第35話 遅かったですね
街一つを『呪界』に変える呪災なんて、そうそうお目にかかれるものじゃない。
呪災の核となる『呪魔』がそれだけ強力な存在であれば、事前に予兆くらい感じられてもいいはずだ。
海涼ほど感呪性が高いわけではないが、これでも特級。
相応には感じ取れる……はずだった。
「……いや、考えるのは後だな。先ずは海涼と合流して――」
そう考えて玄関へ向かおうとすると、ベランダに繋がる窓がコンコンとノックされた。
まさかと思いつつも引き攣った顔のままカーテンを開けると窓ガラスで隔てられたベランダに小柄な人影が映り込む。
水色のパジャマの上にパーカーだけ羽織った海涼である。
海涼もそっち側の人間になってしまったのか……と頭を抑えながらも、窓のロックを解除して海涼を部屋へ迎え入れた。
「無事か」
「海涼ちゃん!」
「見た通りです。私も警報で目が覚めましたから」
「そうか……きな臭いな」
「私は何も感じられませんでした。明らかに異常です。一度協会に向かって現状確認をするべきかと」
「そうだな。協会には対呪結界もあるし避難場所として開放されているはず。気を引き締めていこう」
「わかったよ!」
「行きましょう」
一様に頷き、サイレンがなりを潜めた『呪界』の街へ繰り出した。
外では予想通り、相当な数の呪魔が本能の赴くままに人を襲っていた。
必死に弄ぶような『呪魔』の追撃から逃れようと必死に走る人。
怯え、恐怖で足が竦んで地面にへたりこんでしまった人。
無謀にも生身で『呪魔』へ立ち向かって為す術なく殺されてしまった人。
既に事切れ、物言わぬ骸を晒す人……だったもの。
絶望と死の坩堝。
呪いという脅威に蹂躙されていた。
しかし、呪術師も動き出している。
明らかに統率の取れた動きで人の救助や誘導、『呪魔』の討伐をしている姿が散見された。
三人で固まって動いていた俺たちも避難場所である協会へ向かうと、そこには見慣れた顔が一つ。
相応の広さをもつ協会のホールだが、避難してきた人が場を埋め尽くし歩くのも一苦労。
陽菜と海涼を入口付近に残して、単身で冷士さんの元へと向かった。
「――やあ、遥斗くん。無事でなによりだよ」
「どうも。状況は?」
「苦しいね。なんとか協会周辺の呪術師が交代で救助や討伐に当たってはいるものの……」
「核になってる『呪魔』が見つからない、と」
俺の予想は正しかったようで、冷士さんが静かに頷いた。
それはつまり、『呪災』の自然消滅を待つしかない状況という訳で。
「……保つのか?」
「最大限引き伸ばして三日までだろうね。それ以上は備蓄がもたない」
「どの道、核を探し出さないと厳しいか」
「でも、今の僕達にそんな余裕はない。ハッキリ言って救助と雑魚を片付けるので手一杯。僕も動きたいけれど……これ以上避難してきた人を不安にさせないようにここに居ろって榊くんがね」
「妥当だとは思うよ。下手な呪術師が大勢居るより、冷士さん一人の方が心強い」
過大評価ではなく、それだけ特級とそれ以外には大きな隔たりがあるという証左に過ぎない。
人手が欲しい今なら最善手と言えるだろう。
指示を出しているのが天音の時点で手放しで褒める気になれないが。
「ところで、肝心の榊は?」
「いつもの部屋で遥斗くんを待っているよ。陽菜ちゃんと最愛の妹はこっちに加えさせて貰うよ。今は少しでも人手が欲しい」
「了解、二人のことは頼んだ」
「任されたよ」
頼もしい一言を受けて、俺は協会内部を奥へ奥へと進んでいく。
ホールだけでは場所が足りなかったのだろう、空き部屋にも避難してきた人が不安そうにひしめいていた。
薄暗い廊下に響いてくる泣き声を聞きながら、階段を上って二階へ。
せわしなく駆け回る職員さんとすれ違い、時に怪訝な視線を向けられながらも、最奥の辺鄙な立地の部屋が目的地。
クリーム色の扉をノックしてやれば、中から「どうぞー」と呑気な声が響いてくる。
ドアノブを掴んで扉を横にスライドさせて開けば、もう一枚扉が目に入る。
そちらは引き戸のようなデザインになっているが、扉を上へ押し上げると抵抗なく開いた。
そして電子ロックがついた最後の一枚へ指紋認証を行い、ブーブーと警告音が鳴ったかと思えば観音開きのように開く。
毎度の事ながら面倒極まりないデザインをした部屋の所有者をぶん殴りたくなる。
そう思うのも束の間、飛び込んできたディスプレイの眩しい明かりが目を焼いた。
手で光を遮って目を慣らし、ようやく部屋の主とお目見えするに叶う。
「遅かったですねー、はるはる?」
くるりと回った椅子に座ったミノムシのように毛布に包まった天音が、普段のようにそう告げた。
「遅かったってなぁ……しょうがないだろ。こんな状況じゃ」
「美少女を待たせるなんて、そんなんだから彼女の一人もできないんですよ」
「余計なお世話だ。それより、わざわざ呼びつけたんだから相応の理由があるんだろうな?」
「早い男は嫌われ――ってこのくだり前にもやりましたっけ? 記憶にないんですけど」
「知るかそんなしょうもないこと……」
心労からか発生した頭痛に悩まされながら、部屋の中へと足を踏み入れていく。
日常的に寝泊まりをしている部屋は、天音の性格が如実に反映された様相を醸している。
本棚に収められた本は並びもジャンルもバラバラで、入りきらないものは床に絶妙なバランスの塔を築いていた。
備え付けられたパイプベットには服が山をなし、使っているようには思えない。
かわりに床へ敷かれた布団で毛布にくるまって雑魚寝している姿がありありと想像できる。
意外にもごみらしいものはなく、デスクの上に飲みかけのコーヒーが入ったマグカップがあるだけだ。
「どしたんですか人の部屋をじろじろみてー。ベッドの上の下着は洗濯済みですよ?」
「そんなに俺を変態認定したいの?」
「違うんですか? 折角毛布の中は下着で待っていたんですけど」
「服を着てくれ頼むから……」
「ボクの勝手ですしいいじゃないですか。故意にガン見して脳内フォルダに録画するくらいなら訴えませんから」
「……もう勝手にしてくれ」
口で勝てるはずもなく、したり顔で笑う天音を野放しにしたのは苦渋の選択。
それより大事なことがあるはずなのに、こいつはどうして話をそらしたがるのか。
自称『天災的天才』は伊達じゃない……一体だれが得するのかは謎であるが。
「あーそうそう。はるはるを呼んだのは一つ頼みがあってでして」
気軽な口調でそう言って天音は椅子から床へと転がり落ちた。
はらりと毛布が解けて、俺の目に一面の肌色が飛び込んでくる。
先の宣言通り、黒い艶やかな下着だけを身につけた天音が貞子のように床を這って迫る。
背徳感とそこはかとない恐怖に駆られて後退り――背中に硬い壁の感触を感じた。
「なんで閉じて――って、その前に服を着ろ!」
「嫌です♪」
嫌にいい笑みで断りながら、ゆらりとあやつり人形のような挙動で立ち上がり――首の両側に勢いよく手のひらを突き出した。
目と鼻の先に迫った天音の顔、爛々と妖しい光を宿した紅い瞳と視線が交わり逸らせない。
バンッ、と鳴り響いた音がさっきまでの緩い雰囲気を打ち払い、思考に緊張が走る。
「……なんのつもりだ?」
「壁ドンって女の子の夢らしいですよ? ボクには理解できませんけど」
「やられてんの俺なんだけど」
「夢が叶って良かったですね♪」
軽口の応酬、しかし空気は張り詰めたまま。
天音の表情から真意を読み取ることは叶わない。
「まあ、冗談はこの辺にしときましょうか。ボクがはるはるをここに呼んだ理由……わかります?」
「おちょくるためか?」
「それはいつもやってますね。今日の目的は――はるはるを釘付けにするためです。馬鹿みたいに飛び出して戦わないように」
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