第9話 天才め



「陽菜、呪具については覚えているか?」

「えっ、呪具は呪術師が呪いを祓う際に用いる呪力を宿した道具だよね。でも……」

「ああ。海涼のアレは厳密に言えば呪具じゃない。が、広義の意味では呪具になる」


 呪いは世界に溢れている。

 呪いを生み出す要因は感情であり、繋がりであり、意思の力。

 生きていれば誰しも呪いと何かしらの形で関わっているのだ。

 しかし多くの場合、微弱な呪いは世界へ影響を及ぼすことは無い。

 大きな呪いの影響で活動を抑制されるからだ。

 ならどうして呪術師が出張るような呪いが生まれるのか。

 答えは呪いには互いを喰らい合い蠱毒のような過程を経て力を増す特性があるからだ。

 蠱毒とは大量の蟲をひとつの壺に閉じ込め最後の一匹になるまで共喰いさせ最強の一を作り出す、古来から伝わる呪術儀式。

 これによって呪いは一箇所に集まり、『呪魔』や呪術師が対応するような呪災として世界に顕現して猛威を振るう。

 現代では協会が各所に設置した呪具に周囲の呪いを吸収させてはいるが、『呪魔』や呪災の発生を止められていないのが現実だ。


「それを踏まえた上で、海涼が呼び出した刀の話をしよう。アレは神との繋がりを宿した呪具――いわば神器と呼ばれる類の代物だ」

「神器……?」

「神と繋がりを得るための供物であり依代。形は違えど神降ろしと同じだな」

「でもそれって負担が大きいんじゃあ――」

「まあ、神と繋がりを得るんだ。その呪いは生半可じゃないが……簡単に御しやがって、天才め」




 ▪️



 呪術師の名門、氷上家に生まれた海涼は本人の意思で呪術師の道を進んだ。

 理由はたった一つ――『それが一番楽だから』。

 幼き頃に神童と持て囃される程の才能に恵まれた海涼にとって、呪術を操ることは呼吸と等しく自然に出来て当たり前の芸当だった。

 才能に驕ることなく研鑽も積み、さらには特殊呪具である『天叢雲』も保有した海涼は未来を期待されている呪術師の一人。

 14歳という若さでありながら準1級呪術師へ上り詰めた技量とセンス、そして努力は伊達じゃない。


「――来てください、『天叢雲』」


 海涼の厳かな宣言で虚空から呼び出された純白の鞘に収められた緩く弧を描く一振の刀。

 神々しさすら放つ『天叢雲』を掴み取り鞘から引き抜くと、鏡のように研ぎ澄まされた白銀の刀身が現れた。

 神との繋がりを呪いへと転化した神器であり呪具――『天叢雲』。


「手短に終わらせましょう」


 餓者髑髏を正面に見据えて呟き、両手で『天叢雲』を握り右斜め下へ向けて構える。

 緩慢に動く巨大な骸骨の『呪魔』が伸ばした長い腕が、現実を侵食し『呪界』へ反映したショッピングモールの朽ちた床を薙ぎ払う。

 ギャリギャリ!! と黒板を爪で引っ掻いたような耳障りな騒音が響いた。

 捲れ上がった床が砕けながら迫るも海涼はそれを一瞥して、


「――止まれ」


 彼女を呑み込むかに思われた瓦礫の津波は、ある一点を境にピタリと制止した。

 膨大な質量をもって押し潰さんとする瓦礫はビクともしない。

 止めたのは海涼が繰り出した呪術。

 海涼が得意とする呪術は透明な壁を作り出すこと――ではない。

 それはあくまで結果に過ぎず、過程は全く違う。

 透明な壁の正体は運動の一切を封じられた空気中に存在する目に見えない原子の塊。

 原子レベルで築かれた不可視の防壁は何者も通さぬ絶対の壁となる。

 そのためには全ての原子運動を呪術で精密な制御する必要があるが、海涼は平然とやってのける。

 芸術のように洗練された運動制御の呪術。


「――はっ」


 浅い呼吸、続けて前へと踏み出された華奢で細やかな右足。

 ゴテゴテとした動きにくそうなブーツの踵を鳴らして、海涼は彼我の距離を詰める。

 膨らみに富んだゴシックドレスのスカートがはためき、素肌の太ももが無造作に晒された。

 激しく黒髪のツインテールが舞い踊り、ギュッと『天叢雲』を握る力が強まる。

 骸骨の『呪魔』は疾駆する海涼を止めようと策を弄するものの、全てが透明な壁に阻まれ届かない。

 瞬きの間に一足一刀の間合いへ肉薄した海涼の両手が横薙ぎに振り抜かれた。

 赤褐色の世界に奔る白銀の閃光。

 抵抗など無意味と言わんばかりに骸骨の脚の骨が断ち切られ、支えを失いがくりと膝から崩れ落ちる。


「――大きいと斬るのが面倒です」


 退屈そうな呟きを残して海涼は空中へ躍り出る。

 呪術で空中に即席の足場を作り、翔け上がりながら舞うようにあらゆる部位の骨を断つ。

 幾重にも連なる剣閃。

 骸骨は海涼を捉えることが叶わない。

 冷静に、着々と追い詰める海涼の心は凪のような静寂のまま。

 青藍色の瞳に油断も躊躇も存在せず、ただ目の前の敵を斬る侍の姿だけがある。

 空を翔ける海涼の姿に呪災へ巻き込まれた全ての人が魅入っていた。


 見る影もないほどに刻まれた骸骨に残されたのは核を内包する頭蓋骨のみ。

 最後の防壁とも呼べる頭蓋も真正面から十字に斬り裂き、『呪魔』の核ごと斬り捨てた。

 瞬間、呪力の供給が失われた骸骨の『呪魔』は黒い靄へ姿を変えて霧散する。


「――ふぅ。疲れました」


 命のやり取りの後とは思えないほど落ち着いた様子で、海涼は軽く息を吐き『天叢雲』を納刀し、


「ありがとうございました、『天叢雲』」


 道具であるはずのソレへと感謝を述べると、『天叢雲』は虚空へと消えた。

 途端に聞こえたカシャーンと硝子玉が割れるような甲高い音。

『呪魔』の影響が消えて『呪界』から現実へ戻ろうとしている。

 剥がれ落ちる赤褐色の空と、元の人工的な印象を取り戻したリノリウムの床。


「……協会にも報告しないと、ですよね。面倒ですが仕方ありません」


 事後処理の手間を考えた海涼は憂鬱な気持ちを落ち着けるように、そっとため息をついた。

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