第32話 暇


 

 朝からバケツをひっくり返したような雨が降り注ぐ外の景色が窓に映っている。

 空は黒々とした雨雲に覆われ薄暗く、湿度の高さを誤魔化すように除湿モードでエアコンをつけた。


 ややあって、エアコンの駆動音。


「ひーまー」

「子供か」

「暇なものは暇なのー」


 騒ぎ立てる陽菜を宥めながらグダグダとあてもなく過ごす午前中。

 思えば最近は常に何かしらの用事があって、フリーの日はなかった気がする。

 それに、こんな雨では外に出る気も失せる。


 ソファに座ってスマホを弄っていると隣に陽菜が腰掛ける。

 するりと頭へ伸びてきた手をノールックで掴む。


「バレた」

「そんなことだろうと思ったよ」

「いやーはるちゃんでも撫でてたら気が紛れるかと」

「俺はストレス解消の便利グッズじゃないぞ」

「ごめんごめん」


 謝る陽菜、再度頭へ伸びてくる手。

 頭を撫でるくらいで陽菜の気が収まるなら安いものかと己を納得させ、抵抗せずに受け入れる。

 ぽふ、と陽菜の手が髪に触れた。


 細い指が髪を手ぐし始める。

 するりと最後までいく時もあれば、途中で絡まった毛に阻まれることもある。

 ゆっくりと解しながら行われ、数分後。


「……はるちゃん」


 どこか深刻そうに陽菜が俺を呼んだ。


「なんだ?」

「ちょっと髪が傷んでるかも」

「そんなことか……驚かせるなよ」

「そんなこと!? 今女の子の髪をそんなことって言った!?」


 がし、と両肩を掴まれて前後に揺さぶられる。

 シェイクされる頭、長い白髪がブンブンと振り回された。


「悪い、悪かった!」


 俺の謝罪を聞いて陽菜の手が止まる。

 いきなり揺さぶったのは流石にやり過ぎたと思ったのか続いて謝る陽菜の顔を上げさせた。

 多少なり驚きはしたし、揺れの余韻で視界が地震のように揺れているけどその程度。

 被害としては軽微である。


「女の子にとって髪はとっても大切なんだからね。次そんなこととか言ったら着せ替え人形にするから」

「なにその理不尽」

「という訳で、お風呂入ろっか」

「前後の文脈おかしくない?」


 どこに順接的なサムシングがあったのだろうか。

 身の危険を感じて逃げようとした俺だったが、陽菜の反応には適うはずもなく。

 呆気なく捕獲され、野良猫のようにふしゃーと威嚇することしか出来ない。

 そのまま風呂場へドナドナされようとしていた時、ピンポーンとインターホンの音が響いた。


「宅配?」

「頼んだ覚えがないけど」

「うーん……陽菜が出てみるね。はるちゃん、どこに逃げても無駄だからね?」

「歴戦のハンターみたいなこと言うな。もう逃げないって」


 単純に労力に見合わないし、家の中じゃ逃げれても数分が限度だからな。

 玄関の方へ消えていった陽菜、扉を開ける音。


 かと思えば直ぐに陽菜が戻ってきて、俺の手を引いて玄関へ逆戻り。

 既視感のある光景、その来客もまた慣れ親しんだ人物だ。


「誰かと思ったら海涼か」

「おはようございます、先輩」


 ぺこり、と軽く腰を折って挨拶したのは、最近になって隣に引っ越してきた海涼だった。

 今日も今日とて胸元に『晴天快晴』と書かれた文字Tシャツを着て、上にパーカーを羽織っていた。

 今日は土砂降りなのに、どうしてミスマッチな服を選ぶのかと思ったが気にしたら負けだ。


「何か用か?」

「用がないと来てはいけませんか?」

「そうじゃないけど……」

「ごめんなさい、からかいました。単に一人でいるのが暇だったので遊びに来ただけです」

「まあ雨だしな。一人でいると憂鬱なのもわかる。取り敢えず上がってくれ」


 海涼を家に上げてから三人分の紅茶を沸かして淹れる。

 残念ながらティーパックだけど。

 紅茶を飲みながら軽くお菓子をつまみ雑談に興じていると、何かを思い出したかのように陽菜が声を上げた。


「忘れてた!」

「なにが」

「はるちゃんの髪が傷んでるって話」

「……ちっ」

「今舌打ちした!? したよね!?」


 海涼が来たから有耶無耶に出来るかと思っていたが、そう上手くはいかないらしい。

 諦め半分にため息を吐いて、温くなった紅茶で口を濡らす。

 ああ、ちっとも落ち着かない。


「先輩、今の話は本当ですか?」

「俺にはよくわからん」

「では、ちょっと失礼」


 俺の背後に回った海涼の手が髪に触れる。

 つつ、となぞって、手ぐして。


「美容室行きましょう」

「そんなに酷いの?」

「今はまだ個人の手入れでなんとかなるレベルでしょう。けれど、これが続けば取り返しがつかないことになりますよ」

「そっかぁ……」

「陽菜の時と反応が違うっ!?」

「単に俺を風呂に連れていく方便かと」

「そんな嘘つかないよ! それならそれでちゃんと言うから!」


 ……ちゃんと言えば一緒に入るとでも思っているのだろうか。

 というか子供じゃないんだから風呂くらい一人で入らせてくれ。


「ですが、そうですね。キチンと手入れの仕方は覚えてもらわないといけませんよね」

「海涼ちゃんもそう思うでしょ! えへへ……陽菜が手取り足取り教えてあげるからねー」

「私も加勢します。こんな機会は滅多にありませんし」

「陽菜はともかく海涼は絶対楽しんでるだろっ!?」

「さて、なんのことでしょうか」


 僅か数秒で結託した二人の魔手が迫り――俺は為す術なく風呂場へ連行されるのだった。

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