第44話 ただいま
ピコーン、ピコーンと静寂に雨だれを落としたかのような電子音。
まだ眠気を訴える心の声に逆らってゆっくりと目を開けるも、飛び込んできた光の眩しさに思わず一度閉じてしまう。
もうこのまま二度寝してしまおうかと迷った矢先、両手に優しい温もりが触れていることに気づく。
出処を確かめるため再び光に目を慣らしながら開いた。
視線の先には微妙に見覚えがあるクリーム色の天井と白光で部屋を照らす蛍光灯。
「いって……ここは、病院か?」
上半身を起こすだけで走る鋭い痛みに呻きながらも、何時ぞやと同じく状況把握に務める。
仰向けの身体にかけられた純白のシーツ。
ゆったりとした病人服から香る仄かな消毒剤の匂いが鼻腔を擽った。
両手に重ねられていた手のひら。
元を辿れば、椅子に座ったままベッドへ上半身を預けて眠る陽菜と海涼の姿があった。
目覚めるまでここに居たのだろうか、それともまた何日も眠ったままだったのだろうか。
いずれにせよ心配を掛けたことに変わりはない。
「……ちゃんと謝らないとな」
起こさないように手を引き抜いて、ぼんやりと窓の外を眺める。
淡い水色の空は何処までも広く見通せて、ふよふよと綿のように白い雲が悠然と揺蕩う。
台風一過とでも言うべき空模様。
絵に書いたような平和な日だろう。
「……ナースコールでもすればいいのかな」
付き添いの二人はすっかり眠ってしまっている。
ここで起こすのも躊躇われ、せめて自分で目覚めるまでは寝かせていようと思ったのだ。
幸いナースコールのボタンはベッドサイドにあったので、それを押して暫く待つと病室の扉が静かに開いた。
訪問者はやや疲れた表情の由良さんだ。
なんだか普段より覇気が感じられないものの、患者の前でそんな顔を見せられないと気を張っているのだろう。
なるべく休んで欲しいが、職務的にそうともいかないのだろうか。
「何かあったの? ……って、やっと目覚めたのね。遥斗くん」
「おかげさまで。あ、二人は起こさないようにお願いします」
「そう、ね。彼女たちは遥斗くんが運ばれてきた5日前からずっと傍に居たのよ。起きたらちゃんとお礼を言うことね」
「わかっていますよ。本当に、心配掛けたと思ってはいるので」
困ったように二人を順に見て、近くにパイプ椅子を置いて腰を下ろした。
はぁ、とため息をついて、慌てて取り繕うように咳払いを一つ。
「……ごめんなさいね。人手が足りなくて今徹夜なのよ」
「ここなら気を抜いても咎める人は居ませんよ」
「……そうね。程々にさせてもらおうかしら。それより、遥斗くん。また無茶やったわね」
「うぐっ」
「自覚はあったようで何よりよ。でも、その無茶が沢山の人を救ったのも事実よ。その内の一人としてお礼を言わせて。本当に、ありがとう」
丁寧に頭を下げる由良さんを前に、何を言っていいのか見失ってしまう。
けれど、それは自分自身が望んだ結果で。
――手が届かなかった人もいて。
結果論でしかないけれど、そのどちらも二度と変わることは無い。
「出来ることを精一杯やっただけ……なんて、答えられたらよかったんでしょうけどね。残念ながら俺の、俺だけの我儘ですよ」
「そうね、反省しなさい。でも、その我儘に何処までも着いてきてくれる人が居ることは、決して忘れないで」
「……はいっ」
陽菜が、海涼が、天音が、冷士さんが、そして協力してくれた沢山の呪術師が居なければ、この結果を掴むことは出来なかっただろう。
誰が欠けてもダメだった。
薄氷を踊り歩いて、本当にギリギリの境界線を乗り越えて今日がある。
少しばかりしんみりしてしまった。
場の空気を少しでも変えようとして口を開こうとした時、扉の向こうから自転車が急ブレーキを踏んだような音が響いた。
瞬間、勢いよく開かれた扉。
「おっはよーございまーすっ!」
「うるせえっ!」
所構わず元気の良すぎる挨拶と共に病室へ飛び込んできた天音へ反射的に叫び返してしまう。
由良さんがしーっと口に人差し指を当てて『静かに』と意思疎通を試みたものの、時すでに遅し。
眠っていた二人がもぞりと動いて、ハッとしたように顔を上げた。
「ほら、眠り姫がお目覚めですよ? あーでもキスも無しに目覚めるのはナンセンスですね。そもそも今となってはどっちが姫かわかりませんけど」
「陽菜、海涼。おはよう」
「完全に放置プレイじゃないですかー」
野次を飛ばす天音の対応を諦め、起きがけの二人と順に目を合わせる。
ぱちり、長い睫毛が瞬きで揺れた。
二人は現実なのかと確かめるように目を擦って、再度見合う。
そして。
「――はるちゃん!」
「――先輩っ」
太陽のように明るい微笑みで。
凪いだ海のように穏やかな表情で。
「おはよう」
「っ、うっ、ああああぁぁぁぁぁっ!!」
「心配……したんですよっ」
「そんな泣くなって……この通り無事なんだから」
涙腺が崩壊した陽菜を抱き寄せて、目元に光る粒を浮かべた海涼の頭を撫でて。
俺はここに居るんだと、証明したくて。
――気づけば、俺も釣られて泣いていた。
どうしようもなく目の奥が熱くて、熱くて。
感情の枷なんて吹き飛んで人前なのも構わずに鼻を鳴らしていた。
「感動の再会ってやつですかねー」
「……榊さんも混ざらないの?」
「ボクはそういうキャラじゃないですし。ほら、こういう時のはるはるを脳内メモリに収めたいと言いますか」
「不器用なのね」
「器用に不器用演じてますのでっ」
天音と由良さんの会話を聞き流しながらも、ようやく泣き止んだ。
そこへ天音が裏のある笑みで差し出してくれたハンカチを不承不承ながら受け取り、涙が伝って濡れた頬を拭う。
「……本当にっ、心配したんだから」
「ああ」
「今度こそ死んでもおかしくなかったです」
「ああ」
「はるちゃんの馬鹿!」
「……ああ」
溜め込んでいたものを吐き出す二人に諾々と答え続け、遂に言いたいことが尽きたところで。
「――はるちゃん。言うこと、あるんじゃない?」
何かを待ち侘びる陽菜の言葉。
思い当たる言葉なんて幾らでもあるけれど。
謝るなんて後でいい。
感謝の言葉も後回しだ。
だって、俺は――
「――ただいま。みんな」
「「「「――おかえり」」」」
今日という日常に、帰ってきたのだから。
完
――――――――――――――――――――
あとがき
完結までの長い間、本作を応援していただきありがとうございました!
元々思いつきだけで書き始めた本作でしたが、なんとか完結までこぎつけたことを本当に嬉しく思います。
どれもこれも皆様の応援があってこそだと感じています。
色々語れていない部分も至らぬ点もあったかとは思いますが、少しでも楽しんでいただけたのなら幸いです。
よろしければ下から★や感想を頂けたら、とても嬉しくなります。
次作は未定ですが、興味を持っていただけたのなら作者フォローもお願いします。
最後に改めて。
完結まで応援していただき、ありがとうございました!
またいつの日か次の作品をお届け出来たらと思います。
それでは〜(:]ミ
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