第19話 どいつもこいつも



「なんで都合悪く観覧車の中なんだよ……っ」


 下に降りるのに四分の一は残っている。

 とてもじゃないが生身で飛び降りるのは厳しい。

 けれど、下に着くまでじっとしていれば被害が広がる可能性も増す。

 どうしようかと思考を回している最中。


「――私、行くね」


 すっと立ち上がった陽菜が迷いなく閉められていたドアを力ずくで押し開けた。

 ブーブーと作動した警報音が空に漏れる。

 吹き込む風は冷たく肌を撫で、陽菜の茶髪が踊るように靡いた。


「おい、待て――」

「――はるちゃんは海涼ちゃんをおねがい。外は陽菜が何とかするから」


 俺の言葉を遮って言い残した宣言。

 振り返って見せたぎこちない笑顔はどこか痛々しさすら感じる。

 ふらりと前に倒れた身体が外へと投げ出され、制服をはためかせながら落ちていく。

 呪力で強化されている身体能力ならば間違っても怪我はしないだろう。

 呪術師として相応に戦える陽菜ではあるが、不安要素は山ほどある。


「……クソっ、あのバカッ!」


 握り締めた右の拳がシートを派手に叩きつけた。

 じんとした鈍い痛みが広がり、海涼が「馬鹿ですか」と言いたげな目を向けている。

 ビクともしないゴンドラ、嘲笑うかのようにガタンと機械的な揺れが襲う。

 なんでこうも人の話を聞かないのか。

 焦燥感だけが雪のように降り積もる。


 呪災においては初期の行動こそが重要ではある。

 巻き込まれた人を纏めるのは混乱の少ないうちがいい。

 こうして待ちぼうけている間にも『呪界』の侵食は進んでいる。

 三割方も空を赤褐色の天幕が覆ったとなれば、もう気づいている頃合いだろう。


「……私、も」


 おもむろに頭を抑えながら歪んだ表情のまま海涼が起き上がる。

 青藍の瞳に強い意思を宿して。

 真冬の空気のように冷たく、鋭く、透き通った純粋無垢な感情。


「お前もバカかよ」

「……私が、行かないと。確実に一体、相当な呪力を発するナニカがいます」


 確信めいた予感を口にした。

 感呪性の強い海涼が言うのであれば間違いないのだろう。

 予想はしていただけに驚かない。

 ただ、一人で行くのは無理がある。


「今のお前を行かせるわけないだろ」

「でも」

「でもじゃねぇよ。そんな状態で何が出来る? 下手すりゃ死ぬんだぞ」


 すぐ隣に存在する死の危険。

 万全の呪術師であっても殉職することは少なくないのに、明らかにコンディションが悪い海涼は格段に危険だ。

 何が起こるかわからない、それが呪いであり――現実。

 ボタン一つでリセット出来るゲームとは訳が違う。


 ……だからこそ、だろうか。

 なまじ力があるから、持ってしまったが為に手を伸ばす側に立ってしまったから。

 助けを求める手を、声を見逃せない。

 それすらも呪術師を縛る一種の呪い。

 世界に呪いは溢れている。


「それでも、先輩にもわかりますよね。このまま放置していたら、それこそ山のように人が死にます。その後では遅いんです。陽菜さんだけでは到底手が回りません。だから私も行かないと――」

「――だったら、お前のことは誰が助けるんだよ」

「……必要ありません。私の身勝手ですから」


 海涼は話は終わりとばかりに立ち上がり、俺へ背を向け外を見た。

 ああ、くそ、どうしてこうなる。

 俺も含めてどいつもこいつもバカじゃねぇか。

 私の身勝手? なら俺も誰彼構わずにやってやるよ。


 重いため息を吐き出して、俺も立ち上がる。

 そして――海涼の右隣へ並び立ち手を握った。


「そんじゃ俺は勝手について行くとするか」

「……馬鹿ですか? いいえ、馬鹿ですよね」

「馬鹿で結構! てか俺を一人にするなって、寂しいだろ?」


 こんなのただの方便だ。

 そんなこと海涼だって理解出来るけれど、止められない。

 自分の行動も否定することになるからだ。


 海涼が呆けたように小さく口を開けて、青藍色の瞳と視線が交わった。

 全否定して事態が終わるまで休ませてやりたいのは俺だって山々だ。

 しかし、海涼のそれは正論中の正論。

 今動けるのは俺たちしかいないのだから。

 ならば取れる選択肢も自然と限られる。

 可能な限り被害を抑えて事態を収拾するための最善はきっとコレだ。

 自己犠牲だと俺も思う。

 でも、これは身体に染み付いた癖のようなもので、一度死にかけたくらいじゃ治らない。


「少しは周りを見ろって。頼れる先輩がここに居るだろ。天才さんだからって一人じゃ出来ないこともあるんだぜ?」


 にぃ、と笑ってみせる。

 俺じゃ頼りないかもしれないけれど。

 力不足は重々承知、手を伸ばさない理由にはこれっぽっちも足りえない。


 そもそもの話。


 これで見捨てられるような人間なら今頃こんな姿になってねぇ!


「終わった後、一緒に怒られてくれるか?」


 由良さんからは呪力の使用については一応認められたが、自分から戦闘していいなんて一言も言われていない。

 滅茶苦茶怒られるだろうなぁ……由良さんって怒ると怖いんだよ。

 陽菜には心配かけないでって泣きつかれそうだし。

 天音は……今度会ったら拳骨を入れてやろう。

 十中八九、アイツが裏で関わってる気がする。


 まあでも。

 それもこれも、これから始まる地獄を五体満足で無事に乗り切ってからだ。


「……本当に、困った先輩です。不本意ここに極まれりです。――でも、頼りにしています。私の足りない部分、任せます」

「ああ、任せろ」


 既に『呪界』へとテーマパークは隔離されていた。

 赤褐色に支配された呪いの世界には、あちこちで悲鳴と慟哭が響いている。

 一刻の猶予もないだろう。


「先輩、抱えるので首の辺りに掴まってください」

「……なんか恥ずかしいんだけど」


 少しばかりの躊躇いを覚えながらもお姫様抱っこの形で軽々と海涼に抱えられる。

 急激に近づいた彼我の距離、下から覗く海涼の顔は早くも外へ向けられた。

 言われた通りに細い首へ腕を絡め身体をしっかりと固定する。

 意識はカチリと戦いの気配を感じ取って切り替わっていた。


「重くない?」

「軽すぎです。それより舌を噛むので口を閉じてください――跳びます」


 直後、ゴンドラの床を蹴った海涼が呪術で空中に即席の足場を踏み締め、空を駆ける。

 もうゴンドラの中には、誰もいない。

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