第二章④

 階段を上り終え、篤たちはクミの家がある地上へ出た。

 篤は目的地である上空の交わりかけの二つの星に目を凝らした。

「どうやって、あそこまで行くんですか?」

「そっかあ、こいつあれがまだだったな」ホーの言葉にリツが返す。

「カラス纏いの儀だっけ?」

「そろそろあれが来る感じにもなってきてるな?」

「気魂飛翔の儀だったね」

 周囲の景色が、以前に比べ薄暗くなってきているように思われた。

「わりぃ。天獄に行くには、お前のために一つやることがあった」

 ホーから言われると、今度はクミの家の横にあった階段を上っていった。

 小さな森が、楕円のてっぺんにある。

 森の中に二人は臆することなく入っていき、篤もそのあとを追う。

 周囲の木々の梢の辺りから、カラスのような鳴き声が聞こえてきた。

「カラス纏いの儀ってなんです?」

「天獄へは一瞬でたどり着けるが、そのためにはカラスの手助けが必要だ。俺みたいにな」

 篤は全身黒ずくめのホーを凝視し、

「それカラスだったんですね……」

「ああ、何か変か?」

「僕の世界じゃ、ほぼ害鳥扱いですから……」

「人間様のゴミを漁るんだってな。だが昔のカラスは吉報を届けるって言われてたんだぞ。それにここのカラスは、現し世のとは違って人間とうまく共存してんだ。その方がこの世界の人間に都合がいいもんだからだ」

「ホーさんは、誰に纏わせてるんです?」

「あ、それワタシも気になってた」

 リツにも同様の疑問を抱いていたらしい。ホーは帽子のつばに手を触れながら、

「死刑囚だ。死刑と言っても、獄骸になるってことなんだがな。現し世でとんでもねえ悪さをした。刑執行前に、公の場での奉仕活動を言い渡され、ババアが面倒を見ることになった。俺を介してな。それと聖人様からの希望で、奉仕活動のついでに狭間や天獄を見てけっていう慈悲を授かった」

「獄骸になるくらいの悪人なら、そのうちホーさんもやられちゃうんじゃ?」

 篤が尋ねると、ホーは胸を張って、

「大丈夫だ。ババアが目を光らせてるのもあるし、死刑囚もやる気がねえもんだから、何もしねえほうが楽だってんで、自由にやらしてもらってる」

「それならいいんだけど」

 とリツが溌剌に言うと、彼女は叫んだ。

「ラッカ! 出てきて! ワタシだよ!」

 森の中は相変わらずカラスたちの鳴き声で騒々しい。しかしその中から、一羽のカラスが、リツの肩に降りてきた。

「これがワタシの相棒、ラッカだよ」

「こんぬつわ」

 黒色に染まったカラスが人語を喋った。

 篤は目を丸くし、

「カラスが喋った……」

「おめえ、あたしのことバカにしてんぬ?」

「こいつ現し世の奴だからよ」

 ホーのフォローらしき一言に、ラッカは思い出したように今度は感心の音をあげた。

「ああ、ホーが間違って殺したやつぬ?」

「それ言うなよ……」

 ホーが肩を竦めどことなく落ち込んだように思われた。

 この場の空気を持ち直そうと、篤はこう尋ねた。

「えっと……、とりあえず僕がカラスさんの力をお借りするには……」

「ああ、またあん時のこと思い出しちまった……」

 ホーが肩をしょげさせる。それでも常人よりは大きな体躯だ。

「ホーはそこら辺で座って待ってればいいよ。ワタシ、安藤さん案内してくるから」

「また、クミのばあさんから怒られんぬ」

 ラッカがホーを指摘するように、リツの肩でくちばしを動かした。

 ああ、へいへい、とホーは適当に相槌を打った。


 闇に包まれつつある、木々の隙間を篤はリツと歩いた。

「今から会ってもらうカラスは、けっこう気難しい鳥でね。ワタシやホーも昔、そのカラス相手に儀式を行おうとしたんだけど、うまくいかなかった。ダメ元で安藤さんにも試みてほしいなって……」

 篤は何も意に介さず、リツの要望を受け入れた。

「わかった。それでそのカラスさんとはどうしてうまくいかなかったんだい?」

「何ていうか……。さっき言ってた、気魂の飛翔っていう現象が起きるんだけど、それを見て感想を求められるんだ。多分その答え方が、そのカラスのご機嫌を損ねたのかと……」

「ホーさんや、リツさんはどう答えたんです?」

「ホーはカラスだから、気魂の景色を見て、小汚ねえって答えた。ワタシは、キレイだねって言ったら怒って帰っていったんだ」

「今度はその青年が、アタシと組みたいって人?」

 不意に頭の上から声が聞こえた。そして羽ばたく音がしたかと思うと、暗闇の中から、一羽のカラスが地を跳ねながら出てきた。篤はそのカラスの色に驚嘆した。

「赤いカラス……」

「珍しいでしょ?」赤いカラスは得意気に言った。

「この世界ではたまに見かける感じの色よ。あなた名は?」

 篤が自分の名を告げると、赤いカラスも名乗った。

「アタシはコロネ。早速だけど、そろそろ頃合いだから、そこの崖から上へあがってみて?」

 崖? と篤が振り向くと、斜めに切り崩された崖が見えた。

 そう苦心するほどでもない、と篤は崖を上っていった。後ろからリツが「頑張ってねえ」と声を張り上げていた。

 茂みから出てきた篤は、目の前の光景にあっと息を飲んだ。

 恐らく広めの池か何かがあるのだろう。夜も更けたような濃紺の空模様に、視界の両脇には木々の梢のシルエットが浮かぶ。その中央には、天獄の二つの球体が鈍く光り、池に反射していた。

 少し歩きつつ池の縁に腰かけると、背後から近づいてくる足音が聞こえた。

 その方へ篤は視線を向けると、その人物に再び驚く。

 彩だった。

 彩がゆっくりと歩いてくると、篤の隣に腰かけた。

「あ、彩?」

「ごめんなさい。あなたの気魂を覗いてみたの。アタシはコロネよ。あなたがリラックスできるよう、思いを寄せる人にしばらく容姿を変えてみようかと思って……。余計な気遣いだったかしら?」

「いや……」

 篤は首を横に振ったが、突如、寂しい感覚に襲われた。

 実際家族を置いて、こんなところで何をしているのだろう。

 彩の心境は……。拓海の気持ちは……。相談所の人たちは……。

 そう考えていると、隣にいた彩が声のトーンを少し大きくして言った。

「始まるみたいよ」

 篤は天を仰ぎ見た。

 黒い空に向かって、下から小さな光の粒が次から次へと、尾を引きながら昇っていった。

 それが数えきれないほどに、空に向かって飛んでいく。

 池にもそれが映し出されていた。鏡のようなその二つの不思議な現象は、篤に悲しみをもたらした。

「気魂の飛翔……」コロネが語り始める。

「この浮遊する岩の下は、現し世と繋がっているの。あれは全て元々人の姿だった。多くの人が現し世の世界で亡くなっている。そしてその魂はこの世界で天獄を目指してああやって飛んでいくの……。見た感じどう? 何か感じた?」

「悲しいなって思った」

 篤は自分の目許が濡れていることに気づいた。

 リツが言っていたように感想を求められた。コロネのご機嫌を窺うよりも、素直な気持ちを伝えようと思った。

「僕には大病を患った一人の息子がいる。小さな体で、一生息をすることに困難を強いられるかもしれないんだ。あの光の粒一つ一つに、それぞれ人生があって、その中に僕の息子のような境遇の子もいたかもしれない。それに、生きたいと必死に懇願しても、その願いが潰えてしまった人もいるかもしれないと思うと、単に悲しいってだけでは収まらない……。だからきっと涙が出たんだと思う」

「そう……」彩の体が赤いカラスに変化した。

「もしそういう意識があなたの中でずっとあるなら、アタシは力を貸すわ。獄骸を退治するのがカラス纏いの戦士の役目なら、アタシの力はちょっと異なる結果を生むかもしれない。狭間や天獄で獄骸化したらもう二度と人として生まれ変わることはなく、獄側のごみ捨て場でごみを漁るか、カラス纏いの戦士に退治されるかの運命……。でもアタシの力は獄骸を天獄の住人として再び生きる機会を与える力があるの」

 その話を聞き、寸陰、篤の中である思いにいたった。

 ――それなら、ホーさんのように許可をもらって、僕も現し世に戻り、相談所の時に成し得なかった、被害者の子供を救える可能性だってあるのか……。

「でも、あなたは現し世に戻るべき人。アタシも一時的に力を貸すだけにするわ。彩さんのいる世界に、あなたは帰るべきなんだもの」

 コロネのその言葉に篤ははっと胸を突かれた。

「そうか。それもそうだね。僕には待ってくれている人がいる……」

 赤いカラスは、片方の翼を篤へと伸ばした。握手のような所作に思えた篤は、その翼の先をそっと握った。

「大丈夫よ。あなたの復活は無事終えられると思う。クミ婆さんてすごい人なのよ」

「密かに期待してます。よろしくコロネ……」

「こちらこそ……」

 その様子を木陰から覗くホー。

「コロネと難なく仲良くなっちまいやがった。俺がやらかしちまったとは言え、あいつ、ちょっと鼻につくな……」

 暗闇が晴れ、再び青い空間へと景色が変わっていった。

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