第34話 破滅のラッパ
「――ここ数日で『呪魔』による人身被害が六件、目撃証言は両手じゃ足りません。でも、それはブラフですかね。本命は恐らく……」
呪術師協会支部、支部長室――ではなく。
同じく支部内にある榊天音のために用意された一室に引き篭っていた。
床には外国語で書かれた分厚い装丁の本が積まれた塔が危ういバランスで幾つも聳えている。
壁際に置かれたデスクにはキーボードと飲みかけのコーヒーが入ったマグカップ。
湾曲した十数枚のモニターが壁一面を埋め尽くし、常に何かを映して消えることは無い。
デスクの前のチェアで毛布にくるまりながら送られてきたデータを精査する榊は、目を閉じて思考に耽ける。
そして、ぱちりと紅い目が開く。
「こっちが動けるのは事が始まってから、ですか。面倒ですし事後処理の用意くらいはしときましょうか。まあでも、どうせ――」
――はるはるが勝手に上手くやるでしょうし。
そう考えて、そうあって欲しくないと囁く心の声に呆れてため息を一つ。
珍しく憂いにも似た感情を露わにしながら、どうにかならないものかと画策する。
けれど、ああ。
――ボクじゃ止められないですね。
「ボクはただの専属職員。はるはるに見せるのは表の裏のボクだけでいいんですよ。裏の裏の
それは榊天音という人間が望んだ居場所。
折角手にした安息の地を手放したくはない。
けれど、壁を壊してくれた彼を危険な目に合わせたくもない。
ダブルスタンダードな感情の答えは天才の頭脳を持ってしても導き出せなかった。
「……なるようになれーって、放り出せたらどれだけ楽でしょうかね。まあ、初めから諦めるのも性に合いませんし、やるだけやってみますかね」
▪️
テーマパークの一件以来、平和な日々が続いていたが、それも長くは持たなかった。
「最近『呪魔』関連の事件多いねー」
「そうだな。大規模な被害が出ていないのが不幸中の幸いだけど……」
夕方のニュースで報道されていたのは、今日も『呪魔』による人身被害が出ているというものだった。
現代において呪いは身近にある脅威。
それこそ交通事故や病気なんかと同じくらいの頻度で被害が報告されている。
『呪魔』や『呪災』は呪いの中でも最たるものだが、単に呪いが原因だと判明していないものも多いだろう。
普通の人は呪いを見えないし感じられない。
それが厄介なところであり、呪術師が手を伸ばすべき場所だ。
当たり前だが事後対応より事前対策の方が重要。
……なのだが、現実問題として後手に回っているのも事実。
「陽菜たちも気をつけないとね」
「ああ。前みたいに無茶やられたらたまったものじゃないからな」
「あの時の陽菜とは違うからね! 今の陽菜は言うなれば陽菜マークIIだよ!」
「どこのロボだ」
脳天気な陽菜に呆れながら言葉を返す。
自信があるのは良いことだし、冷士さんとの鍛錬の成果も徐々に上がっているのだろう。
その時が来たのなら是非とも頼りにさせてもらおう。
勿論その時なんて来ない方が良いのは百も承知だけど、現実はそう上手く出来ていない。
俺は変わらず爆弾を抱えている。
ただでさえ酷かった呪力障害は先の一件で悪化の一途を辿っていた。
アレを使ったのが決め手になったのだろう。
後悔はないが、先への不安は拭えない。
由良さんにも「次があると思わないで」と釘を刺されてはいるが、同じ状況に直面したら迷わずに使うだろう。
「……それにしても、最近天気が悪いな」
窓から見える空は雲に覆われ、瞬く星はおろか月さえも隠れてしまっている。
午後6時過ぎともなれば辺りは暗く、灯る街灯の明かりが街を照らしていた。
「冬も近いからかな? 今日はちょっと肌寒いし」
「風邪ひかないようにな」
「わかってるよー」
人に言っておいて俺が風邪をひく、なんて事態は避けたいものだ。
部屋のクローゼットから薄手のカーディガンを引っ張り出して羽織り、夕食の支度に取り掛かろうとして――ぴたりと手が止まる。
「……気のせい、か?」
ほんの一瞬だけ感じた不穏な気配。
また呪いか? と警戒したものの、それらしい姿はどこにも見当たらない。
入ったばかりのキッチンから顔だけ出して陽菜の様子を窺ってみたが、特に変わらずテレビを見ているだけ。
……疲れてるのかな、うん。
「気には留めておこう。それより夕飯作らないと。今日は生姜焼きとサラダと……味噌汁もだな」
冷蔵庫から材料を取り出して、頭の中で組み立てた順序に従って調理開始。
30分程で作り終え、陽菜と一緒に夕食を取る。
何を作っても「美味しい」と食べてくれるのは嬉しい限りだ。
そんなこんなでやることを済ませていれば、もう11時前になっていた。
「はるちゃん、眠れないの?」
「しれっと人のベッドの中に入ってくるな」
「だってはるちゃん暖かいんだもん」
「俺は湯たんぽか?」
半眼で隣に横になる陽菜に抗議するも、掛け布団で隠れたその中で俺は抱き枕にされたままだ。
やけに近い顔と顔の距離に見慣れた相手とはいえ緊張してしまう。
身体に絡みつく腕と脚、押し当てられる豊満な二つの膨らみ。
不用意に動けず、今晩は抱き枕としての役目を全うするしかないらしい。
「何か、あったのか?」
「……最近ね、よく同じ夢を見るんだ。テーマパークで戦ってた時のこと」
静かに問うと、胸の内に溜まった重いものを吐き出すように陽菜は続けた。
「繰り返し見るたびに本当に死んでいてもおかしくなかったんだって、今になって怖くなった」
「……」
「それで、何度もはるちゃんは昔みたいに助けに来てくれるの。正義のヒーローみたいに」
「そう、か」
「……はるちゃん。あの時、陽菜が飛び出して行ったこと、怒ってるよね。ごめんなさい」
近すぎて頭を下げられず、代わりに目を伏せて謝罪の意を示した。
絡まる手脚は僅かながら震えている。
陽菜を安心させるように伸びた手で頭を撫で、背を摩る。
「確かに、あのことは怒ってるよ。せめて相談くらいはしてくれても良かったのにって。でも、俺も陽菜に負けないくらい無茶苦茶やって怒られたからおあいこだ」
「……陽菜たちって、案外似た者同士なのかな」
「呪術師だからな、自分勝手極まれり。誰だって一瞬のために後悔したくないんだよ。陽菜はあの時の行動を後悔しているのか?」
少しばかり思考に時間を費やし、やがて出した陽菜なりの答え。
「――ううん。結果に後悔はしてるけど、一歩踏み出したことに悔いはないよ」
「そうか」
そのやり取りを最後に、俺と陽菜はいつの間にか夢の世界に落ちていた。
けたたましく鳴り響く警報音。
真夜中に叩き起された俺と陽菜はその音を聞いて眠気が即座に吹き飛び、朧気だった意識が急激に覚醒を果たす。
それは現代における破滅のラッパ。
言いえぬ焦燥に突き動かされ乱暴にカーテンを開けると、そこには。
「――嘘、だろ」
「こんなのって」
絶句し空の一点に集中した視線。
先には雲に覆われた夜空……ではなく。
赤褐色の幕が、上空から街一つを覆い尽くさんとする勢いで広がっていた。
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