第14話 変わる
「珍しい話じゃないでしょう? 年間何十万人も呪災の被害にあっている。俺もその一人ってだけです」
十年前、俺が八歳の時のこと。
街一つを巻き込んで展開された『呪界』内で『呪魔』の群れが逃げ惑う人間を蹂躙し、喰らい、嗤い尽くした。
血と殺戮の繰り返された地獄から解放されたのは翌日の昼間。
外から『呪界』に入り込んだ呪術師の手によって『呪魔』が殲滅されたからだ。
しかし普通の人間が生き長らえるには一日という時間は余りにも永く過酷であった。
七割方の人間は『呪魔』に殺され、残りの二割も重軽傷を負い呪いに曝されていたことで後遺症が残った人もいる。
偶然にも肉体的には無事だった一割の殆どにも心的障害が残るなど、被害は計り知れない。
「……辛いとこを聞いたわ、ごめんなさい」
「ホントに気にしてないんで謝らないでください」
沈痛な面持ちで頭を下げる由良さんに、敢えて軽い口調で返す。
データとして呪災に巻き込まれるのは交通事故よりも確率が高い世の中。
俺のような例は探せば吐き捨てるほどにいる。
生き残っても呪いによる汚染を受けて後遺症に悩まされる人もいる中で、偶然にも俺は呪力への適正を得た。
「でも、幸運だったのは呪術師としての力が備わったことですかね。お陰で俺は俺と同じような境遇の人へ手を伸ばせる」
「だから陽菜ちゃんを命懸けで助けたって? 本当に馬鹿よ、貴方は」
「反省してますけど後悔はしてません」
俺はもう誰も失いたくない、その一心で戦っていた。
誰かが犠牲になるくらいなら俺が死んだ方がマシだと、最近まで本気で考えていた。
けれどそれは傲慢であり、俺が人である限り叶えられない高望み。
ミスはするし、手が届かないことだってある。
陽菜には「二度とあんなことしないで!」って泣きながら叱られたしな。
「ふてぶてしい神経ね。呪術師って遥ちゃんみたいに頭のネジが数本飛んでる人多いわよね」
「その中でも俺はまともな方だと思いますけどね。他の特級と較べたら」
「特級にいる時点で自分がおかしいって認識が無くなるのね、参考になったわ」
「話の流れ的に言い返せないのが悔しい」
前提として命懸けの仕事を自分から好き好んでやってる時点で傍から見れば俺も異常者だな。
普通では生き残れないのが呪術師の世界。
俺も知らぬ間に染まっていたってことか。
「……てことは、私を母親だと錯覚していたってことかしら?」
「急に話が戻りましたね。そうですけど」
「あら嬉しい。私も捨てたものじゃないわね」
淑やかに微笑む由良さんだが実は独身らしい。
どこに問題があるというのか……甚だ疑問である。
「そうだ、貴方の身体について伝えておくことがあったわ。女性としても呪術師としても重要な臓器――子宮の話よ」
「……っ」
「そんなに身構えないで……って言っても無理よね。でも頭の片隅にとめておいて欲しいの」
真剣な表情のまま由良さんは一冊の本を開き、散らかったデスクの上に広げる。
そこには女性の身体の構造が書かれていて、思わず目眩にも似た何かを覚えた。
「知ってはいると思うけれど、子宮は子を宿し育てる重要な臓器であると同時に呪術師は別の用途でも用いることがあるわ」
「……呪力の貯蔵」
「そう。人によって量や期間の個人差はあるけれど、今の貴方にとっては有用だと思わない?」
「俺に戦う手段を与えていいのか?」
「言わなくても気づいていたでしょ? それに自衛の手段があるに越したことはないわ。何にせよ無理して呪術を使うよりよっぽどマシよ」
「信用がないな」
「前科持ちだもの」
呪術を行使する際には火種となる呪力を熾さなければならない。
俺は呪力障害によって呪力を熾そうとすれば身体に激痛が走る。
しかし事前に貯めておいた呪力を使うのなら話は別……のはずだ。
なんにせよ試す価値はあるし備えがあるだけでも安心感が違う。
「けれど、約束して。絶対に無理はしないこと。少しでも異常があったらいつでも私に知らせて。これが守れるのならやっても構わないわ」
「……万が一破ったら?」
「貴方が私を母親だと勘違いして泣いてたことを皆にバラすわ」
「血も涙もなくないですか?」
「正当な権利よ。それに貴方が約束を守ればいいだけよ」
代償がキツすぎる、精神的に。
アレを陽菜たちにバラされた日には家から夜逃げしよう。
……陽菜から逃げれるのかな俺。
呪力が戻ったとしても厳しいだろうなぁ。
「呪力の貯蔵をするにしても体内の呪力を循環させるから多少は痛むわよ」
「予想はしてたけどやっぱりですか」
「そう上手い話はないってことよ。本当はこんなことを薦めたくないんだけれどね」
「病状が悪化するから?」
「医者としては不本意よ。けど、今の貴方は何かあれば壊れてしまいそうだから」
「……死ぬ気はないですよ」
「そうじゃない、心の問題よ。平然としてるつもりなんでしょうけれど、それは現実逃避と同じ。意識的に考えないようにしていたんでしょ?」
言及、つい由良さんから目を逸らした。
完全に図星だったのだ。
「目が覚めたら性別が変わっていて呪力も封じられて……普通の人なら以前との乖離に精神が崩壊して心神喪失してもおかしくないわよ。自己犠牲……いいえ、英雄じみた強迫観念も大概にしなさい。いつか身を滅ぼすわよ、必ず」
「俺は――」
「わかってる、そうじゃないって言いたいんでしょ? 事実無根だなんて言える? 無理よね、何一つ違わないもの」
淡々と言葉を連ねる彼女はいつもの優しげな気配が一切ない。
「でもね、今の貴方では誰も助けられない。それでも目の前で誰かが窮地に陥った時、迷わず助ける。そうしないと、自分が自分でいられなくなるから。……そうじゃない?」
見透かすような焦茶色の瞳。
息が詰まるような圧迫感、緊張で血管が細く収縮し血の巡りが悪くなる。
苦しみながらも、俺はその答えをゆっくりと吐き出した。
「――呪い、ですよ。自分が自分にかけてしまった束縛の鎖。あの日、俺が生きる理由はそう定まった……定まってしまった」
「そんなの思い込みよ。人は誰でも自由に生きられる。少なくとも、貴方だけが背負う必要は全くないわ」
「それでも……! ――もう、嫌なんですよ。力があるのに、手を伸ばせば救える人を見捨てるのは」
全てを失ったあの日。
無力だった俺はその手すら伸ばせなかった。
常に誰かに助けられ、尊い犠牲の果てに俺は生き残ってしまった。
「――なら、よく聞きなさい」
両頬が由良さんの手に挟まれた。
ハッとして見れば真正面には彼女の真摯な目。
「貴方はもう沢山の人を救ったわ。自らの危険を顧みず、時に命すらも懸けて」
「でも、俺は――」
「否定するの? 貴方が救った人の声を、感情を、感謝を。それは人を貶める行為に他ならないのよ。貴方はもう頑張った、頑張りすぎた。貴方の気持ちを否定するわけじゃない。けれど今は――身も心も休めて。誰も文句なんて言わないし、言わせない」
「……っ、でも」
「まだ18でしょ、貴方。そういうことは大人に任せておけばいいのよ。それともそんなに信用ないの?」
「……俺が知ってる大人って碌でなしの割合が異常に高いので」
「それでも頼れば力になってくれるわ、きっと」
背に回された腕に身を引き寄せられ、由良さんに抱き留められた。
微かな薬品の香りを染み込ませた白衣から優しさを滲ませながら。
気づけば、目の奥から熱いものが溢れていた。
彼女は何も言わず頭を撫でる。
恥ずかしくてその先は思い出したくない。
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