第四章⑥

「まさか、八咫烏やたがらす⁉」瞠目するホーをよそにその白色のカラス纏いは、数発発砲してきた。

「ああ、ようやく助けに来てくれたみたいだね……。早く助けてくれ、ラスカ!」

 弾を何とか躱したホーだったが、手すりを飛び越え、ラスカというカラス纏いが襲いかかってきた。

 連続的に繰り出してくるラスカのパンチを避けつつ、ホーもくちばし銃を放つ。

 ところがラスカには当たらない。間近にいる相手に一発くらい当たってもいいはずなのに、ラスカは軽々と躱していく。

 横たわるジョウジを無視し、戦いを繰り広げるラスカとホーだった。

 下にいる篤とリツはカラス纏いの状態になっていたが、ホーらの戦闘に手をこまねいていた。

「あの戦いに加勢するのもなあ……」

「何とかしなきゃなんだけど……」リツは唖然としている向きがある。

「ホーのやつ、八咫烏って言ってなかった?」

「白色のカラス纏いは、八咫烏っていう名のカラス纏いの組織で、ほとんどが戦闘員なんだ。八咫烏っていう組織自体、謎が多いんだけど、ジョウジさんに雇われているところを見るに、傭兵団っぽくもあるみたいだね」

「仕事のためなら手段を選ばず、立場も省みずっていうことか……」

 手すりの際では、ラスカと未だ戦闘中のホーだったが、ラスカの繰り出した蹴りが、ホーの胸を深く穿った。

 背を丸めるホーにさらに殴打を見舞うラスカ。ホーの足を蹴り飛ばし、仰向けに横たわらせると、再度ホーの胸を足で踏んづけた。

 残りの奴らを仕留める、と思ったのか、吹き抜けから下へ顔を覗かせるラスカが目にしたのは、赤いカラス纏いである篤だった。

「げっ! 赤いカラス纏い⁉」

 相当嫌悪感を抱いているのだろう。篤を見るや否や、ラスカはそう言葉を発した。

「早く私を助けろ、ラスカ! 報酬を減らされたいのか!」

「命あっての物種ですわ。すみませんが、これで契約満了ってことでいいっすか?」

 ラスカの一言を耳にした篤は、リツに確かめてみた。

「今の台詞から察するに、僕のことを嫌ってる?」

「赤いカラス纏いだからだと思う」

「なんで?」篤が首を傾げると、コロネがこう推測する。

「私のくちばし銃は人に戻す特性があるから。通用するのは獄骸だけってことだったかと思うんだけど……。恐らくあのラスカって人、赤いくちばし銃で一度リセットされるって思ってるんじゃないかしら?」

「つまり、めんどくさいことはごめんだと……」

 カラス纏いという職に安心感を得ているに違いない。コロネのくちばし銃で人間に戻れば、カラス纏いとしての実力がなくなってしまうどころか、これまでの稼ぎが水泡に帰すことになってしまうということだろう。

 だがそれは、ラスカに知れ渡った誤った情報のようで、リセットされるというコロネの能力は、獄骸に限られているはずである。

 そう思うと篤は胸中で笑った。

 手すりから離れようとするラスカに、篤は床を蹴ってラスカのいる高さにまで達してみせた。

 悲鳴を上げて逃げ出すラスカ。

 篤は赤いくちばし銃をわざとラスカから反らして撃ち放つ。

「大丈夫か、ホー?」

「八咫烏のわりには、赤いカラス纏いを恐れてるとはな。傭兵ならそこらへんの情報に疎いってのは致命的だと思うんだが……」言いながら立ち上がるホー。

 横になったままのジョウジは、自分の惨めな状況にただ、嘆息をつくのだった。


 カラス纏いの状態で、ジョウジを役所へ連行した篤たち三人は、役所の職員にジョウジを引き渡しつつ、ジョウジの違法行為を報告した。職員の話では、あの屋敷は差し押さえになるとのことらしい。

 やがて役所の職員から告げられたのは、ツヨシが人間として戻ってきたということだった。

「あなた方が僕を助けてくださったと、職員から聞きました……」

 篤はツヨシとは初見だったので、彼の顔を密かに眺めてみる。

 角張った顎に、頭部は短く刈られ、細められた目もとはやや大人しい印象がある。

 役所の最上階のラウンジで、ツヨシを囲み篤たちは言葉を交わした。

 喫茶店のあるここは、四方をガラスで囲い、テーブルや椅子がいくつも並ぶ。

「すみませんでした……」

 誤射したことを謝罪するホーに、ツヨシは軽くかぶりを振ると、

「いえ、僕のしでかしたことも常軌を逸脱してましたから……」

「それで今後、どうするんです? ハナさんを襲撃しようとした行為を考えると、ハナさんのみならずツヨシさんも罪に問われることになるかと……」

 リツがストローの包装紙を手でいじりながら、厳かに言った。

「甘んじて受けます……。彼女の獄骸化は免れません。僕は家族を置いてきた身です。僕が彼女に心を許してしまったのもいけなかったことですから……」

「獄側行きは確定かもしれません……」

 ホーが暗い声のトーンでそう言った。

「私はもう死んでしまった。家族との思い出を胸に、獄側で強制労働をこなすことが僕の贖罪になるかもしれません。それで万事解決するなら、これ以上、迷惑をお掛けすることもありませんから……」

 ブレンドコーヒーを飲み干したツヨシは、懐かしそうな顔をして、

「息子も娘もいい子たちでした。息子が小学生に上がるかどうかで、娘は幼稚園に入ったばかり。ほんとにこれからが楽しみな子たちでした」

 染々とツヨシは自身の子供たちのことを語った。

 穏やかな表情は次第に涙声を漏らし始めた。

 ハンカチを取り出し、鼻をすする様を見て、篤はただ見つめることしかできずにいた。

 篤もこれから父親としてやっていく身だった。あの時、あの場所で撃たれなければ、今頃どうなっていただろう。拓海は無事退院し、一家団欒を満喫できただろうか。

 本来であれば、その不条理な人生に憤激を覚え、そういう結末に至らせた張本人を問いただすこともできただろう。

 しかし篤は自分をここへ導いた人物に何ら特別な感情は抱いていなかった。クミの術によるものか。いや、それは大いに否定したい。今も胸に抱くある感情や、これまでの成り行きは全て自分の意思によるものだ。

 考えていると、シオリがやって来た。ハナの裁決をツヨシに告げに来たようだ。

 涙の染みたハンカチで、今一度目もとを拭うツヨシは、シオリの話に耳を傾けているようだった。

「裁定の結果、ハナさんは獄骸への転生が決まりました」

 静かにシオリは述べると、泣き顔でシワを作っていたツヨシの顔が豹変した。

「よし……!」自分の様々な思いが、そうした結果に至ったことで踏ん切りのついたような顔つきに見えた。

 篤にはツヨシの様子が、涙を流していた優しい父親の顔から、慈しみの欠片もない、修羅の顔、あるいは悪鬼の顔に変貌を遂げたようにも映った。

 さっと血の気が引いていくようだった。

 父親として、同じ感情とも同じ立場とも言えない、人間の内面を浮き彫りにした顔にも見える。

 ツヨシは口許を歪みに近い曲げかたをして、

「ありがとうございました……」

 そう軽く会釈し、ツヨシはラウンジから去っていった。

 篤はハナの獄骸化は妥当だと思っていた。しかしハナから被害を受けたツヨシまでもが罪に問われるということには、どこか腑に落ちなかった。

 もし自分だったらどうするか。

 家族を裏切り、不倫関係に陥った先で、不倫相手に殺される……。不条理極まりないこの一件に、渋面を浮かべるほかなかった。

 もし自分だったら……。

「僕もツヨシさんと同じとはいかないまでも、家族を残してきてしまった……」

 ぼそりと言う篤の肩に、リツは手を触れた。

「いいんだよ。安藤さんは別に悩まなくても……」

「悩むなら俺の前で悩むな……」

 ホーが冷たく言い放つと、席を立った。

「これでお前は、現し世と天獄を交互に行き来することができるようになったんだ。悩むどころか、いい方向に向かってると思うんだがな……。それでも悩むってんなら、あとでババアの家の前まで来い。お前に聞きてえことがある……」

 そしてそのまま、ホーはラウンジの奥の方へと足を向けた。

 どこ行くの? と尋ねるリツに、ヤボ用だ、とホーは背中を見せながら言った。

「あの人の用事は全部ヤボ用のような気がするんだよね」

 リツが呟いた。


 ホーはラウンジからカラス纏いの力で別室に移動した。

 長方形の卓を囲む白いカラス纏いたち。

 奥の壁際には三本足の旗が掲げられていた。

「ようやく来たか、ホー」

 白いカラス纏いの一人がそう言うと、

「すまねえ。ちょいとヤボ用がな……」

 席に座り、卓上に腕を乗せるホー。

「そろそろ決着をつけるときが来た、と俺は思ってる。賛成の者は挙手してくれ」

 ホー以外の白いカラス纏いたちが、全員諸手を挙げた。

 その様子をじっと眺めていたホーは、よし……と、何かに意気込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る