第22話 名前を呼ばせて



 紅と蒼が衝突する度、爆炎と熱風が破裂し火花が絶えず咲き乱れる。

 膨大な熱量の前に制服のジャケットは焼け焦げ、修繕不可能な損傷を負っていた。

 ブラウスの第一ボタンを乱暴に外して、開いた首元から熱を孕んだ空気が出入りする。


「――ふぅ、これはちょっと、拙いかも」


 口をついた弱音。

 脳裏をよぎる敗北の、ひいては死の結末。

 ぞぞ、と這い出る恐怖を、呪術の紅い炎を熾して払拭する。

 大丈夫、まだ戦える。


 まだ数分程度しか打ち合っていないのに、陽菜の消耗が激しすぎる。

 疲労で手足は痙攣し、炎の威力でも押し負ける。

 膂力もあっちが上だし直撃を食らっていないのは不幸中の幸いかな。

 そうでなくてもリーチの差がある分、陽菜の攻撃が届かなくてあっちの攻撃は簡単に届く。

 有効打は一撃も入れれてないし……長期戦になったら本格的に勝ち目がない。


「困ったなぁ……呪具でも使えれば少しは違ったのかなぁ」


 残念なことに陽菜は呪具の殆どを扱えない。

 壊滅的に扱いが下手ではるちゃんに「二度と使うな」って止められた。

 正直そのことに関しては恨むよ……っ!

 ……呪術師が本気で恨んだら洒落にならないけど。


 まあ、そんな理由もあって陽菜は自分の身体だけで戦わなければならない。

 年頃の女の子としてどうなのかと思ったりするけれど。

 でも、陽菜の全てで誰かを守れる、救えるって考えたらカッコよくない?


「――ハッ」


 吐き出した息は熱く、吸い込んだ空気もまた熱い。

 熱し熱されの応酬に焼け焦げた地面。

 頬を拭えば血の赤と煤が混じった、濁った絵の具のような色が右手の甲を汚す。

 うわぁ……ハルちゃんには見られたくないなぁ。


「……なら、早いとこ倒しちゃおうか!」


 ダンっ、と地面を蹴りつけ風を切って疾駆する。

 唯一陽菜があの『呪魔』よりも上だと思うのは速度、その一点。

 脚を動かせ、止めるな。

 その時が陽菜の終わり――いやだ。


 エンドロールはまだ早い。

 カーテンコールなんて望んじゃいない。

 陽菜が見たいのはみんなが幸せそうに笑い合う大団円のハッピーエンド一択。

 だから。


「悪いけど、大人しく祓われて!」


 気炎万丈、気迫を込めた炎拳と炎脚による乱打。

 澄ました顔の『呪魔』もまた応戦し、パァン、パァンと衝撃による破裂音が響く。

 巌のような筋肉と蒼炎に覆われた『呪魔』の防御は硬く、どこか武を匂わせていて所作に無駄がない。

 必要最小限の動きで最大効率を生み出す動きは、いわば一つの極地。

 敵ながら見惚れてしまいそうになる。


「全くどうして、そんなに強いかなぁっ!」

「百年、千年と研鑽を積み武に励んだ我に叶わぬなど自明の理。十数年生きた程度の人間に我の武を越えることなど不可能。分からぬか、未熟者め」


 地震のように低く唸るような声が響く。

 陽菜の間隙をついてお腹の辺りを狙う鋭い正拳突き……ダメ、躱せないっ!

 咄嗟に腹部に呪力を集中させ――ッ!?


「――っあ」


 踏み止まることは叶わず、靴の裏が地面から独りでに浮き上がる。

 直後、くの字に折れた身体が背中から壁へ激突し二度目の衝撃が全身を襲った。

 潰された内臓がこれでもかという激痛として悲鳴を上げる。

 溜まっていた空気も全て押し出され、肺が酸素を求め心臓が煩いくらいに拍動を繰り返す。

 胸にじんとした痛み……多分肋骨が何本か折れてるかも。


 途端、押し寄せた感情の津波が全てを攫う。

 痛い、苦しい、辛い、無駄だ。

 そんな囁きが頭の奥に響いてくる。

 耳を傾けてはいけないのに、こんな状況じゃ頷いてしまいそうだ。

 戦況は絶望的、戦力差だって開きっぱなし。

 膂力も技量も熱量も上回る完全な格上――普通に考えたら絶対に敵わない相手だ。


「……だから、諦めるの?」


 小さな呟きは自分自身への問いかけ。

 いや、違う。

 ただの確認だ。


 答えなんてとうの昔に決まっていた。

 遠い背中を追いかけて、ようやく立った場所がある。

 手を伸ばすんだ、遥かに高い目的地へ。

 理想を、憧れを現実に呼び起こせ。


「――やらせない」


 陽菜は退かない、退けない理由があるから。

 今にも倒れそうにふらつく両足で地面に立つ。

 呪力はもう空っぽだ、手足に力がまるで入らず感覚も薄れている。

 時折全身を駆け抜ける激痛に顔が歪み、引き攣った笑みを浮かべていることだろう。

 満身創痍、そんな言葉がお似合いだ。

 それでも、絶対に。


 ――意志の炎は消えやしない。


「恋する乙女のパワー舐めないでよ」


 不敵に、笑え。

 絶対的な不条理を前にして抗い続けろ。

 涙を流すより、絶望してしまうより。

 きっと、少しくらいは上等だ。


「……呪を穿ち、骨を砕こうとも――心は折れぬか。その意気や、賞賛に値する。なればこそ、我が至高の一撃にて黄泉へと送らねばならぬ」


 あんたなんかに褒められても嬉しくない、そんな小言を言う暇もなかった。

 爆発的に膨れ上がる呪力の気配。

 轟音と共にとぐろを巻いた蒼炎が極太の柱となって天を衝く。

 まるで間欠泉の如く地獄から湧き出た燦然と輝く蒼炎が無際限に燃焼を続ける。

 目にするだけで胸を締め付けられる息苦しさを覚える存在感。

 一瞬で、骨の髄まで刻まれた死の予感。

 今になって怖気が足の裏から這い上がり、地面に縫いつけられたかのように身体が動かせない。


「巡れ、巡れ。其は世を焼く地獄の禍焔。業より生まれし罪科の呪。六道が最下層――死の灼熱、永劫の苦痛を与えし地の底に満ちる炎。森羅万象を焼き尽くすと知れ」


 ぐるりと蒼炎が男の頭上で球体へと変化し、手のひらサイズまで凝縮される。

 右手を振りかざすと、蒼炎の球が陽菜へ向けて放たれた。

 スロー再生した動画のように緩慢に流れる景色、心臓の鼓動が波及し反響して耳朶を打つ。

 つつ、と眉間を通って流れた汗。


(逃げないと……なのにっ)


 指先すらまともに動かせない。

 こんな、ところで……っ!


 死にたくない、嫌だ、いやだ、いやだ!


 やり残したことが沢山ある。

 大切な人にちゃんと思いも伝えていない。

 足りない、足りないよ。


 これがもし呪いだって言うのなら。


 一度でいい、名前を呼ばせて。


(はる、くん……っ)


 声が出ないなら、せめて陽菜だってわかるように。


 燃やせ、燃やせ、燃やせ。

 心の火に薪を焚べろ、油を注げ。


 ――自分の身すら焼き尽くすとしても。


「――ッ!?」


 刹那、バーナーのように紅い炎が空へと昇った。

 尽きたと思っていた呪力の残り滓がつけた炎は細く短かった。

 命の最後まで使い切って何も出来そうにない。


 視界が霞む、音が遠のいて消えていく。

 限界を超えた呪術の行使に耐えられなかった身体の皮膚が張り裂け、紅い血が噴き出した。


 ――こんな格好、はるちゃんには見せられないや。


 自嘲気味な心の声と共に瞼が落ちて。






























「――ったく、無茶苦茶やりやがって。心配させんな」


 少女特有のハスキーボイスが滑り込んだ。

 どこか強気で、強情で、安心するような。

 そんな、声。


 ああ、どうして。

 陽菜は待っててって言ったのに。


 けれど、それもどうして。


 ――こんなに、嬉しいのだろう。

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