第二章⑦

「さっきホーが言ってたけど、現し世で獄骸化する分には人間に転生するチャンスは逃したことにはならないって話だけど……」

「ええ。現し世と天獄の理が異なるからって言われているわ。でも現し世でカラス纏いに殺されるってこと自体が普通じゃないの。その現し世で起きた事件、気になるわね……」

 コロネの話を聞く傍ら、真正面から覆い被さろうとしてきた獄骸に、篤はコロネの言う通り、胸の部分へ発砲して見せた。

 一瞬にして砂のように砕け、同時に黄金色に光る粒が宙に上っていきながら、小さめの赤く輝く石が転げ落ちた。これが心石と呼ばれる物だろう。

「宙に浮かんでいった金色の粒が、獄骸になる前の記憶を宿した気魂よ。あれが昇天したっていう証拠みたいなものなの。落ちた心石は、劣化していてもクミ婆さんに持っていくと喜ぶから、できるだけ多く拾っておいた方がいいわ」

 次々と飛び跳ねてくる獄骸を、宙返りしたり、横に回転したりしながら避けては、胸にくちばし弾を当て、始末していく。

「特殊な能力を持っているからコロネは赤いのかい?」

「人間も肌の色でいちいち揉めたりしてきたみたいじゃない。赤いのがなぜなのか、アタシにはどうでもいいことなの。アタシは小さなときから、罪人にも聖人になれるチャンスを作ってもいいと思っていた……。そんな信念をずっと持っていて、聖人となったある方からこの能力を授かったの。『確かに、罪人にも機会を与えることは、聖人として一つの役割だ』と言われてね……。だから赤くなったのかもしれないわ。他のカラスとは異なる能力を持つって意味で。当然、嫌なこともあったわ。出る杭は打たれるのは、カラスも同じ。アタシの羽の色や、能力をよしとしない考えを持つ鳥からは、ずっと非難を受けてきてる。あの森で容易にこの力を誰かに使用させないようにと長いことこだわっていたのも、そういう鳥からの目を避けていたからよ。そこであなたが現れた。気魂飛翔の儀を見てあんな感想を持ったのは、あなたが初めてだった……でも……」

 横転しながら、一発放つ。獄骸が昇天していくのを見ながら、すかさず、背中から襲ってきた獄骸の胸にお見舞いする。そうやって、獄骸を倒しつつ、コロネの話に耳を傾けていた。

 きっと、コロネはあの小さな森で孤独だったのだ。その反動からか篤に心を許し、思いの丈を水が流れるように話しているのだろう。

 篤には、コロネが言いかけていた次の言葉を自然と思い浮かべた。

「僕はすぐに現し世に戻ることになる。短い間かもしれないし、戻ったら記憶が一切消えてしまうらしいから、こういうことも無意味になってしまうかもしれないけど……」

「ええ、意味なんてないかもしれない。でもアタシはあなたを忘れることはないわ。これでホーや森のカラスたちに自慢話ができるじゃない。アタシだって単にわがままで、変なこだわりを持っていただけじゃなかったんだって!」

 最後の一匹を撃破した。計十匹は討ち取っただろうか。見ると、黒いごみの山のいたる所に煌めく石のようなものが転がっている。

「これを回収していくんだったよな……」

 篤は腰を曲げて石を拾っていく。手には持てないほどではなかったが、幸いズボンのポケットにも入るくらいの大きさだった。

「頭を狙うよりも価値は下がるけど、何も土産がないよりかはマシなはずよ」

「君たちカラスのくちばしが、そこまで特殊な力を持っていたのは驚きだ」

「アタシたちが天獄の役所の使いでもあるのは、空を飛ぶことができるから。聖人様の中にアタシたち羽を持つものに、この世界で役割りを持たせようとする人もいるみたいでね。その役割っていうのが獄骸などの害獣を退治するってことなわけ」

 もぞもぞと暗闇が蠢く。十匹の駆除はまだ序の口だったようで、獄骸の群れが再び押し寄せようとしていた。

「逃げよう。えっと……、とりあえずホーの顔をイメージすればいいかな……」

「もういいの? 鍛練とやらがあるんじゃなかった?」

「元々ホーの考えは、ここから逃げ出す手段があるのを前提としていたんだと思う。この能力が使えるわけだからね」

 篤の言う、この能力……。

 さっと羽根つきマントを翻すと、一瞬でクミの家の前にまで到着した。

「ああ、たしかにそうね。いつでも逃げられたわけだし……」

 ホーとリツを前にして、コロネが言うと、篤はホーを眺めつつ、

「だから最初から悪意はなかったんだよ……」

「悪意はあったぞ……」

 ホーがはっきりと自分の意思を口にした。

「獄骸にでも食われちまえばよかったんだ」

「またー。ホーって意地悪だよねー」

 呆れるようにリツが肩をすくめた。

 カラス纏いを解いた篤は、ホーの態度に合わせてみた。

「残念! 僕らは無事帰ってきたよ!」

 付け加えるように篤の肩に乗ったコロネが、

「そうよ、誤殺のホーちゃん!」

「ショックだ……」ホーは胸に手を当て、

「その通り名いらねえよ……。なんだよ……。確かに俺が悪いけどさあ……」

 ぶつぶつ言いながら、ホーは座り込んだ。


「さてさて、もうそろそろお別れの時間かね……」

 食後、リツと食器を洗うクミが、残念そうに呟いた。

 篤は濡れた食器を拭く係で、皿置きに置いていく。ホーは居間で横になり、イビキをかいていた。

「全く、怠けもんはいつどこでも怠けもんだよ。それに比べてあんたは働きもんだね、安藤ちゃん」

「いえ……。最後ですからこれくらい……。また生き返れると思うと、自然とこう行動に移せるというか……」

「また奥さんとお子さんに会えるもんね!」

 リツが笑顔を向けた。顔を見合わせたついでに、篤は聞いてみた。

「お姉さん、見つかりそう?」

「占い師に占ってもらったんだけど。イメージとして浮かんできたのが、森の中の泉と、二匹の稚魚だって……。これなんだと思う?」

 篤にはほぼ完全に理解には及ばなかった。ごめん、と言いながら、かぶりを振ると、

「ああ、気にしないで。気ままに探すから」

「急ぎの用ってわけでもないんだね」

「ワタシとお姉ちゃんは、天獄の案内係だった。役所に勤めるようになった経緯はわからないんだけど、気づけばその役職だったんだ。天側の役所勤めっていうと、よく言われるのが、生前の極度な不幸って言われてる。お姉ちゃんはきっとそれを突き止めようとしてどこかに行っちゃったんだと思う。ワタシも天獄の色んな場所を探してみようと思ってるんだけど。曖昧な場所だったから、占いに出た場所でさえ見つけるのは一苦労かも……」

「見つかるように祈っておくよ。僕にできることといったらそれくらいで、すまないけど……」

「その気持ちだけでも、十分ありがたいよっ!」

 リツは相好を崩しながら、篤の背中を二度ほど叩いた。


 やがて、儀式の時間となった。

 篤とクミは復活のための儀式の場である卵形の岩の最下層に来訪していた。

 クミの助手であるホーも同席しており、部屋の中央にある寝台の上を軽く拭いていた。

「お前が生き返らねえと、俺の誤殺が帳消しにならねえからな。頼むぜ、篤!」

「僕が頼まれるのも変な話だけど……」

「大丈夫」と肩に乗っていたコロネがくちばしを開いた。

「あとで頭つついとくから……」

 そしてコロネは軽々しい身のこなしで、篤の肩から下りると、

「名残惜しいもんだからここまでついてきちゃった。あなたがアタシたちを忘れても、アタシたちは覚えてるから……」

 赤い翼で目を拭う仕草をしながら、最後のお別れの言葉を告げた。

「さようなら。安藤さん……」

「コロネ、色々とありがとう」

 そして、篤は寝台に横になった。クミが説明する。

「まあ、説明するまでもないことだが、この狭間や天獄に存在する人々は、肉体を失い、気魂から作られる光の波長によって、その存在が認められている。それでも三大欲求や五感が刺激されるのは、気魂がこれまで蓄積されてきた、現し世での経験などから生じてしまうもの。この装置の天井部にある鏡は、あんたのような半死状態の人間にしか通用しない装置でね。常に放たれる光の波長を、この丸く飛び出た鏡のような装置で気魂ごと吸収して、現し世の肉体に戻すって仕組みなんだ。現し世の肉体には、気魂が存在した痕、『残気』ってのがあってね。各人、指紋みたいにその人にしかない残気があって、鏡に吸収された気魂が、そいつを頼りに肉体に戻るって仕組みさ」

「それをできるのがクミさんしかいないってこと?」

「いや、私がどうのって言うより、あんたのような半死状態の人と、気魂の数、そして燃料となるある石などが揃うことで装置が作動する。全てが上手く揃ってこそ儀式が成り立つってことなのさ」

 へえ、と篤はただ感心して見せた。

 天井に備え付けられた鏡のような楕円形の石が光を放ち始める。

 クミは寝台の横に立ちながら、数珠を擦りあわせ儀式に用いる呪文なのか、ぶつぶつと唱え続けている。

「……最上天の聖人よ……。安藤篤に再び現し世に戻れる力を授けたまえ……」

「戻ってくんなよ! 戻ってくるなら、五十年くらい先な!」

 ホーが余計な一言を最後に添えた。

 そして部屋全体が光に包まれ、篤は天井の鏡の中へと吸い込まれていくような感覚に陥った。

 同時に寝台が柔らかくなり、沈み込んでいく感覚も覚えた。

 突如、眠気が襲い、篤の意識は彼方へと遠退いた。


 遠くで、老婆の喚くような声が聞こえる。

「何てことだい!」

「篤はどうなるんだ、ババア!」

「ああ、こんなことってないよ……こんなことって……」

 クミの声だろうか。恐怖か後悔からか声が震えている。

 ――僕は現し世に戻れたのか……。

 彩の顔と、拓海の顔が閃光の中で煌めいていた。

 キラキラと光の粒を散らせながら、二人の顔が遥か彼方へと遠ざかっていった。



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