第2話 陽菜の誓い

「いや、いやいやいや。……マジで?」

「マジもマジよ、大マジ。小さいけど胸も膨らんでるし、下は見る影もないわよ?」

「……百聞は一見にしかず、という訳で」


 知能指数が低すぎるやり取りの末に羅列されたそれらを確かめるべく、自分自身の胸へと手を伸ばす。

 ゆったりとした生地の薄いクリーム色の病人服。

 白い小さな両手が胸元へ向かい、ふにゅりと柔らかさと弾力を兼ね備えた慎ましい膨らみへ触れた。

 触れてしまった。

 俺とて女性特有のソレに触れる機会はそうそう……いや、あったわ。

 無防備に抱きついてくる陽菜に何度も押し付けられてたわ。

 でもソレが自分についていると考えると……何とも複雑な気分である。


「これはあるな、確かに」

「意外と驚かないのね」

「んや、驚きすぎて一周回って冷静になってる」

「そんなにおっぱいが揉みたいなら陽菜のを揉んで!」

「アホか捕まるわ!?」

「女の子同士だからセーフ!」

「それでもアウトだぁ!」


 巫山戯ふざげた発言をした陽菜の頭へ手刀を入れるもひらりと躱され居た堪れない気分になる。

 そもそも「陽菜のを揉んで」ってなんだよ、そんなに頭おかしい奴だったか?


「……八柳さん。もしかして陽菜にも『残呪』の影響出てる? 特に頭」

「貴方が必死に守ったおかげで軽傷よ。頭にも影響はないわ」


 残念ながら否定されてしまった以上は元から頭がおかしかったのだろう。

 なら諦める他ない。

 なんか「頭おかしくないよー!」と騒いでいるが無視だ無視。

 生憎と一緒になって騒げるほどの体力が残っていないんだ。

 それよりもう一つの方も調べてみよう。

 ……まあ、上がアレだったから下も予想はつくし、起きた時から違和感自体は感じていたしな。

 意図的に目を逸らしてはいたが現実と向き合うことも大切だ。

 すす、と身体にかけられたシーツの中へ手を忍ばせ、確認だけならと病人服の上を這うように動かし……


「……マジだ。ないわ」

「反応薄いわね。もしかしてその歳で枯れてるの?」

「失敬な。まだ18ですし枯れるも何も使う前に永遠の別れを迎えたんですが?」

「可哀想に……」


 思わず反論すると憐憫れんびんじみた言葉で慰められた。

 これは一体なんの羞恥プレイだ?

 現実に起こったことが突飛過ぎてまともな返しが思いつかない。

 陽菜に至っては「責任取ってはるくんのお嫁さんになるしか……」とか呟いてるし、終末世界もかくやである。


「わかったと思うけど貴方は正真正銘、医学的には女性になってしまった訳です」

「戻れるのか?」

「貴方だって知らないわけじゃないでしょけど、『残呪』はかけた呪者がそもそも死んでいる。解呪しようにも逆に被害が大きくなる可能性がある以上、厳しいわね」


 呪術は本来、かけた本人しか解呪が出来ない特性を持っている。

 弱い呪術ならともかく、今回のように身体を変質させるなんて高度な呪術ともなれば解呪は難しい。

 その上失敗すれば呪詛じゅそ返しが待っているため、分の悪い賭けになる。

 一人解呪出来そうな人に心当たりはあるものの期待はしないでおこう。

 加えて『残呪』は死んだ者が最後に咲かせる徒花という特性上、呪者からの解呪は不可能。


「……つまり俺は死ぬまでこのまんま、と」

「平たくいえばそうね。とはいえあれだけの呪力を浴びて生きているだけで儲けものよ」

「それはそうだが」

「あの時は本当にはるくんが死んだかと思ったからね……お願いだからもう二度とあんな事しないで」


 数えきれない感情が渦巻く瞳がじっと俺を見つめていた。

 心からの心配と、後悔と、罪悪感が滲んだ視線。

 けれど、それに俺は首を振る。


「それは約束出来ない。弟子を守るのは師匠の役目だからな」

「でも……もっと陽菜が早く気づいていればはるくんがこうなることもなかった!」


 湧き上がる感情に任せて叫ぶ陽菜の顔は悲壮感に満ちていた。

 目を離せば自分自身を責めて、自傷行為にも走ってしまいそうな危うさを感じる。


「俺もまだまだ未熟ってことだ。だから気にすんな……って言っても無理だよな」


 陽菜は溌剌としていて太陽のように明るい上に、炎の呪術を操る十分に強い呪術師だ。

 けれど、それ以前に陽菜だって普通の少女。

 人並みに傷つくし、人並みに泣く。

 感受性が高い彼女ならば尚更だ。


「だったらさ、これから俺の事を助けてくれよ。一番俺の近くに居るのは、きっと陽菜だから」

「……うん、わかった! 一生はるくんを支えるって神様に誓うよ!」

「言葉が重い!」


 どうしてこう極端なのだろうか、俺の弟子は。


「こほん。二人とも、少しいいかしら」

「あっ、ごめんなさい」

「いいのよ。ずっと心配だったものね。一週間は眠りっぱなしだったから」

「え」

「本当よ」

「冗談であって欲しかった」


 今更明かされた昏睡こんすい期間の長さに内心で驚きつつも、八柳さんが続ける。


「実は呪術師協会の方から通達があってね。遥斗くんの処遇についてよ」

「協会はこの事を隠したがっている?」

「察しが良くて助かるわ。遥斗くん……改め『千剣』の名はこの街、ひいては周辺地域で抑止力としての意味も持つことは理解しているわね」

「一応は。俺も特級ですし」

「呪術師の最上位にも当たる特級の貴方が居なくなれば……どうなるか火を見るより明らかよ」

「……非合法の呪者組織と知性を持った呪魔の活性化」

「正解」


 どちらも社会では無視できない脅威。

 それらも俺のことは無視出来ないし、だからこそ結果的に被害は少なく済む。

 けれど、もし今の俺に関する情報が漏れたら……?

 あっという間に闇の世界から表舞台へと現れる勢力があるかもしれない。


「でも、まだ俺が戦えないと決まった訳じゃないですよね」

「……貴方、筋金入りの馬鹿なの? 穢れた呪力に汚染された貴方じゃこれっぽっちも戦力にならないわよ。呪力を熾そうとすればわかるはずよ」


 ジト目で呆れたように八柳さんに見られながらも、一度呪力を熾そうと試す。


「――痛っ……」


 しかし全身にピリリとした痛みを感じ、思いもよらぬ現象に手が止まる。

 血管が全て詰まってドロドロの血が隙間を縫って無理矢理流れようとしているような気持ち悪さ。


「今の貴方には呪力障害が発生しているわ。寧ろその程度で済んで良かったわね。適切な治療をすればいずれ治るはずよ」

「どれくらいかかる?」

「ざっと見積もって半年で治れば上々よ」

「長すぎるな……」


 それだけの時間があれば不自然さに勘づく連中も現れるだろう。

 これは本格的に不味いことになった。

 呪力を熾せない呪術師なんてエンジンのない車と同じだ。

 置物程度の意味しか成せない。


「という訳で考えに考えた協会は一つの決定を下しました。さて、それはなんでしょう」

「……誰か別の特級を街に送る?」

「あら、正解よ」

「因みに誰が来るんだ? 俺が言うのもなんだが特級なんて大半が人格破綻者だぞ?」


 脳裏を過る強靭な狂人達の姿。

 撲殺姫、ドM、脳筋、シスコン、引きこもり……。

 まともな特級って殆ど居なくね?

 俺? まともな方だろどう考えても。


「えっとね、実は氷上兄妹が来ることになったんだよ! 久々に会えるから嬉しいなぁ」

「……マジかよ」


 陽菜が告げたそれに、密かに鳥肌を立てて身の危険を感じて震え出した身体を静かに抱き留めていた。



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