。ノイズもないみたいですね』
「人の話を……いや、いいか。で、このタイミングで声がかかったってことは、人形は榊のか」
『そゆことです。詳しい話は後回しで、薊の所まで誘導するので着いてきてください』
どうやら何らかの形で天音は薊の居場所を突き止めていたらしい。
相変わらず優秀なのは有難いのだが、知ってるなら先に教えてくれてもいいのではなかろうか。
だが、今は従うほかないだろう。
言い合っている時間すら惜しい。
『そういえば、今のはるはるを下から見たらパンツ丸見えなんですよねー』
「一瞬でも見直した俺が馬鹿だったよこの野郎」
ひらりと華麗な
反射的に左手で頼りないスカートの裾を押さえるも、相手が紙では虚しくなるだけ。
やり場のない感情を抱きながらも、誘導に従って空を走る。
眼下では、恐怖なんて感情を持たない『呪魔』が無謀にも協会を目指して侵攻を続けていた。
もし取り残されている人がいたら――そこまで考えてたところで首を振って迷いを捨て去る。
地上のことは冷士さんと他の呪術師達に任せよう。
今は薊に集中するべきだ。
気が緩んだまま戦える相手じゃない。
「……厳しいだろうな」
冷静に、彼我の戦力差を比較しての呟き。
テーマパークで初めて遭遇した時に感じた、押し潰されそうなほど膨大な呪力の気配。
されど、それを完全に包み隠して悟らせることのない制御力。
使用する呪術は本人の解釈で何処までも歪んでいくが、『奪う』という単純明快ながら強力無比な力の使い道はいくらでもある。
そして、俺と薊に存在する決定的な違い。
心は決まっているとはいえ、大きな枷になることは間違いないだろう。
俺は『救う』ために生きたい。
これまでも、これからも。
『なーんかしょうもないこと考えてません?』
「人の悩みをしょうもないの一言で片付けるな」
『どうせ最後は感情論で片付けるでしょうに』
「考え無しで悪かったな」
『そこまでは言ってませんって。それより――もう着きます』
その一言でおちゃらけていた雰囲気が霧散し、思考を薊だけに絞り込む。
直下には建物が薙ぎ倒され不自然に開けた広場。
中心に佇む黒服に左半分だけのペストマスクで顔を覆った男――黒羽薊で間違いないだろう。
妨害する気配は一切なく俺が降りてくるのを待っているようにも思える。
気が変わらないうちに地面へ着陸し、何時でも抜けるように左腰に佩いていた『祟水蒼牙』の柄へ右手を掛けた。
「――まさか自分から殺されに来るとは思ってなかったぞ、『千剣』」
低く、大して感情の篭っていない声音。
俺への興味などないのだろう。
歯牙にもかけない薊の態度に、なりを潜めていた闘争心が浮き上がる。
「死ぬ前提で話を進めんな。俺はお前を止めに来たんだよ」
「俺を止める? 大言壮語もここまで来れば見事なものだ」
嗤いながら、薊は右頬の黒い痣を撫でる。
黒いモヤの糸が指に纏い、横へ手を振り払うと虚空から一振の剣が現れた。
細長い板のような刀身にごびりついた赤黒い染みが不吉な様相を醸す無骨な剣。
俗に『
「――だが、俺をお前は止められない。何故かわかるか?」
「お前の方が強いから……ってか?」
「違うな。互いに信念を譲る気がないのなら、片方が死ななければ終わらない」
意外にも薊は『俺の方が強い』とは言わなかった。
変わりに持ち出してきたのは精神的な話。
相容れない思想の戦い……言い得て妙だ。
俺は助けを求めるのが人である限り、誰であっても助けようと手を伸ばす。
それは薊が掲げる『奪う』という御旗に真っ向から反抗するもので、必然として衝突が生まれる。
「ああ、そうかよ。じゃあ俺がやることは決まってるな。――死ぬ気で呪いの牢屋から引きずり出してやるよ。で、人間として罪を償ってもらう」
「不可能だな。出来るものなら――」
刹那、響く剣戟の音。
「――やってみろッ!」
「上等ッ!」
一瞬も気を抜けない鍔迫り合いの最中に、開戦の火蓋が切って落とされた。
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