第五章⑥

「億羽鶴?」

 クミの家の庭先で、篤はナユにそう問いかけた。

「それがクミさんの力?」

「そうだ。今あたしと繋がったリツの目から伝わってきた。あまり知られていねえ怪鳥の力をばあちゃんが手にしてる。ホーも、白いカラス纏いたちも、銀の羽根の毒攻撃にやられた」

「まさか、それがここへ?」

 と篤が焦り出すと、一瞬風が強く吹き、人影が篤とナユの前に転がった。

「リツ!」驚きつつ、篤は駆け寄った。

 息絶える間近なのか、篤の抱きかかえるリツはいつものように生気がなく、ぐったりとしている。

「ごめんね。安藤さん……」

「どうしたんだ、リツ!」

「ばあばを説得できなかった……」

 きらっとリツの体が光の粒になって消えた。

「リツはあたしが操ってた」

 背後からナユが歩いてきた。

「それもさっき言った傀儡の術ってやつだ。傀儡の術はあたしにも使えるんだ。術者のみならず、頭の中に本来あるべきものの気魂の数は決まってるから、人間の形にした分の気魂は『残気』っていう痕跡が残るもんで、術を解いたり、攻撃にあって致命傷みたくなると、それが残気を頼りに戻ってくるんだ。ラッカに関してはばあちゃんが付けた監視役。役所勤めの人間が急にここで働くことに不自然さを抱いたみてえでな。だからリツを操る際、目的を持つことがばあちゃんの目を欺けると思ったんだ」

「じゃあ、姉探しは……」

 篤の問いかけにこくりとナユは頷き、

「偽りだった。あたしの姉は、シオリ」

「ってことは姉妹で役所勤めだったってことか……!」

「そう、そしてあたしたちには生前の記憶はねえけど、名字だけは覚えていた。その姓は『泉』」

「泉……⁉」

 そう繰り返す篤の中で何かが引っ掛かった。

 そこへ高らかな笑い声を響かせながら、億羽鶴の姿になったクミが上空に飛来した。

「さあて、次はこいつらをどうするかだねえ……」

 銀色に輝く翼は腕のように左右に伸び、クミの両側で折り畳まれている。半分鳥の姿をしたクミが、浮遊したまま目前にいた篤を睨み付けていた。

 顔以外が鳥になったというべきか。首から腹にかけ白銀の毛が覆い、足は細く伸長し、年老いたクミの顔とはどこか不釣り合いだった。

「クミさん、一体どうしてこんなことを……? 宝石集めは罪にはならない。なのに何で人の気魂なんてものを……」

「どうしてだろうねえ……」

 急にしおらしくなったクミを横目に、近くにいたナユの存在を確かめようとしたが、そこにナユはいなかった。

「あんた、わたしに恨みがあるはずだろ? 話なんてできる心情かい? あんたをここに居座るようにしたのもわたしなんだ。そんな老害に何を見出だすってんだ」

「利用するためだ」

 篤はじっとクミの顔を見つめた。

「ホーにも言ったけどね。僕は現し世に戻らなければならない。待っている人がいるから……。だから例え、僕を導く人に罪があろうと僕は僕のために利用する。それはあなたも同じなんだ」

 けっけっけっ、とクミは笑い、

「利用されたら利用し返す、か。あんた自身のためにね……」

「でもあなたは裁かれなきゃならない。悪事を起こしたんだから」

「もといそのつもりさ……。夢見てたんだよ。いつかわたしの思う通りの生活を送ろうって……。二十歳のときに結婚し、子供も一子もうけたが、旦那の暴力が酷くてね。別れることになって、子供はわたしが預かることになったんだ。女手一つで息子を育てるのは困難を強いる。時に子供へ暴力をふるってしまうこともあった。息子が二十歳になって、遠くで一人暮らしするようになると、身も心もわたしとの距離は遠退いた。長期の休みがあっても、わたしの元へは帰ってきやしない。ただ連絡があるのは、仕送りの催促さ。そんな息子に愛想つかしちゃってね。孤独に過ごしていたところに、わたしは脳溢血で倒れ、死んで腐敗するまで誰にも気づかれなかった……。そのあとのことは知らない。息子もどうなったんだか……。天獄では、家族が死んだらそういう通知を受けとる制度もあるんだが、狭間で暮らすようになってそういう知らせは受け取れなくなった。ここは役所の通知は来ない場所らしい。それでわたしは吹っ切れたんだ。一人楽しくやりたいようにやろうって。宝石を集め出したのもそれがきっかけさ。もっといいものをわたしの手元に置きたいって思い始め、同じ趣味のやつから聞いたのが、駆除人って職業だった。獄骸っていう人間のなれの果てを駆除すれば宝石が手に入る……。最初はカラス纏いを雇ってたんだが、役所から現し世で重罪を犯したやつを、わたしんとこで見てくれないかって話が来たんだ。死刑の執行前に、天獄や狭間を見てこいって聖人様からの慈悲らしくてね。それがホーと謎めく中の人だったってわけさ」


 クミが話す傍ら、楕円の岩の最上部にある森にホーは潜んでいた。斜め下にクミがおり、狙い撃ちするには絶好の場だった。

「わりいな、コン!」

 ホーの後ろには紺色のカラス纏い、コンがおり、彼女の能力である大砲が森のカラスたちが集まっていくことで出来上がっていく。

 ホーを信じてみるかあ! 謝礼はなんか美味しい飯でいいよお! 今度こそ誤殺するなよ、ホー!

 口々に森のカラスたちは声を発していく。

「すまねえなみんな……!」ホーは集合していくカラスたちに合掌して言った。

「いや……それよりもあんた怪我は? 億羽鶴にやられたんじゃ?」

 コンが気にかける。

「少し痛えがたいしたもんじゃねえ」

「さすがは相棒が認めただけのことはあるな」コンは感心して見せた。


「苦労されてるんですね……」

「カラスだけにね」

 篤とクミは二人して、くっくと小さく笑いあった。

「でもだからと言って……」

「だからと言って……?」クミが迫ってきた。

「気魂を盗むなんていけないことかと……。僕だって早く帰りたいんですよ」

 クミが翼を羽ばたかせた。小さな風音を立てながらいくつか羽根が飛び出、篤の顔の間近で止まった。羽根の付け根の部分は針のように尖っている。

 ごくりと、篤は唾を飲み込む。

「そりゃあんたの都合さ……。わたしにゃ関係ない」

「僕にはわかりません……。普段のあなたはあんなに優しい普通のお母さんて感じがするのに……」

「見返りを期待する優しさもあるってことさ。覚えておきな小僧」

「僕は子供じゃな……」

 篤が言いかけた途端、雷鳴とも言えるべき大きな音が轟いた。

 上空からの轟音に気づいた篤とクミは、同時に仰ぎ見た。

 気づいたときにはすでに大砲から放たれた何かが、クミにほぼ肉薄していた。

 篤は僅差で砲弾とクミの対角線上から飛びのって外れた。

「ホー!」篤が叫ぶ。

 大砲から放たれたホーが、くちばしを鋭く尖らせクミの胸に直撃、仰向けになりながら、緑々しい芝生の上を滑っていった。

 以前、知り合ったコンという女のカラス纏いの能力だろう。一度空中に大砲を浮かせ、そこから砲撃したのだ。

 大の字になりながら咳き込むクミ。

 鶴の纏いが解かれたようで、いつもの小柄なクミの姿に戻った。傍らには大きな白い翼の鶴がおり、無言で飛び去っていった。

 ホーはくちばし銃を向けながら、クミに言った。

「あの鶴はなんだ?」

「わたしの術で操ってたんだ……。わたしの思うがままにね。あの子は見逃してやってくれ」

「それより中の人があんたに言いたいことがあるみたいだぜ?」

 ホーがカラス纏いを解いた。

 それは篤が見たこともない人物だった。

 一九〇センチはありそうな痩躯に、広い肩幅。頭頂部は少し薄く額も秀でており、細い目でクミを見下ろしていた。

「た、タツオかい?」

「もう止めよう母さん……」

 ホーがカラス纏いとして同化していた人物……。それはタツオといい、クミとは親子だったようだ。タツオは銃を捨てクミと抱き締めあった。

「そうかい、あんたもここへ来たってことは……」

 クミの目から涙が伝った。


 その後、タツオとクミはナユに随行される形で役所へと赴いた。担当職員のいる部署まで歩きながら、ナユはタツオとクミの話を聞いていた。

「まさか、母さんまで悪さしてるとは思わなかったよ」

 タツオは穏やかに言った。クミもタツオに種々話があるようで、

「わたしゃあんたがもう死んでることに驚いたよ……」

「ごめんよ、母さん……。俺は現し世で罪を犯した……」

「現し世でわたしに連絡をよこさなくなったのもそれが原因かい?」

「女ができたんだ。俺の給料なんてたいしたことないのに、女はどんどん金をせびってくる……。だから母さんに金を催促し続けた。……いつしかその女との間に子供ができ籍を入れた。式を上げられるほどの余裕はなかったからな。俺は子供によく暴力をふるい、妻にも八つ当たりした。夫婦間の仲は悪化し、子供への虐待も強まっていき、とうとう子供の命を奪ってしまった。相談所の職員が来てそれが発覚し、俺は警察が来る前に逃げた。でも逃げる場所なんてなかった……」

 タツオは立ち止まり、天井を仰ぎ見た。それに気づいたナユとクミも立ち止まった。タツオは目線を前に移し、

「俺は電車に身を投げて自分の人生の幕を下ろした。耐えきれず、生きることも苦痛だったんだ……」

「子供を殺した罪は天獄でも重い。それならあんたは獄側に行くことになったはずだが……」

「裁定は獄骸化だった。殺してしまった子供に会いたいって気持ちがあれば、役所の職員の立ち会いのもと、会って話もできるが、俺は子供と向き合おうとは思えなかった。怖かったんだ……。自分で手にかけた子供に会えるはずもなく、結果、子供殺しの罪で獄骸化という刑に処されることになった」

 クミはハンカチで流れる涙を拭っていた。

「そうかい……。色々と後悔の念に心が押し潰されそうだよ……。あんたをもっと大切に育てればよかった。あんたにもっと愛情を注げばよかった。こんなことを死んでから思うだなんて……」

 クミは必死に頬を伝う涙をぬぐう。

「母さん……泣かないでくれ……。泣いたって意味がない……」

 タツオの目の縁にも涙が溜まっていた。

「ナユ、あんたに言っておきたいことがある」

 クミに呼び止められたナユは、涙にふけるクミの顔をじっくりと見つめた。

「わたしたちの犯したこと、よく目に焼き付けておきな。あんたやシオリが転生しても、わたしたちの二の舞にならないよう、よく心に刻みつけておくんだ」

「生き返ったらそのことも忘れちゃうよ?」

「それでも、ってことだよ。わたしだってそんくらいわかってるさ。これは老婆心からの忠告だ。せめて狭間や天獄では穏やかな生活を送ってもらいたいもんだよ……」

 そうクミから短い説教を受けたナユは、やがてダンジロウとシオリの元へ来訪。タツオとクミを彼らに引き渡し、今後の二人の処遇をどうするか一度話し合った。

 タツオは獄骸化という刑の速やかな執行、クミは聖人たちから裁かれることになった。

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