第二章⑥

 天側にて、私用のためにリツは占い師の元へ訪れていた。

 天側のとある街角。そこに占いを行うスペースがあり、リツは肩にラッカを置き、フードを目深に被った老婆と相対する。

「お姉さんの行方だったね……。しばしお待ちを……」

 何やらぶつぶつと唱えると、老婆とリツの間にあったテーブルの上の水晶玉が輝き出した。

 老婆が水晶玉に手を伸ばし、ゆらゆらと怪しげな動きをさせたあと、

「森の中に、小さな泉が見える……。そこに稚魚が二匹泳いでいる……」

「それで……?」

 リツが老婆に顔を近づけさせた。

「それだけだ……」

 老婆のその一言に、リツはガクッと肩を落とした。

「それだけって……。そもそもお姉ちゃんがいなくなった経緯さえもわからないのに……」

「お前さんの姉が行方をくらました理由は、何となくだがわかる」

 リツは占い師の次の台詞を待った。

「天側で暮らすようになるには、それだけの理由がある。生前、大きなハンデを背負っていたり、突然の事故に巻き込まれたり。そんな多大な不幸に遭われた人間が役所勤めとなることもある……。誰しも自分が何者かで、どこへ行こうとしているのか、模索しながら生きている。お前さんの姉が行方をくらましたのも、きっと……」

「自分探しのため?」

「かもしれん」

「その泉ってどこにあるの?」

「天獄では見かけたことはないな……」

「じゃあ、現し世?」

「それ以上知りたければ別料金となる」

 老婆の評判を信じてここを訪れたが、姉が自分の姿を消した訳は、老婆の推測であろうともひとまず受け入れることにした。それでも姉の行方を示したという場所はどうも胡散臭く、追加料金を迫ってきた老婆も評判がいいとはいえ、いくらか信じがたい。

 リツはこれ以上の追求を止め、占いのスペースを後にした。

「お姉さん、何処行ったんぬ……」

 肩にいたラッカが心配そうに顔を覗き込ませる。

「さあ。森の泉と二匹の稚魚ってことだけ覚えつつ、あとは少しずつ探していくしかないかな……」


 獄側の暗黒に包まれた街――。

 ネオンの光る街の中を篤はホーと歩いた。

「ここが獄側……」篤は街の雰囲気に気圧されそうになり、そう呟くことしかできなかった。

 夜が訪れたのではなく、空に浮かぶ分厚い雲が、空からの光を遮り暗くしているようだった。

 道端にはごみが散乱していたり、篤の理解に及ばなさそうな、何かの取り引きをする黒い服を着た連中などが、歩道をゆく篤とホーの視界の脇を通りすぎていく。

「死んでからもこんな場所に?」

 命を落としても、こんな環境の悪いところで暮らすのは忍びないものを感じる篤に、ホーは同情する気配もなく、

「現し世で悪さしたりするとここへ来る。だから自分が悪いってことなんだけどな」

 それもそうか。殺人などの罪を犯した人間が天側に来ることはそうそうないだろう。

「自主性を重んじるっていうかな。獄側からでも転生はできる。善行を施し続ければ、役所からお呼びがかかって、そろそろどうか、なんていう風に話が来たりするんだ。それでもここで暮らしたいってやつがいるのは、元々気魂が廃れてるってことかもしれねえ。聖人になりてえってやつらばかりでもねえんだ」

「こことか天側で生活し続けるとどうなる?」

「強制的に転生させられるって聞いたことあるな。特に獄側で暮らしていると、無理矢理転生させられるって話だ。天獄に来て人を殺したりすると、獄骸化しちまう。そういう刑罰があって、結果的にはカラス纏いの目を盗んで生き延びるか、カラス纏いに退治されるかどうかしかない」

「獄骸のまま死ぬとどうなるんだい?」

「さあな。現し世で死んだ分には、まだ天獄へ来ることができる。が、死後の世界で獄骸になるなると、取り返しがつかなくなる。ま、コロネの能力でやられると人間としてのチャンスはたまた巡って来るが……」

 ホーは帽子の上から指で頭を掻きつつ、

「死後の世界で死ぬなんてよっぽどの人間だろう。ここの住人同士での殺しとかもあるからな。そういう奴らがどうなるかは想像の範疇でしかないが……」

 うん、と篤はホーの次の言葉を待った。

「宇宙の彼方の塵となって消えるとか、動物や畜生の類いに生まれるとか……。その程度の情報しかない。だがそれでも償うってことになるかどうかは、当事者でない限りわからんだろうな。罪を犯した奴が、自ら死を望むこともある。または、生きて償う奴もいる……。まあ、大方聖人様のお考えになることは、生きて償えって方だがな。悪い奴にはそれなりの罰を受けさせるってのも、同じ聖人様のお考えになることらしい……」

「死んでも結局、生きるか死ぬかの瀬戸際にいるっていうのは苦しいね」

「現し世の方がまだマシかもしれねえが、ここでの日々の営みより、現し世での日常はもっと辛いんだってな」

「さっきクミさんも言っていたっけ」

「現し世ではどうだ? やっぱ辛いか?」

「楽しいこともあるよ。でも昔、バイト先で先輩から言われたことがある。八辛いことがあれば、二楽しいことがある。それが社会であり現実なんだって」

「八:二か……確かに辛いな」

「無理矢理転生させられるってのは、本人の希望や主張を無視してるみたいで、僕としては何か嫌なものを感じる……」

「天獄の連中には、転生はいいことだっていう考えを持つ奴も多くいて、神聖なことであるって考えの奴もいる。強制的にといっても、転生すればそのことも忘れちまうからな」

「忘れるか……。でも現し世で生きていく途中で、やっぱり辛いなって思うこともあるんだろうなあ。思い出さなくても、現実の辛さは、大人になるとやたらと感じるようになる。僕もまだ二十四だけど、仕事してるとひしと感じるよ」

「ま、そうやって合理的に天獄の住人を入れ換えていかねえと、ここの人口がとんでもねえことになっちまうってのもあるんだ」

 そう言いながら、ホーが道を曲がった。曲がった先は路地裏で、ひと気もなく、静かな雰囲気だった。

「廃れた町には廃れた町の決まりがある」

「決まり?」

 路地裏の突き当たりにある扉を開け、二人は中に入った。

「ここは獄側の最端に位置する場所だ。獄側はごみが天側から運ばれ、集積される環境上、二層式になっていてな。下層でごみを燃やしたりして燃料にするんだ。それを上層で温泉に利用して、現し世で疲れた体を癒す」

 建物の中はごみの収集所のようだった。鼻がねじ曲がるくらいの異臭がしたので、鼻を手で覆っていると、ホーが指差した方向へ目を向けた。

 大量のごみが、中央の穴へと落ちていく。

「ここもごみを燃やす施設の一つだ。役所から個人で請け負ったりしてな。この下でごみを燃やしてる。獄側の街には至るところにこういう処理場が存在してるんだ」

「へえ、集積所かあ……」

 感心の音をあげる篤に、ホーが腕を動かし、篤を前へ招いた。

「ここは、自分の腕を鍛えられる環境でもある。そうした環境での鍛練は、荒んだ場所でこそ強く磨かれる……」

 とはいっても、と下方を眺めていると単にごみを処理する場所のようにしか見えない。そう思っていると背中が強く押され――。

「鍛えてこい。コロネと一緒に……」

「ホー!」

 篤が叫ぶも、中央の穴へと滑落しその内側へと大小のごみとともに紛れ込んでいった。

「コロネを難なく物にしやがって……」

 ホーは姿の見えなくなった篤にそう言い放った。

「いきなり何するのよ、ホー!」

 コロネが翼を羽ばたかせながら空中でホバリングする。

「大変なことをしてくれたわね!」

 コロネの言葉に聞く耳持たず、ホーはその場を後しにした。


 ごみが集まったこの場所は、やけに熱気を帯びている。

 ここがホーの言っていた下層だとするなら、ごみの下は炎か何かで熱せられているのだろう。熱さを直に感じないのはそれだけごみの量が多いからだろうか。それでも篤の体は熱気で汗ばんでいった。

 炎の明かりで、視界が特に悪くなったというわけではない。

 微かにごみの山が見えるくらいだったが、その中にごみとは別の物が見えた。

 四つん這いになった黒い骨の浮き出た怪物……。

「ご、獄骸か!」

 クミの言っていた害獣扱いされている獄骸が、ごみを食ってここで巣を作っているとも考えられる。

 視界を広げると、その数は十匹以上はいるようだった。

「大丈夫、安藤さん!」コロネが飛んでやってきた。

「コロネ、どうやらのんびりとホーの悪口は言っていられないみたいだ……」

「こういう場所が初めての割には、余裕みたいね……」

「怖いことは怖いさ……。現し世で一瞬見たりしてはいるけど……」

 現実で獄骸の姿を見たのは、ほんのわずかだったが、篤としては臆病からすぐにこの場から逃げ出したい思いに駆られていた。

「でも、ホーは鍛えてこいって言ってたし。戦わない選択肢だって十分あるんだ」

「あなたに嫉妬してるのよ、ホーは」

「そうなのかい?」

「あの人から一度求婚されたんだけど、アタシ、それを突っぱねたの」

「嫌なところでもあった?」

「威張ったりするから、そこが苦手なの……。さあ、どうする? アタシの準備は万端よ?」

 よし、と篤は両手に握り拳を作り、

「彩、愛し……」

「その変身の時の掛け声なんだけど、あなた、息子さんもいたんだったわよね?」

「そうだ。拓海の名前も入れなきゃな」

 一旦間を置いていると、獄骸の中の一匹が飛びかかってきた。

「彩、拓海、愛してる!」

 赤い羽根のカラス、コロネが篤の顔を翼で覆った。カラス纏いの戦士に姿を変えた篤は、噛みつかれる寸前だった獄骸を躱し、ごみの山に着地した獄骸の背中に向かって、くちばし銃を発砲した。

 一発で身動きしなくなる獄骸を見、

 ――よかった。思ったよりも弱いみたいだ……。

 右から左から、あるいは下から上から次々と獄骸が押し寄せてくる。

 噛みつきが主な攻撃手段のようだ。篤は焦りながらも、それらをさっと避けていく。

「僕、こんなに運動神経がいいわけじゃないんだけど……」

「それがカラス纏いの特徴よ。カラスと力を共有している分、人間側の能力を補正しているの。だからこそ、身軽になった感じがするのよ」

 ごみで溢れた床を跳ねながら、獄骸の攻撃を身軽に回避していった。

 背後を振り向き、避けたばかりの二匹の獄骸の丸まった背が見えた。

 適当に発砲し、腕や横腹に着弾したように見えたが、その二匹は再び篤に飛びかかってきた。

「どこを狙って撃てばいいのかな?」

「胸を狙うといいわ」

「右胸左胸ってあるけど……」

「真ん中辺り。そこら辺はざっくりしてるわ」

「現し世で聞いたのは、頭に弾の痕があったってことだけど?」

「やっぱり現し世でも獄骸が出るようになっちゃったのね。……狙う場所はアタシの能力によるところが大きいわ。気魂て、胸に存在してるイメージが強いけど、実際は頭の方にあるのよ。記憶やその人の本質的な能力を保って、頭の中に存在してる。ホーみたいに普通のカラス纏いは頭を狙って撃つのだけど、獄骸の胸には『心紅』と呼ばれる血の塊があって、気魂と連動しているの。アタシの能力は気魂を残してその気魂の記憶などから、天獄で生きていくための体と思考を保てるようにするから。獄骸を倒すと出現する宝石があって、それを『心石』というんだけど、換金できたり仕事をしたことの対価になるの。胸を撃った場合、心石が劣化するから、ホーたちは逆に頭を狙って心石を大事にする。その方が心石の価値が上がるのよ」

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