第43話 告げる薄明



 急いで駆け寄ると陽菜が何も言わずに肩を貸そうとしてくれたが、静かに首を振って断る。

 合流したとはいえ、役目はまだ終わっていない。


「遥斗くん、後ろのが……」

「ああ。薊の肉体に受肉した『呪魔』だ」

「了解だ。最愛の妹よ、ここは一つ力を合わせようじゃないか」

「仕方ありませんね。ほかならない先輩の為です。これくらいの苦難は耐えてみせましょう」

「……お兄ちゃん本当に傷つくよ」

「いいから始めますよ」


 冷たい態度にガックリと肩を落としながらも熾した二人の呪力が混じり合う。

 冬が来た、そう思わせるような肌を刺す冷気が満ちて、吐いた息が白く染まる。

 薄着の陽菜は心底寒そうに身を震わせながら、物欲しそうに俺をじーっと見ていた。


「……なんだよ」

「はるちゃん暖かそうだなーって」

「自分でどうにかしろ」


 不服そうに頬を膨らませて陽菜も呪力を熾す。

 すると少しはマシになったのか、頬に僅かながら赤みが戻る。


「――いきます」


 表情の読めない『呪魔』を見据えて、海涼が厳かに呟いた。


 ピシリ――ガラスにヒビが入ったような音がそこかしこから響く。

 宙を舞って煌めく粒子は氷の粒だろうか。

 ダイヤモンドダスト……真冬に起こる自然現象を呪術の副産物で引き起こしていた。


「僕と最愛の妹の共同作業だよ? 世界だって敵じゃない」

「気持ち悪いので今すぐ口を噤んでください」


 言い合いながらも気を緩めない。


 氷結、言い換えれば分子運動の停滞。

 冷士さんの得意分野であり、海涼の十八番。

 そんな二人が手を取り合えばどうなるか……答えは単純明快。


「……ほう? 面白い」


 沼にでも浸かっているかのように足の動きが鈍った『呪魔』が、始めて二人を認識したかのように顔を上げる。

 強者の余裕と言うべきか。


 しかし、だ。

 そんな余裕はすぐさま崩れ去る。


「原子運動が極限まで抑制された空間を進むのは、流石の君でも厳しいんじゃないかな」


 ピタリ。

 透明な何かに行く手を阻まれ、さらにはビクともしなくなった『呪魔』が目を剥いた。

 見下していた人間ごときの呪術が効くとは思ってもみなかったのだろう。


『さーて、皆さんやっちゃってください!』


 イヤホンから響いた天音の声を合図にして地面に幾何学模様が浮かび上がる。

 全容を視界に収めることは出来ないものの、その正体は理解出来た。

『儀式呪術』……特殊な用途を目的として大人数で行使される呪術である。


 いつから仕込んでいたのだろう。

 天音が味方でよかったと思ったのはいつ以来か。


 虚空から撃ち出された銀色の鎖は『呪魔』を目がけて殺到した。

 危機を悟ったのか『呪魔』も即座に呼び出した闇色の鎖で、銀の鎖を鎧袖一触とばかりに薙ぎ払う。


 止まぬ金属音、銀と闇の鎖による激しい応酬。

 複数人で行使した『儀式呪術』を単独で模倣し拮抗させる『呪魔』は確かに強い。

 だが、それはあくまで一人の強さだ。

 次第に『呪魔』は圧倒的な物量への対処が遅れて、遂にグルグルと蛹のように『呪魔』の身体を巻き取り、身動きを完全に封じた。


『はるはるっ、お願いします!』


 ここまでお膳立てされたらやるしかない。


 沢山の人の思いを受けて、それでも俺は薊を呪いから助け出す。


「――小癪なッ!!」


 絶叫、鬼のような形相で怒り狂った『呪魔』の双眸で闇が蠢いた。

 必死に鎖の束縛から逃れようとするも、緩むことなくギチギチと耳障りな金属音を響かせる。


 ならばと激情を向けた矛先は外だった。

 瞬く間に赤褐色の空を埋めつくした人間の頭部くらいの大きさはある闇色の球。

 ここの人間を全員殺してしまえば開放されると読んだのだろう。


「下等な人間なんぞ皆殺しにしてくれる!!」

「させるか――」


 そんなことは絶対にさせない。

 コイツを仕留める前に迎撃する方が優先だと剣を複製しようとして、


「上は陽菜がなんとかする! はるちゃんは前だけ見て!」


 烈日を思わせる灼光が燦然と緋色に染め上げる。

 自信に満ちた声が、絶望の世界を切り拓く光が。


 爆ぜる紅炎。

 降り注いだ熱波は太陽のように暖かく、蔓延る影を余さず排除した。

 邪魔するものは何もない。

 障害は全て排除してくれた。


 ――今、応えなくてどうするんだ。


「――っ、ああ!」


 走れ。


 脇目も振らず真っ直ぐに姿勢を低く豹のように駆け抜ける。

 右手は柄に、左手は鞘へと添えて、西洋剣ながら居合の構えを取る。


 視線は前へ。

 精神を鋭く研ぎ澄ます。


 一度ならず二度、三度と俺の刃は届かなかった。


 でも。


 平和な明日を託されたんだ。


 感情が。

 想いが。

 希望が。


「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ッ゛ッ゛!!!!」


 天へ響き渡る咆哮。

 耳を劈く嘆きと憎悪に塗れた大声量が空気を震わせ、呼応するように地に亀裂が走った。

 本能で殴りつける『呪魔』の声は、それだけで壮絶な呪いへと昇華する。


 脳を鈍器で殴られているかのような激痛、飛びかけた意識を手繰り寄せて突き進む。

 約十歩、果てしなく感じる数秒の空白地帯に現れた半透明な紫紺の壁。


「らああああああああああああぁぁぁぁぁっ!!


 鞘走りの音、瞬きの間に蒼銀の軌跡が迸る。

 僅かな均衡は脆く崩れ、遮るものはなくなった。


 上段へ『祟水蒼牙』を掲げ――斬、と。


 遍くの呪いを断つ剣が振り下ろされて。


「――バカ、な」


 困惑、驚愕、恐怖……ありとあらゆる感情を混ぜこぜにした双眸との交錯。

 途切れ途切れに発せられる『呪魔』の断末魔。

 核を斬ったことで肉体を保てなくなったのか、薊の身体から黒いモヤが立ち上っている。


 直に存在ごと消滅して、薊に受肉した『呪魔』は死ぬだろう。


「悪いな。俺に呪いは救えない」

「――き、サマ……つぎ、こそは、カナラ、ず……」

「何度来ても返り討ちにしてやる」


 負けてやる気なんて欠片もない。

 未練がましく憎悪に溢れた虚ろな瞳を振り切って、はたと空を仰いで目を細める。


 赤褐色の天を割って、絶望の終焉を告げる薄明が射し込んでいた。


「――おわったんだ、な……っ」


 守りきった……その実感が『呪界』の崩壊として見えたのを機に、世界が歪み廻りだす。

 身体の端々から力が抜けて。


 音が遠く、色褪せる。


 拙い。

 そう思った時には遅くて。


 ふらり、身が傾き閉じゆく眼で大切な人たちが驚いたように俺を見ているのに気づいて。


 よかった、心の底からそう想って。


「――――っ!」


 必死に名前を呼んでくれている気がする。


 けれど……ごめん。


 今は少しだけ、寝かせてくれ。

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