第五章⑦
「タツオが自分の子供に暴力をふるっていたって話してたんだが……。どうしてそんなことをしでかすか、Aくんにはわかるか?」
ナユがクミの家付近の森の中でそう聞いてきた。タツオとクミを役所に引き渡してから森に帰ってきたナユは、タツオとクミが話していた内容を篤にあらかた伝えた。
森で木漏れ日を浴びながら、小さな祝賀会を開いていた。ホーやリツたちが長期に渡って捜査にあたっていたクミの一件がようやく片付いたのだ。祝賀会を催しても、誰も文句は言わないだろう。
ホーは億羽鶴から受けた羽根の毒で、体を自由に動かせずにいた。敷かれたシートの上で横になっている。
篤はナユから問われると、ゆっくりと話し出した。
「加害者の親も子供の頃、親に暴力をふるわれ、それが原因で自分に対して自責の念や劣等感を抱くようになる。自分はなんて駄目な人間なんだっていう感じで……。それを引きずったまま親になって、子供を虐げてしまうんだって」
ナユは黙って話を聞いていた。
「だから、カウンセリングの療法の一つに、親が自分の親に心情を打ち明けたりするっていうのがある。そういう話をして、幼少期からの深い傷を双方で確認していくっていう……」
篤は数年前に、大学の講義か何かでそういう話を耳にしていた。
加害者である親は、子供のとき自分の親によって古傷を負い、その傷ついた心が自分の産んだ子供に危害を加える一因になるという例は、子供の虐待の現場ではよくある話だと。子供を虐げた挙げ句、引き離されたことで自らを省みたとき、親は我が子に対して申し訳ない気持ちで一杯になることもよくある話であると――。
「罪の意識に苛まれてカウンセリングを受けながら、更生の道を歩もうとする親も多くいる。子供を椅子に見立てて、会話するっていう療法も聞いたことがある。子供に対しての思いや、再び子供と暮らすことになり、自分が親として子供とどう接していくかっていうのをシュミレーションするっていう感じにね。そこらへんの事実ってあまり知らされないことが多いみたいだけど……。そういう親も結局、誰かの子供だったんだ」
「一概にそういう親を責めることもできねえっていう話なんだな……」
一羽のカラスの姿になっていたホーの声はどこか小さかった。現し世で自分が行ったことを悔いているからだろうか。
篤は気になっていたあることをホーに尋ねた。
「タツオさんは死刑になるって言っていたけど、それは獄骸になるってことだったよね?」
「そうだ。獄骸化するってことは、ただ貪り続けるだけってことになる。自分の思考などもなくなり、ひたすらに飢え、煙突の中の煤や、ゴミを漁ったり、人を恐れさせやがてカラス纏いに殺され、カラス纏いの給与……腹の足しになる。コロネはどうだ? ああいう奴でも人間に戻れる機会を与えてやりてえか?」
「確かにタツオさんや獄骸化の刑に処される人は人としてあるまじきことをしたのだと思う。私が勝手に獄骸化した人を意図的に救うことは難しい。そのためには私とカラス纏いになってもらうパートナーの倫理観とかにもよるけど。でも私はこの複雑な事情に絡む能力を誇りに思う。誰かが救われて、その人が生まれ変わり、他者に善行を施すことがあれば冥利につきるってことだもの」
篤はコロネの方を向き、
「聖人様から授かった力、か……。コロネもちょっとややこしいことするの好きなんだね……」
「ややこしいだなんて……。人様の命を預かってるみたいなものだから、例えややこしくても誇るべきなのだと思う。私みたいな考えを持つ人もいれば、これとは正反対の考えを持つ人もいるけどね……。カラス風情が人の命を預かる力を持つなら、もっといいことに行使していきたいし、パートナーを慎重に選ぶべきよね……。ってことは私次第でもあるってことか……。確かに難しいわねえ」
「今さらあ?」と苦笑するようにホーが言った。
「まあ、どの道筋が正しいか、言葉を操れるのならそこを議論して考え方を磨いていくってのもいいかも……」
赤い翼の片方を振ってコロネは言った。
篤なりに考えてみる。
議論したその先に答えはあるのか……。あったとして篤にはどちらの答えにも行き着く気がした。
子を殺す親は裁かれるべきで、子供には罪はない。だが、親には親で抱えきれない傷を負い、そこには少なからず同情の余地がある……。
そういう親は罪人となるのか、あるいは被害者となるのか。
生きていく上で、人は幸せを得ることもあれば罪を負うこともある。
宿命や宿業というものを人は事前に背負って生まれてくるという話を、篤は以前耳にしたことがあった。
それらのことに結論を出すのは篤には難しく、無理に結論付けられる話でもなかった。
「それよりも大丈夫かい、体の方は?」
難しい議論よりも、戦友とも呼べるべき相手の気遣いの方が大切だ。篤は改めてホーを労おうとした。
「ま、しばらくは仕方ねえかな……」
篤は草の上に座りながら、ホーをじっと見つめ、
「すごく違和感がある……」
「何にだ?」寝ながらホーが頭を傾げた。
「ホーがこんなに小さいんだもんなあ」
「てめえ、なめたこと言ってるとつつくぞ!」
「まあでもこれで、ようやく誤殺のホーって言われなくなるんじゃね?」
ナユが半笑いで言った。祝賀パーティーの賑々しい雰囲気に乗じて、何か笑いのネタでも仕込んでいる様子だ。
ホーは当然と言わんばかりに、
「そりゃそうだ。俺なりに頑張って奴を仕留めたんだからな……。コンにも礼を言っとかねえと……」
「実はあたし、あんたの新たな通り名を用意してきた」ナユはにやけたままだ。
「ほう。だとしたら、砲撃のホーか?」
「いや……」首を横に振るナユ。
「大砲のホーとか?」
クスクスと口を押さえながら、
「体当たりのホー……」
おおっ、いいじゃん! ナユ、センスあるう! 満足か、ホー?
木に止まるカラスたちがその通り名に面白がる。
「そんなもん嬉しかねえ!」
「自爆のホーとか……」ナユの追撃は緩まない。
「そんなん恥さらしだっつうんだよ!」
そこへシオリが現れた。黒いスーツ姿に、首元に出た白い襟が颯爽とした雰囲気を醸し出している。
「シオリ……何しにここへ?」ナユが問いかける。
「ホーさんに朗報です」
「俺に?」
「この度、ホーさんの篤さんに対する誤殺の罪が無罪放免になりました!」
カアアアアー! と森の中のカラスたちがどよめいた。
「何でだ?」ホーも嬉しい反面、疑問に思う部分もあったようだ。
「篤さんとも話し合ったのですが……」
くい、とシオリは眼鏡を手で押し上げ、
「これまでのカラス纏いとしての仕事ぶりが評価されたようです。死刑囚の同伴を問題なくこなし、一連のクミ被告が犯した罪を報告したり、クミ被告の素行そのものを阻止しようとしたり……」
「すまねえな、篤……」
肩の荷を下ろしたように、ホーの言い方は穏やかだった。
「いや、僕の方こそ色々世話になったよ……」
ホーの黒い片翼が、ゆっくりと上げられた。
何をすればいいか、理解した篤は握手をするように、ホーの翼を固く握った。
「シオリ……」と篤は声をかけると、現し世で起きていた、子供が獄骸化する事件の話をした。それがクミの仕業だったことは明らかになったものの、篤が戻ったあと事件はどうなるのか、そう尋ねると、
「被害者の皆様には速やかに転生をしていただきました……。カラス纏いに命を奪われたという事件でもありましたが、今回は天獄と狭間の特定の人物が引き起こした事件ですので、特例で転生をするという経緯になりました。それらは現し世での事件としては、安藤さんが戻る頃にはなかったことになります」
「事件そのものがなかったことになるんだね……」
「天獄は現し世の様々な事象にも影響を与えます。生と死を司る場所でもありますし、何しろ、クミ被告が犯したことは天獄が失念していたことでもありますから。聖人様も責任を感じているらしく、クミ被告が関わった現し世でのもろもろの事件はなかったことになるかと……」
それなら安心だ……、と篤は呟いた。シオリは続ける。
「現し世に戻ればここでの記憶が消えてしまい、生前の記憶が持ち越されることになります」
被害者たちの転生も含め、すべて丸く収まるということになるのだろう。
――それはありがたい話だけど……。
篤は一瞬考えに及んだ。
何事もなかったことになるとは言え、少し都合よく行きすぎていることにならないだろうか。
そう思っても、篤が再び現し世で生きていくことになれば、この時に考えたことも忘れてしまう。
現時点では腑に落ちない部分もあり、心底安心するには尚早な気がする篤だった。
祝賀会も盛り上がってきたところで、空が暗くなった。
気魂飛翔の儀がまた始まるのだ、と思った篤は、森の奥にある池にまで歩いていこうとした。
以前コロネと話し、カラス纏いの力を得た場所だ。
物陰から池を覗き込むと、先客がいた。ナユとシオリである。
何かこそこそと話していたが、これでは盗み聞きになってしまうので、踵を返そうとした。
そこで篤ははっとした。
少し前にリツが占い師に言われたというあの言葉――。
森の中の泉と、泉の中の二匹の稚魚。
池を泉、そして、ナユとシオリの二人の少女が稚魚として例えられるとしたら……。
泉ナユ、泉シオリ。
篤は突然胸が苦しくなった。
その二人の名字である、泉……。
高校生の頃、ニュースで見た幼児が虐待死した事件。篤がケースワーカーという職業を目指すきっかけとなった事件でもあった。
親に殺害されてしまった二人の子供の名が、泉ナユ、シオリだったのである。
「そうか……」篤は激しく鼓動を鳴らす胸を抑え、地に腰を下ろした。
「ここで健気に生きていたんだ……」
自然と目の縁に涙が浮かんだ。
幼い少女二人が、大人のわがままで殺された残酷な事件――。職種を目指すためにただ、それを心に思いとどめていただけではない。
あんなにも悲しい事件が現実に起こりうるものだとして、また、同じ人間としてあのような行動に出てしまった親を、信じられず軽蔑していた篤にとっては、あとから様々な感情の沸き起こる事件だった。
十分な食事を与えられなかったとも聞く。恋の味わいの他に生きていく上でもっと楽しいことも堪能できたはずなのに、年端もいかないあの二人は殺められてしまった。
しかし、篤の知らないところで、現実から遠く離れた場所であっても、ナユとシオリは健気に生き、成長していた。
事実を彼女たちに伝えることはできない。なぜなら、前世の記憶を思い出させてしまえば、二人の精神面にどのような影響が及ぶかわからないからだ。この事実そのものが決して吉報ではないことも、言いはばかれる理由の一つだった。
気魂の群れが流星群のように天獄へと飛んでいく。現し世で見るものとは逆さに流れていく白い流星の群れは、篤の頬を伝う涙を仄かに煌かせた。
涙は止めどなくこぼれ続けた。
嗚咽を漏らしつつ、嬉しくも悲しいナユとシオリの現在に、篤の感情は浸っていた。
気魂飛翔の儀を終え、涙も乾くと、篤は天獄の役所へと赴いた。ホーとナユ、コロネも随伴した。
クミの家の地下にあった、現し世へと戻れる装置が破損し、クミ自身も科人であることから、同じ場所で現し世へ戻ることはできかねるらしく、中央局のある一室にあった装置でことを済ませようという流れになった。
それでも準備に数十分はかかると言われ、エントランスを出た、天側と獄側の間にある場所で、篤は景色を望見していた。
ジグザグに作られた石造りの階段の最上部。白色の天側と、黒色の獄側。そうはっきり区別できる情景から視線を後ろへ移し、手すりに寄りかかる。道を行き交う人々の顔を、どこか名残惜しく眺めていた。
――ここともこれでおさらばか……。
ふと、ある通行人に目が行った。
青と赤のティーシャツの男性と、隣にいる黄色いカーディガンの女性、そして男性に肩車されている坊主頭の子供。
どこかで見たような……。
あれはたしか、カラス纏いになって現し世へ行けるようになったときに対応した一家に似ているような……。
そう思考に及び、視線を下へ向けていたが、もう一度その家族を見ようと前を向いたときには、すでに見失っていた。
――現し世で上手くいかなかったことが、ここでは上手くいくこともあるのか……。
そんなことを考えていると、ホーが現れ、儀式の準備が整ったと伝えに来た。
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