第25話 呪いなんて碌なものじゃない



 病院の一室。

 ベッドで眠る陽菜の傍には俺と由良さんの姿があった。

 呪災が鎮静化して直ぐに病院へ運ばれ、治療を受けたものの火傷した部分はまだヒリヒリと痛む。

 ボロボロになった制服も鼠色のスウェットに着替えている。

 後で海涼に謝らないとな……と考えながら由良さんの言葉を待つ。


「……取り敢えず、陽菜ちゃんの命に別状はないわ。今は眠っているけれど直に目を覚ますと思うから」

「ありがとうございます、由良さん」

「これでも私の仕事だからね。それはそうと――遥斗くん」


 真冬の水のように冷たい声に丸まっていた背がシャキっと伸びる。

 恐る恐る由良さんの表情を窺うと、淑女らしい笑みを湛えて俺を見ていた。

 花のような笑みだと大多数の人は言うかもしれないけれど、俺には背後に般若の面が幻視出来るんだけど……。


「……今私のことを鬼とか思った?」

「いやいやまさかそんな滅相もない」

「そこまであからさまな反応をされると私も傷つくのだけれど」


 わざとらしく白衣の裾を掴んで目元を抑える由良さんの仕草にチクリと胸が痛む。

 痛むんだけど、本能的な部分が危険でエマージェンシーだって感じたらしいから……。

 思い当たる節なんて幾らでもあるし怒られるのは予想していたけれど、怖いものは怖いんだって。

 そんな空気を払拭するように、由良さんがポンと手を叩く。


「まあ、それはおいておいて。私との約束、忘れた訳じゃないのよね?」

「絶対に無理をしないって話ですよね」

「それもだけど――母親の件、忘れてない?」

「そっち!?」


 えっなにこのシリアス味が深い展開からそう流れるの?


「半分は冗談よ、半分は」

「その半分が異様に不安感を煽るんですけどあの」

「諦めなさい。もう海涼ちゃんにはそれとなく言ってあるから」

「手遅れなの!?」


 ……俺、家出しようかな。

 顔を合わせるのが今から辛い……バイバイ、男としての尊厳。

 ガックリと項垂れる俺の背を優しく撫でる手。

 なんだろう、少し落ち着いてきた。


「――正直、私には呪術師の現場のことはよくわからないわ。だから、貴方の判断が一概に間違っているとも言わない」

「……あれは俺の自己満足ですよ」

「そうだとしても、よ。貴方が戦ったから守られた命がある」


 言って、由良さんが陽菜を横目で見やる。


「本当に無茶はしてないんでしょうね」

「そのつもりだったんですけど……少しだけ。じゃないと死んでいましたから」


 戦った『呪魔』は相当な強敵だった。

 それこそ奥の手と呼べる呪術を使わなければならない程に。


「……そう。ともあれ無事で帰ってきてくれたのは何よりよ」

「少なくとも俺と陽菜、海涼は、ですけど。助けられなかった人の方がずっと多いですから」

「自分を責めているなら思い違いよ。どうしようもないことは世界に溢れている」


 そんなこと、わかっている。

 わかっていて、俺は望んでいる。


 声が、止まないんだ。


 助けてって、死にたくないって。


「――ああ、やっぱり。呪いなんて碌なものじゃない」

「同感よ」


 容易に人の生き方を変えてしまう。

 生きるにしても、死ぬにしても。

 薄氷のような偶然の上で俺たちは生き残った。


「そういえば、今日はここに泊まっていく?」

「そうします。陽菜も起きた時に一人だと寂しいと思いますから」

「優しいのね。でも、遥斗くんもちゃんと休むこと。隠してるつもりでしょうけど、相当に辛そうよ」

「……そんなにわかりやすいんです?」


「分からないわけがないでしょう?」と言いたげにため息を吐かれてしまった。

 実際に図星ではあるのだけれど。


 呪力も消耗しているために途轍もない怠さを感じるし、身体の節々が軋んで重く痛む。

 さらにはアレを使った反動で目の奥がじんと熱く、『誰かを助けなければならない』と強迫観念のようなものまで湧いていた。

 深淵をのぞく時、深遠もまたこちらをのぞいているのだ……そういったのは誰だったか。


 これが呪い。

 これが代償。

 これが俺の望んだ力。


 それでも全体的に見れば軽傷の範囲内だろう。

 表情に出ないよう務めていたのに、それすらお見通しらしい。


「簡易ベッドを運んでおくように手配しておくわ。何かあったら看護師さんか私を呼んでね」

「はい。ありがとうございます」


 由良さんが立ち去り静まり返る病室。

 飲み物でも買ってこようと椅子から立ち上がった時、ガチャりと病室の扉が開いた。


「なーに陽菜ちゃんの寝込みを襲おうとしてるんですか、はるはる。警察呼びます?」


 ミルクティー色の髪を揺らして、相変わらずミスマッチな何処ぞの民族風衣装を纏う天音。


「開口一番にそれとはいい度胸だな、榊」

「てへっ」


 小さく舌を出す天音。

 全くもって可愛げがないからやめて欲しい。


「てか、なんでここにいるんだよ」

「そりゃあ仮にも実にもボクが巻き込んだ訳ですし。誠心誠意かはともかく謝罪のひとつでも入れておこうかと思った次第ですよ。猫になりたいくらい多忙の身ですけど」

「まともに仕事をしているとは思えないんだが」


 普段の天音を知る身としては、机に突っ伏して狸寝入りをしている様子がありありと頭に浮かぶ。

 そんな俺の思考を読んだのか、照れくさそうに頭に手を当てながら近況を口にした。


「いやー、それがちょっとした誤算で臨時の支部長になっちゃいまして」

「どう間違ったらそうなるんだよ……」

「裏で指名手配されている呪術師と繋がっていた元支部長と他数名を証拠付きで本部に突き出したら勝手に臨時支部長にされてました。あ、経費で旅行とかはしないんで安心してください」

「……なんかもう、いいや」


 ツッコミどころが多すぎやしないか?

 キリがなさそうだし適当に流しておこう。


 天音には聞かなきゃならないことがあるし。


「それより、少し付き合え。今回の件について知っていることを洗いざらい吐け」

「強引ですねー。そういうはるはるも嫌いじゃないですけど」


 強引なのはお前だ、という言葉を呑み込んだ俺はとても理性的で偉いと思う。

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