第一章③
ある日の日中、篤は小竹と目星のつけた家へと車で向かった。
刑事が前に出て話すと、警戒される可能性もあるため、篤が玄関前で親と話し、小竹は死角で待機しながら様子を見ることになった。
午前中、十時から回ったのは五軒ほどだった。どの家庭も今のところ落ち着き払ったような感じで、事件性のある雰囲気は全くと言ってないようだった。
昼食後に車中で小竹と話した。
「どのご家庭も、今のところは問題ないですね……」
「この行動が、先走ってなきゃいいんですけどね」小竹が自嘲するように言う。
「やっぱりドラマと違って地道にやっていく忍耐強さが必要ですか」
「そうですねえ。そもそも被害に遭う可能性と言っても、謎が多く残されてますから」
なぜ銃社会でもない日本の一般家庭で、銃痕がついた頭部が発見されたのか。家屋すら焼け落ちていないというのに、遺体の一つが焼死体になっていたのはなぜなのか。頭を食べなければならない理由はなんなのか、子供はどこへ行ったのか、子供の代わりにいた大きめな焦げた遺体は誰のものなのか……。小竹は順にその不審な点を述べていき、
「この捜査でさえ、徒労に終わることもあり得ます。警察とはいえ、一般の方の家に強制的に踏みいるにも段階が必要。しかもそれが、現状できるほどの決定的なものさえ皆無……」
そこで小竹は深く嘆息をついた。
「個人的に気になったお宅が一軒……。守崎さんというお宅の様子がちょっと気になりました」
篤の述べた疑問に、というと、と小竹は興味を示した。
「静かだったんです。妙に……。お子さんが二人いますが、児童施設には通わせていないので、前行ったときは泣き声が聞こえたんですが……」
「相談所職員の、勘てやつですか?」
「鋭さは持ち合わせていないと思います……。取り越し苦労の方が、お子さんが痛め付けられるよりもいいですよ」
「まあ、確かに。我々も平和な方がいいんですけどね……」
小竹はドリンクホルダーに入れていた缶コーヒーを一口飲んだ。
昼過ぎも数件回ってみたが、どれも普通の雰囲気で、小竹やメディアなどで知らされたような、凄惨でひっ迫したような異変さを特別感じることはなかった。
小竹とはわかれ、児童相談所へ帰った。黄昏時のぼんやりとした日当たりが、相談所の周囲に影を作り、施設の建物を黒く染めあげる。
一日一日が過ぎていく。拓海は無事快癒し日常を共にできるのか、それさえも不明なまま篤は仕事をこなした。
報告書を作成していると、電話がかかってきた。
受話器を耳に当てた篤の耳に、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「……二丁目の堀だけど……」
この堀という女性は、篤や児相とある関わりのある人物だった。堀からの連絡……、篤は嫌な予感がした。
「隣の守崎さんち、ちょっと大変みたい……。さっきから子供がずっと泣いてるのよ。父親の怒鳴り声もすごくて……」
午前中に回ったとき、嫌な予感がしたお宅だ。この堀という女性は、守崎家というお宅に何か異変があるとわざわざ連絡してくれる人物だった。
「わかりました。親御さんはいるんですよね?」
篤は改めて聞いてみた。いるといないのとでは対応の仕方も変わってくる。
「いるみたいね……」
「わかりました……」
職権保護を適用するなら、今しかない、と踏んだ篤は、
「今行きますので!」
と電話を切り、小竹に連絡した。あとで追い付きます、と小竹に告げられ、傍らにいた豊橋が、
「私も行った方がいいよね?」
「両親もいらっしゃるということですので、すみません、お願いします……」
多勢に無勢だとどうしても言いくるめられそうだ。味方はより多くいた方がいいだろう。
守崎家まで車を飛ばした。
2DKのアパートだった。一階の角部屋が守崎宅だ。
急いで車から出ようとすると、豊橋の携帯が鳴り話し始めた。
「先行きます!」
と篤が言うと、豊橋は謝るような仕草をした。
しばらく食事を与えていないからか、子供たちがぎゃんぎゃんと泣きわめく。近所からの苦情もあり、守崎家の親のストレスは最高潮に達していた。
ひっきりなしに泣きじゃくる長女と次女。
昼間は妻とパチンコに出かけていたが、行ったきり、自宅に戻らないという選択肢もあっただろう。しかし、守崎家の父親は、まだどこか父親としての自覚があるようで、自覚と言っても、それを行動に移すとなると、しつけという名目のストレス解消法しかなかった。
二人を泣きやめさせるため、まず長女の顔を殴った。先ほども蹴り飛ばしたばかりだった。
無闇に外に出ないよう小さな仕切りを作り、その片側の仕切りに殴った長女の頭がぶつかった。痛い、と更に泣き声が大きくなる。
ひとまず黙らせるのはあとにして、続いて次女の頭の旋毛辺りを抉るように続けざま殴打した。次女は頭を抱えながら、泣き止むこともなく床に伏した。
「うるせーんだよ! ちったあ静かにしろや!」
父親の激昂が今度は母親に向かおうとしたとき、子供を仕切っていたスペースの向こうの窓が開いていたことに気づく。
そんなことはどうでもいい。
次は母親に向かって歩き出す父親。
そこで――、
座り込んで俯いていた母親の背を蹴り飛ばそうと考えていた守崎家の父は、背後に異様な空気を感じ取った。
気づけば、泣くのを止めない子供たちの声はなかった。
何かが軋み、弾ける音も聞こえた。
父親は後ろを振り返った。
安藤篤からの連絡で、車を飛ばす小竹。スーツの胸ポケットに入れていた携帯が鳴動し、ハザードランプを点け路肩に一旦車を停めた。
スマートフォンの画面に映った相手の名は、解剖医のものだった。
「どうしました?」電話に出る小竹。
「この間言っていた件、結果が出たよ」
「DNA鑑定ですか? それで結果は?」
「頭部が半分無くなった遺体は母親で間違いなかった。その傍らの焼死体も父親のものだ」
残りの遺体は? と尋ねるが、電話の相手はしばらく黙ったままだった。
「いや、私としちゃ、未だに信じられんのだがね……」
「どうしたんです? 遺体に異常でも?」
守崎家の玄関前で、インターホンを押す篤は、中から悲鳴のようなものを聞き、焦燥感に駆られた。
このままでは、また誰かが犠牲に……。思い切ってドアノブを捻ると、鍵がかかっておらず、すんなりと入室できた。
夏に近い、じめっとした空気。それに混じって異質な臭いも漂う。
子供の排泄物をちゃんと処理していないのか、そんな臭いや、切れかかった蛍光灯が点滅し、荒れた室内を怪しく照らす。
何かを噛み砕く音。居間までの通路を歩きながら、それらの音や臭い、気配などを如実に感じ取っていた。
そして、ゆっくりと居間に差し掛かったとき、篤はこの世のものとは思えないものを目撃した。
体中の骨が浮き出た二つの黒い肢体、その影が夏間もない日の延びた陽光によって視界に浮かび上がった。
それが小竹の言っていた焼死体かはわからない。
思考に及ぶ間もなかった。ただ漠然とその異形な二つの物体に釘付けになっていると、その物体の頭部らしきところが動いた。
やつれた眼窩に収まる瞼のない白い目玉が、ぎょろりと篤を捉える。
突然、ガラス窓から入ってきた人影。体格の大きなそれが、腰から銃のようなものを取り出し、漆黒の動く骸骨へ向けた。
骸骨はすでに篤へと飛びかかっていた。
銃声が二発。
その一発は、篤に襲いかかってきた黒い骸骨へ向けられ発射されたようだった。もう一発は、飛びかかってきた骸骨の向こうにいたもう一体の骸骨へと放たれたもののようだ。
篤は短く悲鳴をあげ、逃げようとした。足がもつれ床に転倒。銃弾がちょうど、篤に襲いかかった骸骨の頭を貫通し、篤の胸部に着弾した。
痛みに襲われる感覚はなかった。
妙な眠気に誘われ、篤は瞼を閉じた。
小竹は現場に到着していたが、耳に当てた携帯から、信じがたい言葉を聞かされていた。
「ほんと、これ言っても信じてもらえるかわからんけど……」
解剖医の言葉に小竹は固唾を飲んだ。
「行方不明の子供のものと一致したんだ。黒くて頭に銃痕があった焼死体……。行方不明の子供のDNAと一致したんだよ……」
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