第3話 事後承諾の同居人
「――退院おめでとー、はるちゃん!」
「……何故だろう。素直に喜べない自分がいる」
病院のエントランスを出た俺と陽菜を迎えたのは、秋口の涼しげな空気と昼頃の穏やかな日差し。
目覚めてから約一週間で退院となった俺の顔は、自分で言うのもなんだが割と死んでいた。
「もう笑って笑って! 折角の可愛い顔が台無しだよ?」
「可愛さを望んだつもりはない」
「むくれたはるちゃんも可愛い〜! 陽菜が選んできたワンピースも似合ってるよ!」
そう、ワンピースである。
何しろ平均的な体格の男がいきなり少女になったのだ。
当然合う服なんて持っているはずもなく、それを見越した陽菜がここぞとばかりに買ってきた服。
それが今の俺が着ているやたらとヒラヒラした水色のワンピースである。
曰く、「綺麗な白い髪だから水色は絶対合うよ!」とのことだ。
合う合わないの問題じゃないんだけどな……。
肌寒かったためにクリーム色のカーディガンを羽織っているけれど薄着なのに変わりはない。
靴は黒いローファーになり、頭には青い花の髪飾りがちょこんと乗っている。
下着も女物を着せられて半ば諦めの境地に達しているが、もう少しまともな服は無かったのかと問いただしたい。
少し風が服だけで裾が捲れて落ち着かないし、布地の防御力が低すぎて寒いし。
低くなった視点からジト目を向けていると、
「そんなに嫌だった……?」
「嫌ってか、どう考えても似合わないだろ」
「いやいや。はるちゃんは美少女、陽菜が保証する」
「安い保証だな」
こうなってから何度も鏡を見てはいるが、自分が少女になっているというのは不思議なものだ。
透き通るような白い長髪は絹糸のように細く艶やかで、瞳の色なんてハワイの海みたいな水色になっていたし。
すべすべで瑞々しくシミひとつない肌、筋肉の硬さなんて微塵も感じられない柔らかな肢体。
変わり果てたハスキーボイスへ誂えたかのように調整された背丈では陽菜を見上げることになってしまう。
確かに客観的に見れば美少女と呼べなくもないかもしれないが、間違っても自分で自分を美少女なんて呼ぶつもりはない。
なんかこう、積み上げてきた何かが壊れそうだ。
「それに名前も変わっちゃったしね」
「そうだなぁ……あんまり変わってないけどな」
俺がこうなったことに付随して、協会の方で戸籍の変更をしてくれたのだ。
と言っても名前が遥斗から遥へ変わり、性別が正式に女となったことくらいである。
細々とした変更点はあるものの凡そ問題はなかった。
「まぁ、はるくんははるくんだから」
「……そうか」
何気ない一言が胸の奥に刺さる。
深く考えての言葉ではないのだろう。
常に本心を剥き出しにして接する陽菜だからこそ、それが嘘偽り無き言葉だとわかる。
「それより早く帰ろ!」
急かす陽菜に手を引かれて予め呼んでいたタクシーで俺の自宅へ向かった。
手持ちに財布がなかったために料金は陽菜が支払って降りてから少し歩くと、目の前には懐かしさすら感じるマンションの一室。
表札に書かれた『琥月』の文字が、帰ってきたという実感を与えてくれた。
「鍵は預かってるからねー」
「なんで陽菜が?」
「陽菜も一緒に住むからだよ?」
「……はい?」
聞き間違えたのかと思って聞き返すも、陽菜は笑いながら合鍵を使って扉を開けた。
仄かな埃臭さが漂い時間の経過を感じさせた。
物音のしない部屋、玄関にはもう履けなくなった男物の靴が何足か寂しげに並んでいる。
「入らないの?」
「なんで俺よりも自然に陽菜が入ってんだよ」
「これから一緒に住むんだから当たり前でしょ? ……これってもしかして同棲っ!?」
言われてみればそうかもしれない。
いや、微妙に違うか。
俺はもう男じゃないし同棲ってより同居が正しい気がする。
「そうだ、はるちゃんが入院中に荷物は運んであるから心配しないでね」
「家主は俺のはずだが……どうしてこうなった」
「だってその姿のはるちゃんが一人暮らしって色々不便でしょ?」
……その言い分には納得出来る。
明らかに小学生並み、大きく見積っても中学生くらいの俺が一人暮らしなんてやってたら怪しまれるか。
呪力も封じられている今の俺は一般人とさほど変わらない。
危険なんて履いて捨てるほどあるのは認めよう。
事前に相談があってもよさそうなものだけれどな。
「あっ、『水祟蒼牙』は部屋の机の上にあるからね」
「回収出来たのか。そりゃ重畳」
「協会の方で動いてくれたみたいだよ。放置しておくよりは元の使い手に預けておいた方が安全だって」
強力な呪具は存在するだけで呪いを集めてしまう習性がある上に、『水祟蒼牙』の特性を考えれば妥当と言える。
あれは呪いを喰らう剣。
加えて呪い殺した呪術師の呪詛だって溜まっているから、暴走させないように使い手の元に預けるのがベストと判断したのだろう。
真性の危険物を保有する俺としては気が気でないけど、まあなるようになるか。
多分生きてるのはアレの力もあるだろうしな。
「うーん……先に軽く掃除しちゃってもいい?」
「ん、ああ。俺の家なんだから俺がやるって」
「じゃあお手伝いってことで。あくまでメインは陽菜がやるの」
やけに強情な陽菜……平常運転か。
どうせあの日の誓いとやらを守ろうと張り切っているのだろうが、もっと力を入れるべき場所があるだろうに。
日頃の行いとかな。
「……何か変なこと考えてる?」
「いや、何も」
「はるちゃん昔から分かりやすいからね。考え事をしてると左手を握ったり開いたりするの」
「んえ?」
見れば陽菜の言う通りだった。
まさかの相手から癖を指摘され、恥ずかしさよりも関心が上回ってしまう。
意外とって言ったらアレだが洞察力も充分にあるんだよなぁ。
「それよりぱぱっとやっちゃおう」
「そうだな」
コードレスの掃除機を片手に掃除へ取り掛かった陽菜に続いて、俺も取り掛かるのだった。
時間にして三時間程で一通りの掃除を終えた部屋は、元の綺麗さを取り戻していた。
掃除はマメにしていたけれど、ここまで本格的なのは久々だったかもしれない。
限りなく静かな空気清浄機の駆動音を聞きながら、ふかふかとしたソファへ腰を沈める。
途端に奥底から溢れた疲労感がため息となって盛大に吐き出された。
「おつかれー」
「陽菜もな。……にしてもまるで疲れたように見えないな」
「この程度でへばる陽菜じゃないのです!」
あははと笑って陽菜も俺の隣へ座り、んーと両手を合わせて伸びをした。
俺だって普通なら大した疲労も感じないけど、この身体になってからは体力が格段に落ちているらしく少し動くだけで疲れてしまう。
正直もうベッドに横になって眠ってしまいたいくらいだ。
「ふぁぁ……」
「眠いの? 膝枕で寝かせてあげようか?」
欠伸を漏らした俺を見かねて陽菜は自分の太ももの当たりをポンポンと叩いて笑みを見せる。
「いや、まだ寝る訳にはいかない」
「どうして?」
「夕飯を作ってないから」
至極真っ当な理由。
特にこの場に陽菜がいるならば絶対に看過出来ないものだ。
「そんなの心配しなくても陽菜が作るよ?」
「やめて、いや絶対にやめろ下さい! 俺はまだ死にたくない!」
「酷いっ!?」
心底ショックそうに両手を頬に当てて悲鳴のような声を上げた陽菜。
本当に勘弁してくれ。
お前が料理という名の名状し難いナニカを生み出したら死人が出る。
俺が作ろうにも家を開けていたために冷蔵庫には食材らしいものは入っていない。
「すまんすまん。今日は出前でもとるか。希望は?」
「陽菜はお寿司がいい! サーモン!」
「好きだよなぁ、サーモン」
相変わらず好物が子供側に偏った陽菜の要望に答える形で、今日の夕食は寿司に決定した。
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