第18話 望まぬ劇の幕が開く
持ち物検査などを終えてテーマパークのゲートを潜る。
すると牛と馬をモチーフにデフォルメされた着ぐるみが風船を片手に入園者を出迎えていた。
「なにあれ」
「ここのマスコットらしいよ。ウーくんとマーちゃんだって」
「俗に言うキモかわいいというやつでしょうか」
「かわいい……あれが?」
とてもじゃないが理解出来ない。
そんな俺の思考とは無関係に差し出された赤い風船を受け取る。
海涼は渡されてないのが不思議だ。
俺が子供っぽいってことなのか?
……外見だけ見ればその通りだったわ。
紐を指に軽く結んで飛ばないようにしておく。
「それじゃ、張り切っていこー!」
――二時間後。
「うえっ……まだ目が回ってる……」
「…………」
「二人とも大丈夫……?」
ベンチで身体の内側からせりあがってくる衝動を堪えながら項垂れる俺。
海涼は限界を越えたのか虚無を体現したような表情でぼーっと空を見上げている。
陽菜が買ってきてくれたペットボトルの水を手渡しながら申し訳なさげな目を向けた。
受け取ってキャップを開け、傾けて口に冷たい水を含み喉を通っていく。
海涼もゆっくりと水を飲んで落ち着いたのか青藍色の瞳に生気が戻る。
陽菜もベンチへ腰を下ろして一息つく。
「なんか、その……ごめんなさい」
「あー、うん。もういいよ。二度目は勘弁だけどな」
「つい回してたら楽しくなって……」
しゅんとしたまま陽菜が謝る。
中々珍しい表情を見せることになった原因はコーヒーカップの回しすぎだ。
際限なく速度を増したコーヒーカップで三半規管を無駄にシェイクされ今に至る。
金輪際コーヒーカップには乗りたくないな、なんて真剣に考えたほどだ。
「……コーヒーカップ、怖いです」
両腕で身体の震えを抑えながら青い顔で海涼が呟いた。
数分で骨の髄まで恐怖が刻み込まれてしまったらしい。
呪術師として命懸けで戦うより怖いってどういうことだよ。
やっぱり呪術師ってのは多かれ少なかれ頭がおかしいのかもしれない。
「もう昼か。早いものだな」
「近くにフードコートがあったはずだよね。どうする?」
「正直食べれるような体調じゃないし、時間帯的に混んでそうだし」
人混みは基本的に苦手なのだ。
避けられるならそれに越したことはない。
となればどこかで時間を潰したいが……そうだ。
「アレ、乗ってみるか?」
指さした先にはテーマパークのシンボルとも呼べる観覧車。
激しい動きもなく、ゆっくりと廻るから時間も適度に潰せそうだ。
「そうしよっか。海涼ちゃんはどうする?」
「……私も乗ります」
海涼の顔色がいつにも増して白く感じる。
まだ調子が戻っていないのだろう。
そうでなくても一人で取り残すのは不安だし、三人行動以外の選択肢はないけど。
廻ってきた観覧車のゴンドラへと乗り込んで扉が閉まる。
何故か片側に俺を挟み込むように陽菜と海涼が座り、こてんと海涼の頭が肩に凭れた。
揺れた艶やかな黒髪から柑橘系の爽やかな香りが漂う。
控えめな重さに釣られて横目で海涼を映す。
「海涼? 顔が少し赤くないか」
「……ホントだ。具合悪い?」
それは些細な、しかし見逃せない変化だった。
仄かに桜色に染まった頬は色白な海涼からすればわかりやすい。
とろんと眠たげに細められた青藍色の瞳は僅かながら潤んでいた。
何よりも海涼が断りもなく身を預けるなど平時では考えられない。
「……まだ酔いが抜けてないのでしょうか。少し肩を貸してください」
「ああ、もう。気にしないから少し横になれ。膝くらいなら貸してやれる」
「……すみません、ご迷惑をお掛けします」
「迷惑なんて思ってないから、ほら」
気を利かせて陽菜が反対側へと移動し、そこへ俺が移って膝を差し出す。
遠慮がちに海涼が横たわり、頭がスカート越しに太ももへ乗る。
細やかな毛先の感触、海涼の浅い吐息。
「そのまま寝てても良いからな」
「そんなこと言って悪戯する気ですよね」
「しないっての」
如何せん口振りにもキレがない。
けれど抵抗する気はないらしく、借りてきた猫のように大人しい。
ガタンゴトンと眠気を誘う機械的な揺れを繰り返しながらゴンドラは上へ上へと登っていく。
「はるちゃん、外っ」
「ん……おお、いい景色だな」
思わずウトウトとしていた俺も陽菜に釣られてガラスの窓から外を見渡した。
テーマパークの全体像が見え、入園者があちこちでアトラクションを楽しんでいる。
牛と馬のマスコットの周りには子供たちが集まり、一人一人に風船を手渡していた。
空も地上から見上げるより綺麗で、幾分か太陽も近く感じられる。
「……本当ですね。秋晴れでしょうか」
膝の上で海涼も答え身じろいた。
瞬きする目、長い睫毛が静かに伏せられる。
本当に人形みたいだけど、温もりと心臓の鼓動が生きていることを伝える。
「懐かしいな、こういうの」
「……そうかもしれません」
「そうなの?」
「俺は昔よく氷上家にお世話になっててな。海涼が今日みたいに体調崩した時も俺が一緒にいることが多かったんだ」
「家のバカよりもよっぽどお兄さんらしいですよ」
面と面を向かって言われると若干照れるな。
冷士さんは可哀想だけど自業自得だしいいか。
それにしても『お兄さん』……か。
家族のように感じてくれているのはとても嬉しく思う反面、複雑な心境だ。
「っと、それより気分はどうだ?」
「……まだ万全とは言えませんね」
「お水飲む?」
陽菜が海涼の鞄からさっきのペットボトルを取り出し、キャップを開けて渡す。
起き上がろうとした海涼を支えると、こくこくと飲み始めた。
それにしても海涼が体調を崩すのは珍しい。
極稀に風邪を引くことはあれど、俺が記憶している中では片手で数えるくらいだ。
気圧に弱いなんて話も聞かないし今日は見ての通りの晴天。
単にコーヒーカップで酔っただけならいいのだけど、なんとなくそうじゃない気がする。
俺の中の第六感が違和感を見逃すなと囁いていた。
状況を一から整理しよう。
海涼はここに来るまではなんともなかった。
具合が悪くなったのはコーヒーカップに乗った後、その理由は陽菜がカップを回しすぎたから。
休憩を入れても治らず悪化の一途を辿っている。
変化したのは……場所と時間。
「榊か? いや、性格はねじ曲がっているけど好き好んで人に危害を加えるようなヤツじゃない」
「……はるちゃん?」
「でも無関係とも思えない。わざわざ他の呪術師じゃなく陽菜と海涼をここに呼んだ理由は?」
少なくとも『敵ではない』だけで俺たちを名指しする必要はないはずだ。
天音が俺たちじゃないとダメな訳があると見るべきか。
呪術師の級もバラバラ、俺に至っては戦力外。
特殊な呪具を持っているとはいえ特別なことは何も――
「――っ、まさか」
「はるちゃん? 何を焦って」
「海涼っ、近くに呪いの気配は」
俺の唐突な問いに驚いたのか目を見開き、数瞬後に海涼の身体が強ばった。
その反応が言葉よりも雄弁に答えを語っていた。
感呪性の高い人は、『呪界』にある強い呪いの気配を感じ取って心身に不調をきたすことがある。
海涼もまた、その一人。
刹那、テーマパークの上空から赤褐色のモヤがどこからともなく染み出した。
どろりとして薄気味悪く、生理的嫌悪を覚えてしまうソレが意味するのはただ一つ。
当たり前のように存在する現代の異物。
蔓延し続ける世界の瑕疵。
「遅かったか」
血と殺戮が満ちる呪われた世界の幕が、誰に望まれずとも開けた。
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