第8話 呪いの刻



 昼食の後、俺たち三人は近くのショッピングモールを訪れていた。

 主な目的は生活用品の購入だ。

 陽菜が転がり込んできた俺の部屋はともかく、引っ越してきた海涼も家具を揃えていないらしい。

 丁度いい機会だと必要なものを買い込んで送って貰うよう手配する。


 金の心配は呪術師として稼いでいる俺達には無縁。

 これでも命懸けの仕事なために報酬はいい。

 14歳という若さで準1級呪術師の免許を持つ海涼は店員さんに驚かれていたが、呪術師に年齢は関係ない。

 必要なのは強さ、その一点。

 泣いてる暇などない実力至上主義の世界である。


 ――まあ、ここまでは前座だ。

 フルコースの前菜と言ってもいい。

 というのも……


「――うん、よく似合ってるよ!」


 見立て通りだと陽菜の目が映したのは別々の試着室から現れた俺と海涼である。

 ティーン系の服を扱うショッピングモール内のファッション店。

 やたらとフリルやらリボンやらレースがあしらわれた少女趣味な服が所狭しと並ぶ。


 ここまで言えば誰でも理解出来ると思うが敢えて言おう。

 俺と海涼は陽菜の着せ替え人形になっていた。


「……なあ、海涼」

「なんですか、先輩。言いたいことはわかりますが」

「そうか。……なんかごめんな」

「本当ですよ。こういう服は苦手です」


 海涼の部屋着同然だった服装は、西洋人形の衣装にも似たゴシックドレスへと変わっていた。

 何層にも黒く透けるレースが重なり合う烏の濡れ羽色のスカートはふんわりと膨らんでいる。


 コルセットに締めあげられた細く華奢きゃしゃな腰は窮屈きゅうくつそうにも見えた。

 シンプルなデザインの白いブラウスは海涼とよくマッチしていて楚々そそとした雰囲気をかもす。


 首元には瞳の色に合わせた青藍色の革チョーカーが覗き、彼女の人形味がさらに深まるようだ。

 店員さんの尽力もあって着飾った海涼の姿は新鮮で、とても可憐に映る。


 普段は文字Tシャツ姿でオシャレなど微塵みじんも興味が無い海涼しか知らなかったが、こうして見ると素材が良いのだと嫌でも理解させられた。


「先輩もお似合いですね」

「笑いたいなら笑え?」


 明らかに目元が笑っていた。

 俺も海涼と似たような格好である。

 着方がわからず店員さんに手伝って貰ったが、これは余りに面倒な構造だ。

 とてもじゃないが普段着にしてるヤツは正気とは思えない。


 ……知り合いに一人居るけどな。

 海涼は落ち着かないのか膨らんだスカートの裾を摘みながら、長さをチラチラと確認している。


「時に陽菜よ」

「なあに?」

「普段着を買いに来たんじゃなかったのか?」

「色々見てたら着せたくなった!」

「清々しいまでのしょうもない理由をありがとう」

「先輩、巻き込まれている私への謝罪は」

「俺が謝んの!?」

「はるちゃんまた俺って言ってるー」


 隙あらば揚げ足をとるな。

 言い返すのも疲れたし元の服に着替えようと試着室の仕切りを閉めようとした瞬間。


 ――ぞわりと嫌な気配が背筋を駆けた。


 けたたましく鳴り響いた警報機の警告音。

 それが意味するのはただ一つ。


「――っ、これは」

「はるちゃんっ!」

「構えてください――来ます」


 静かな海涼の緊迫した呟きと共に、本のページをめくるように景色が切り替わる。

 現実の色と匂いが消え去り虚構きょこうと呪いに満ちた世界――『呪界』。


 呪術師ならば自由に往来できる世界の裏側が現実へ侵食していた。

 周りには突然の出来事に狼狽うろたえ混乱しながらも、ソレを全員が見た。


 肉も皮も削ぎ落とされ骨だけが剥き出しになったままうごめく巨大な骸骨の化物。

 穴の空いた眼孔や骨と骨の隙間からは赤褐色によどんだ空が覗く。


 死んでいるはずなのに、そのむくろは生きているかのようにガチガチと黄ばんだ乱杙歯らんぐいばを鳴らした。

 名をつけるなら餓者髑髏ガシャドクロだろうか。


 口腔こうくうを抜けた生臭い風の音が、こぉぉと不気味に響き渡った。


「……海涼、アイツは任せていいか」

「勿論です。現状を考えれば陽菜さんより私の方が適任ですから」

「助かる。陽菜は俺と一緒に避難誘導だ。もしもの時は迎撃も」

「りょーかいっ」


 ちゃんと意図は伝わっているようだ。

 言っちゃ悪いが巻き込まれた人が邪魔で陽菜のように派手な呪術は使いにくい。

 一方で海涼の戦い方ならば周囲への被害もそこまで心配しなくていいはず。


 どっちが優れているとかじゃなく、単純に得意な方面の違いだ。

 巻き込まれた一般人への保険でもある。


 ……にしても、歯痒い。

 呪力の封じられた俺では慌てず冷静に趨勢すうせいを眺めているしか出来ることはない。

 無理やり呪力をおこしたところで出力もたかが知れてる。


 だが、心配はしていない。

 一般人の防衛をする陽菜はともかく、海涼があの程度に遅れを取るとは思えない。

 海涼は14歳という若さで準1級の天才であり、俺と同じく特殊な呪具の保有者。

 負ける姿が想像できなかった。


「皆さん落ち着いて! こちらの指示に従って下さい!」


 陽菜が声を張り上げながら空へ向けて炎を放ち、自らが呪術師であることをアピールしながら注目を集めた。

『呪界』での戦闘に一般人が巻き込まれた場合、判断は現場に居合わせた呪術師に一任される。

 保護を最優先、次点で『呪魔』の即時調伏が求められる。


 一般人と『呪魔』では赤子と重機ぐらいには膂力りょりょくの差があるため、巻き込まれれば掠っても簡単に死んでしまう。

 加えて『呪界』に満ちた呪いは抵抗力がない人にとっては毒にも等しい。

 長時間『呪界』に閉じ込められれば後遺症の心配もある。

 一般人が呪術師の指示を聞くのは『義務』であり、無視すれば命の保証はない。


 一斉に陽菜へ視線が集まると、我先にという様子で陽菜の元へと駆け出した。

 悲鳴、怒号、すすり泣く子供の声。

 ごちゃ混ぜになった感情のけ口を見つけたとばかりに彼らはまくし立てるが、陽菜は毅然きぜんとした態度で叫ぶ。


「不安なのはわかります! ですが、安心してください。絶対に皆さんを守ります。――この命に変えてでも」


 有無を言わせぬほどの気迫がにじんだ陽菜の表情に騒いでいた人々は息を呑み静まり返る。

 行方を失った感情を持て余した人々の興味は、巨大な骸骨の『呪魔』と相対する海涼へ。

 海涼は一切の緊張を感じさせない涼やかな声音で宣言する。


「――来てください、『天叢雲アマノムラクモ』」


 瞬間、虚空こくうから現れたのは雪のように白い鞘へと収められた神々しさすら感じる一振の刀だった。

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