第五章①

 クミの家の前まで戻っていた篤とリツは、なかなかヤボ用を終えてこないホーに、立ったまま待ちぼうけていた。

「聞きたいことって何だろう?」

「あたしも知らない……」

 そこへホーが戻ってきた。

「ここで待ってるってことは、俺と話す意思があるってことだな?」

 そうだよ、と篤は言った。

 ホーは腰からくちばし銃を取り出し、篤の前へ放り投げた。

 篤は足元に転がった黒いくちばし銃を一瞥して、

「どういうことだい?」

 篤の問いに、ホーは自分も腰から銃を抜くという態度をとった。

「決闘だ……」

「なんで?」

「いいから銃をとれ!」

 仕方なく落ちていた銃を拾う。

「まずは背中合わせだ」

 言われるがまま、篤とホーは背中合わせになった。

「五歩進んで撃つ。どっちが先かの勝負だ」

「死ぬのかい?」

「カラス纏いになれ。そうすれば痛みは減る」

 篤は背中を合わせた状態でコロネに呼び掛け、赤いカラス纏いになった。

「準備はいいか?」

「うん」と頷き、篤は後ろを振り返らず、歩いていった。

 いきなり何を言い出すのか。ここまで考えなしにホーの言う通りにした自分も自分だが、一体ホーは何を考えているのだろう。一歩一歩草地を踏みしめながら、これまで色々と面倒を見てくれたホーが、まさか本当に自分を撃ち殺すことはしないだろうと思ってもいた。

 五歩目で銃を後ろへ向けると、目前にホーが立ち塞がっていた。互いに相反する方向へ進むのではなかったか? 篤はひどく困惑し、

「決闘の意味ないだろ、これじゃ」

「いいから撃て!」

 ホーが篤の握る銃を掴み自分に近づけさせた。

「何でだよ?」

「いいから早く……、撃てよ!」

 揉み合いになるかたちで、篤とホーは銃を取りあった。

 先に諦めたのはホーだった。今度は篤の胸ぐらを掴み、

「殺せ! 俺を気が済むまで撃ちまくれ! 俺はお前を誤って殺したんだぞ! そうでなきゃお前が苦悩することなんてなかったはずだ! トクコやツヨシの面倒ごとに付き合うことはなかったはずだ!」

 ホーは跪き、

「お前が俺を殺す理由も権利も十分ある! なのにお前は……」

 ホーが拳を緑地に叩きつけた。

「何で俺を殺そうとしない! 恨んでるんだろ、俺を!」

 篤も人間だ。ホーに少しも恨みがないと言えば嘘になる。しかし不思議と篤の中の憎しみは、明確な色を伴っていなかった。

 なぜだろう? もっと憎悪に駆られてもいいはずではないか?

 自分に確かめるつもりでそう何度か考え直してみた。

 同時にこれまでのホーと行動を共にしてきて、ホーの態度から少なくとも、篤にはホーが罪悪感のようなものを抱いていると感じていた。

 自身を誇りに思う反面、時おり見せた冷たい態様も、ホーなりに篤とホーとの心の距離を推し量っていたのではと思われる。

 心の距離――。

 罪人であるホーは、篤と仲良くなりすぎず、また嫌悪をひけらかせず、微妙な間隔を保とうとしていたのではないだろうか。そうすることで、カラス纏いの先輩としてのホーと、誤って殺してしまったホーなりの線引きができるという、それこそが、罪滅ぼしとしてあったのかもしれない。

 篤は狭間に来てから、初めてのことが沢山あり、ホーとのその部分をちゃんと見つめられていなかった。

 そこで今、こうしてホーと対峙し、様子を窺うことによって篤の中にある考えが浮かんだ。

「ああ、そうだ」篤は銃口をホーから反らし数発発砲した。

 そしてホーの胸ぐらを鷲掴みし、

「ホーに間違って殺されなきゃ、今頃、妻と息子と仲良くすごしていたさ。でも、僕がホーに撃たれなかったら、息子は命を落としていたかもしれない……。ここへ来てホーやクミさん、リツに会わなきゃ、息子が健康を取り戻すこともできなかったと思う……。だから、感謝してる……。それに、ホーたちを頼りにしなきゃ、僕はここじゃ右も左もわからない。だから僕はこれからもホーを利用する。僕が現し世にちゃんと戻れる日まで。拓海と妻と団欒を味わう日まで……」

 篤は膝から草の生えた地に座った。今度はホーの両肩に手を置き、

「だからホーも僕をうまく利用してくれ……。現し世に戻る可能性が少しでもある方向に、僕は自分を導きたい……!」

「その言葉、本気か?」

「本気だ。でなければ僕は生き返れないからだ!」

 へっと、小さく笑ったホーは、篤の体を後ろへ突き飛ばし、立ち上がった。

「ようやく本音が聞けたぜ……。俺の演技にまんまと騙されやがって……!」

「ホー! お前ってやつは!」

 篤は多少、怒りを見せたが、ホーの笑声に自分も思わず笑って見せた。

「どうしたんだい?」「外がうるせー」と屋根瓦の家からクミとナユが出てきた。

「何でもねえよ!」

 ホーは言って、振り返ると森の方の階段へと歩いていった。

「照れ臭いのかな?」

 リツが小声で言うと、クミから問われた。

「何があったんだい? 銃声が聞こえたけど、怪我してないだろうね?」

 リツは満面の笑みを見せると、

「大丈夫。聞くだけヤボってやつだから……!」


「そんなことする親に生きる権利なんてないだろ……」

 大学一年目の夏、友人からの紹介で、当時四年生だった、粕谷要という先輩から、喫茶店で話している最中、そう冷酷な言葉を浴びせられた。

 伸びた黒髪は額の中央で分けられ、色黒の顔に、鋭い目付きのこの要という男の台詞は、真面目な篤には冗談としても受け取れずにいた。それが面白い部分でもあるから、と友人たちの薦めもあって要の物事に関する様々な考えを聞いておこうと思ったのだが……。

 篤の将来なりたいものが、親からの虐待を受けた子供を救う職種だったために、はだけた服の隙間から、汚いものを見せられたような要の言葉が返ってきた。

「そんな……身も蓋もないじゃないですか……」

「子を殺す親も身も蓋もないがな」

 苦笑いしつつ、篤としては要の言葉を否定したかった。

「そりゃあもちろん、子供を殺すってのはよくないことですし、親は裁かれるべきです。ですが、生きる権利がないだなんて、行きすぎた考えのようにも聞こえるんですが……」

「まあ、それがごく一般的な考え方だろうな。だが、俺以外にもそんな考え方の奴はいるぞ? 俺としてはそんな親に出来ることなら直接手をくだしたい。まだ幼い子供を死なすなんて、人間ですらないからだ」

「またまたあ……」

 苦笑を保ちつつ、要の言動を篤なりに丸く受け止めようとした。しかし、言い返そうにも当時の篤には、幼児虐待や児童相談所に関しての十分な教養がなかった。

「な? お前なりの意見は汲んでおくが、反論できるほどのものを用意していない。それを見るからに、お前自身、そういう親に対して何か感情があるんじゃないか? 例えば憎悪とか」

「憎悪……。確かにあるかもしれません。ですが、子を殺害した母親を養子として受け入れ、面倒を見るという良識ある人が手を差しのべたというニュースを見たことがあります。それにやっぱり僕は、粕谷先輩が独断で制裁を加えるというのは、罪に問われてしまうことなんじゃないかと……」

「馬鹿」要は冷たくあしらうように、

「本当に直接手を下す奴なんているかよ。まあ、世の中には自分の考えが正義って思い込んでいる奴もたくさんいる。自分のしでかしたことを棚に上げてな。同級生を殺した子供の家に、悪口が書かれた大量の張り紙や落書きを仕掛ける奴もそういう考えの奴だろ? 俺でさえそんな行為に行き過ぎたものを感じるがな……。だが、それはそれだ。何を言おうと俺の考え方を覆すのは無理だぞ」

 そんな極端な物言いを、怖いもの見たさで聞きに来た自分も自分か。こういう思考の持ち主も世の中にはいるのだと、篤なりに学んでみたのだった。

 反論したければ反論すればいい……相対するこの先輩に一泡吹かせてやりたいのも篤の本心だったので、種々言葉を選ぼうとした。

 先輩がそのようなお考えでも……、僕にはその考え方は……。

 考えようとしてもなかなかいい言葉が出てこない。選出に迷っていると、要の方が口を開いた。

「昔、俺も父親から虐待を受けてたんだ。幼い頃、俺を虐待する父親と別れた母親は一人で俺を育てようとした。だが、小学校入りたてで再婚しやがってな。次の男もチャラチャラしたやつで、俺は気に入らなかった……。だから家を出たってのもある。親がみんな良心的とは限らないんだぞ、お坊ちゃん……」

 む、と口を尖らせそうになった篤だった。

その晩、頭がやけに冴えて眠れなかった。

 別れ際、要の言った一言が、ずっと頭から離れなかったからだ。

「そんなクソみたいな親、俺がぶっ殺してやる……」

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