第五章②
楕円の岩の縁に腰かけ、篤はそんなことを回想していた。
その後、要とは二度と会うこともなく、卒業後すぐに結婚し一児をもうけたという噂を耳にしたが、本人が当事者になっていなければいいなと、篤は密かに思っていた。
「わっ!」
背中を揺さぶって驚かしたのは、白い振り袖にミニスカートのような短い裾を揺らして現れたリツだった。
「ビックリした……!」
篤の驚き様にへへへーと無邪気に笑うリツは、篤の横に座った。
「なに考えてたの?」
「えっと……」
「エッチなこととか?」
篤は苦笑いし、違うよと言った。
「少し昔のことをね……。もし親が子を殺したら、親も死んで償うべきだとかっていう先輩が大学の頃いてさ」
へえ……、とリツは自分の考えを濁すような返事をした。
そういえばリツは姉を探していたんだったなと、篤は自分の述べた言葉が相手にそぐわないことだったと、訂正しようとした。
「ご、ごめん。お姉さん探してるリツにはあまり関係のない話だったかな……」
ううん、とリツは小さくかぶりを振り、
「実際、お姉ちゃんとわたしが親に殺されたっていう過去があってもおかしくはないかな……。親が一緒に天獄にこなかったってのなら、その可能性も十分あるわけで……。だから安藤さんの言ってることは何も悪くないよ?」
リツの喋る口の動きが、ある少女の口の動きと同じになった。それはリツと篤にも知らないことだった。
リツからそう言われ、姉を探している人に親の話をするのは、少し話す内容をたがえているなとも思った篤は、後頭部に手を当て、
「いやあ、何か色々と下手なこと言っちゃって……」
そこで篤の頭の中で、何かが合致したような気がした。リツのことか、自分の過去のことか……、ないまぜになって輪郭がぼやけている。
――なんだ、今の……。
そこでナユがクミの家から出てきた。
「A君、ばあちゃんが呼んでっぞお!」
「早速、現し世で事件が起きようとしている……」
クミと篤、ホーは居間のちゃぶ台を囲んでいた。うつらうつら、と眠りこけるリツと、畳の床に放り出されたリツの足を枕がわりにして眠るナユ。コロネやラッカたちはそれぞれ、部屋の隅に集まってカアカアと何やら話し中だ。
「起きようとしているっていう推測なんですか?」
篤は疑問を呈した。
「現し世の時間でいうと、あんたがここに来る前の数週間、現し世の人間が獄骸化している。主に子供だがね」
ここに来る前、刑事の小竹から捜査協力の依頼があったあの事件との関係性がここ来て繋がった。
あの黒い死骸は子供が獄骸化したものであり、その子供が両親を襲ったのだ。
そうすると、親の頭部にあった銃痕は、一体誰が残していったものなのだろう。
その疑問の答えは、傍らにいる黒い大きな体格をしたカラス纏いの存在によって篤の中では密かに判明した。
「そういえば、少し気になったのが、現し世では獄骸の死体があったのに、ここでは死体もろとも消えてますよね?」
「その現象については、あんたの相棒であるコロネの能力によるものさ。胸を狙うと死骸ごと消え、ホーみたいに普通のカラス纏いは頭を狙うし、コロネみたいな特性もないからね。特に現し世はこことは違って、時間的な縛りや空間や環境といったものが、狭間や天獄とは異なり、死骸が消え去るってことにはならないのさ」
「時間的な縛り、空間と環境……」篤はどこか納得ができなかった。ホーがクミの説明に付け加える。
「要は狭間や天獄が、非現実的な場所ってことだ。または幻想的というがな。現し世での空間や環境、時間とかの常識が通用しねえってことなんだ」
特に深い事情や理屈があるわけではないようだ。篤がそう納得し、深く頷いて見せると、クミが議題を戻した。
「ホーが現場から採取したものの中に、枯れた煤花があった。それは現し世では咲かない花で、育てることもできないものだ。何者かが、煤花を利用して獄骸化させているようだね」
「一体何の目的があるっていうんでしょうか?」
現し世と狭間を行き来できるようになっても、まだその特異な力を使ってもいない篤には、当然浮かぶ疑問だった。
「わからない。ただ、腹立たしいのは子供を獄骸化させているっていう事実だ。その親を道連れに食い殺し、最終的にはカラス纏いで処理している形となるが……。結局後手に回ってしまってる。あんたたちが組んだことでそれを先手にできればと思ってるんだがね」
「先手ですか……」篤が胸の前で腕を組んだ。
煤花を所持している何者かとは誰か。一体、何の目的でそのようなことを……。
篤は考えながら、黙してクミの言葉に耳を傾けた。
「現し世に行くにあたって、注意事項がある。よく聞いといてくれ。注意事項は主に三つ」
一つ目、カラス纏いを現し世で解くな。
「カラス纏いを解いた姿で現し世をうろついちゃいけないよ。時間的概念の異なる狭間のカラス纏いの状態を解けば、気魂を失っているあんたの現状、現し世の環境と不調和になり肉体が喪失する恐れがある。喪失したら今度こそ、天獄で暮らすことになる」
二つ目、任務遂行は迅速に。
「獄骸は放っておけば、次々と人を襲う。できれば獄骸化した直後に処理をしたいし、あんたがここに来る前から、ホーはそれを実行してきた。子が親を食うだなんて寒気がするし、カラス纏いとして、そんなことはさせやしないよ」
三つ目、家族や友人に会うな。
「これは一つ目と重なるかもしれんが、あんたが誤殺され、現し世の環境や時の流れが少しずつだが、変化してきている。あんたが死んだことで、あんたの身の回りの保たれていた調和が変化してきているのさ。それは突然、狭間の住人であるカラス纏いに殺されたからってのもある。現し世の中で現し世の人間に殺されたり、事故に遭えば現し世のルールに則ってるからいいんだが、現し世とは異なる環境に住む人物から殺されてしまったとなると、現し世の調和の一部分だったあんたが消え、調和がゆっくりと変化していくってことになる……それが以前見せたあんたの妻の様子ってことさ」
あの時の彩には、篤の存在が朧気になってきている感じがした。クミが言いたいのはそういった事象を例に上げているということだろう。
クミは湯飲みを持ち、一口すすると、
「以上が現し世に行くための決まり事だ……」
クミから種々話を聞き、早速、篤とホーは現し世に行く準備を始めた。
準備といっても、楕円の岩の端に立ち、そこから下へと身を投げればいいだけとのことらしい。
「頑張ってね、二人とも!」
リツが溌剌と声をかける。
「気をつけて行ってくるんだよ」
クミの口調も明るい。篤たちの獲得した心石を心待ちにしているというのもあるだろう。
「あとはよろしく頼んだぞ、リツ……」
ホーと視線を合わせるリツは、無言で頷いた。
切り崩された岩の際で、下を見下ろす篤。
――下が青くて暗い。本当にこんなところへ飛び込むのか……?
ホーが小馬鹿にするように言う。
「怖いか、篤……。断るなら今のうちだぜ?」
「いや、怖いかどうかっていうと、どちらかというと、何て言うか……」
言い惑っていると、ホーが篤の首を前から腕で覆った。
「ほら、さっさと行くぞ!」
二人して同時に狭間の下方へと身投げした。
「うわああああああっ! そりゃないよ、ホー!」
篤の声が青い空間に響き渡った。
頭を下に向けて、ほの暗い藍色の空間を落下していく。
見えてきたのは白い雲のようだった。それもあっという間に通りすぎると、夜の町並みが見えてきた。
点々とついた窓の明かりが視界に覆い始め、落下速度が緩やかになり、やがて夜の町のとある道に篤とホーは着地した。
「現し世のやつらには俺たちの姿は見えねえ。だが、物は壊せる。人と接触もできる、が、あんまり大きいものとか壊すなよ。鍵を壊して侵入することもあるから、それぐらいならまだしも、車とか建物の一部、窓ガラス全体とか、屋根に穴をあけるとか、それを行えば現し世に強く干渉したことになり、天獄で罰せられる。気を付けろ」
ああ、とホーの忠告に素直に返す。
「でも、この道と角の潰れたタバコ屋とか、見覚えあるな……。もしかして……」
篤は突然、カラス纏いのマントを翻し、空高く跳躍した。
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