第五章⑤

 児童相談所の仕事について、まだ間もない頃。

 豊橋に様々教えられながら、時に厳しい叱咤激励を受けることもあり、篤の頭には早くも退職の二文字が浮かんでいた。

 そのときは早朝で眠気もひどかった。

 しけた面に見えたのか、豊橋から一喝を浴びせられた。

「眠いなら顔を洗ってきて! そんな顔でご家族のお宅になんて行ったら、失礼よ!」

 急いで便所の洗面台で顔を洗い、豊橋の前に立った。

「うん、男前になった。それを一日維持してね」

 妙なプレッシャーをかけてくるなと思いつつ、その日回った家の惨状を知り、眠気よりももっと辛いものがあることを思い知った。

 自分の産んだ子供を、しつけを口実にして執拗に暴力をふるう。車中や施設内でも、豊橋は様々なケースを篤に伝えていった。

 そこで、そうだ、と何度目かに気持ちを改める。

 自分は家族に虐げられる孤独な子供を助けるために、この仕事を始めたのだと……。


 目が覚め、台所で顔を洗いながら、家の中に誰も気配がないのを感じ取った。

 コロネは多分森にいるのだろうが、リツやホー、クミの姿も見かけないとなると何かあったのだろうか、と少々気掛かりだった。

 ――それなら、今のうちに……。

 豊橋に顔を見せないことがホーやクミとの約束だった。しかし、家に誰もいない今なら、少しくらい挨拶しても……。

 挨拶ができなければ、せめて牢屋の見える場所にまで行くこともできるはずだ。

 豊橋と何らかのやり取り、同じ空気を吸うなどして、少しでも豊橋や自分を安心させようと思った。

 廊下を台所とは反対方向へ進み階段を降りていく。

 石を削ってできた階段だった。最下層に自分を現し世に戻そうとして失敗した部屋がある。それ以外のどこかの部屋にナユの仕事場と、牢屋がある。

 しばらく降りていくと、目の前をナユが歩いていたのを見つけた。彼女の入っていった部屋に顔を覗かせると、どうやらここが地下牢らしい。

 牢は三部屋並んでおり、その奥にナユがしゃがんでいた。

「ナユ……何やってんの?」

 ナユが振り向いた。

「ホーがA君に言ったんだろ? 鏡台を調べろって……」

 ああ、と篤は首肯すると、

「なら、捕まえたやつの正体、教えてやる……」

 ナユから鍵を渡された。

 錠を開け、帽子を頭ではなく顔にかけたまま、足を放り出して座る豊橋に近寄る。

「豊橋さ……」

 見ると、着ているチュニックの袖から手が出ておらず、スパッツの先からも足が出ていない。

 帽子をとると見えたのは、豊橋の顔ではなく、小さな光の塊だった。塊は宙に浮いて消えた。

 絶句する篤。

「ばあちゃんの仕業……。ばあちゃんは現し世と独自で通じてる。現し世の人間を獄骸化させる役目をこういう光の人形にやらせて、雇ったホーに心石を持ってこさせる……」

「そんな……!」

 あのクミがまさか、と篤の頭の中は疑問符で埋め尽くされた。例え自身のミスとはいえ、篤の面倒を見てくれた、あの優しい老婆がこんなことを企図していたとは……。

 篤の思考は、さらに信じられない方向へと傾きかけた。

 自分がここに来た理由……。ホーに誤って殺されたのも、クミが関与しているのだろうか。

「A君がホーに誤殺されたのは事故。ホーもばあちゃんに騙されたくち。A君の常人よりも多い気魂を見て、欲が湧いたんじゃねえかな」

「じゃあ、現し世に戻れなかったのも……」

「おう、A君の気魂を盗むためだ……。A君を雇って、気魂を全部回収したら用済みってこった」

「操ってるなんてここに来て初めて知ったけど、そんなものを出廷させるつもりだったのかい? そもそも、光の人形の状態だったのに役所を通って来れたのは……?」

「ばあちゃんの術者としての能力は高くてな。傀儡の術って言うんだが、傀儡の術を扱うことのできる術者の気魂は十個以上はあるって言われてる。『気魂包み』っていう気魂から発する光で気魂は守られててな。豊橋って人の顔を真似るには、気魂を上手く操って具現化させることが肝心なんだ。狭間や天獄の住人たちは、光の粒子でその姿や形が見えている。傀儡の術ってのはそれと似たような仕組みなんだ。あんたはそれにまんまと騙されたってこと。気魂飛翔の儀ってのは、気魂包み状態で天獄へと昇っていくっていう状態だ。ばあちゃんのこの術の場合、ホーがくちばし銃で殺した結果となったが、それも気魂包みで損傷は免れ、中央局内のある施設で人間の姿に戻れる。獄骸の場合はこの気魂包みが劣化してるから、人間に戻れなくなるってことなんだ。コロネの能力は別だがな。そして今回、ばあちゃんの術がここまで上手くこなせた理由の一つは、役所の警備体制がゆるいってのがあった。気魂の状態でしか確認しねえってことから、一見すると違和感のない容姿で上手く検閲を通り抜けたってことなんだ」

 ナユの説明を聞き、あらかた理解はしたがそうなると豊橋が犯した罪ではなく、豊橋と偽り操っていたクミ自身に嫌疑がかかる。

「それだけばあちゃんが頭よくねえってことさ。完全犯罪なんてものは存在しねえって言うだろ?」

「僕の気魂を全て盗んだらどうするつもりだったんだ……」

「気魂を全て抜けば、死人と一緒だ。A君の今の状況はそれと同じ。多分もう少し経ってたら……」

 篤は黙ってナユの次の言葉を待った。

「使い捨てられていた……」


「わたしの大事な宝石はどこへ行った?」

 鏡台の引き出しをすべてひっくり返しても見つからない。

 篤とナユが話している間、クミは帰宅しており、保管していたはずの青い宝石が一つなくなっていたのを発見した。

「まさか、あいつじゃないだろうね……」

 篤が寝ている部屋に顔を出すも、そこには誰の姿もない。

「持ち主が気づいたら厄介だ。早く別の場所に隠しておくべきだった……」

 廊下に出、まさか、地下牢に行ってるのではと、一瞬不安になるも、クミの研ぎ澄まされた感覚が、宝石のありかを察知した。

「あの娘……、勝手に持ち出したねえ?」

 ニタリ、とベタつくような笑みをクミはこぼした。


「あたしやリツ、ホーは中央局の人と相談して、ばあちゃんを捕まえることにした。ホーが同じカラス纏いに色々と話して、天獄のカラス纏いを総動員してばあちゃんを捉えるって話になった。そこでホーやリツは、ばあちゃんに従うふりをして、ばあちゃんの悪事の証拠を掴む役目を担った」

 牢屋から出ると、ナユからそう聞かされた。

「恐らく今」と階段を先に登っていくナユがさらに事実を伝える。

「戦いが始まってるとこじゃねえかな」


 天獄統合中央局内のある課に、その夫婦は赴いていた。

 夫は青と赤の縞模様のティーシャツにジーパン。妻は黄色いカーディガンを白シャツの上に羽織り、下は黒いロングスカートだった。

「この度は、天獄にやむをえず来る形となってしまい、大変に残念でございました」

 住民登録に来ていた夫婦は、役所の人間に言われ軽く会釈をした。

「お二人の前世では、お二人のお子さんを何度か虐待している、という罪があります。そういう状態ですと……」

 夫婦は役所の課の人間と種々手続きを終え、通路を歩いていた。

 二人とも言葉を交わさなかった。前世の記憶を鮮明に覚えているのに加え、自分たちの子供があのような怪物に変貌を遂げたとなると、死さえ受け入れられずにいた。

 窓から天獄の景色を眺めている妻に、そっと夫は近づいた。


 統合中央局、一時預かり所。

 親よりも先に死んだ子供たちが、親を待つに待てない事情から、ここで一旦引き取られる。

 遊具で遊んだり、小さなおもちゃで他の子と遊んだり……。走り回って声をあげる子もいた。その中に、ヒーロー物のティーシャツを着た、坊主頭の子供がいた。

 走り回っていたらつまずき転んでしまった。

 普通なら泣くところを泣かずに、坊主頭の子は、近くの小さな椅子に腰かけ、ぼうっと虚を見つめていた。

 その後ろ姿をそっと見届ける、青と赤のティーシャツを着た男と、黄色いカーディガン姿の女だった。


「ばあば、証拠は揃ってる。自首しよう」

 狭間にはクミの家のような楕円形の岩が多くあり、様々な大きさや形があった。

 クミに宝石を使って誘き寄せたリツやホーたちは、ある小さな円い岩の上で、八咫烏の白いカラス纏いたちを後ろに、クミを包囲していた。

「やっぱりあんたかい、盗んだのは……」

 怒気を含めた言い方とクミの顔そのものが紅潮していたために、リツは少し気後れした。

 それでも何とかクミには手荒い真似をしたくなかったため、リツは緊張感を持って説得に出た。

「それは安藤さんのもの。他人が勝手に人様の気魂を盗んでいいものではないんだ……」

「ほしいものを手にして何が悪い。そりゃわたしのだよ」

「だからよお、もうあんたの悪事はバレバレなんだって言ってんだよ!」

 憤懣やる方なくホーが言った。

「ラッカはどうした。あんたを監視する役目だったろう?」

「ここだよ……」

 リツが後ろに隠していた鳥籠を手にして見せた。ラッカがしょんぼりした様子で、

「すまんぬ、クミさま……」

「どうりで、わたしのとこに情報が入ってこないわけだよ。こりゃ本当に不利な状況だねえ」

「自首する気になったか?」

 ホーがそう言いつつ、クミに近づこうとした。

「ああ、自首する……」

 クミがそう言うと、周囲を囲んでいた白いカラス纏いたちは安心した様子だった。リツもホッとしたが、クミが突然、大笑したかと思うと、両手を大きく広げながらそれが横へ段々伸びていった。

「マジい、総員退避しろ!」

 ホーが叫ぶも、クミの放った多量の羽根が白いカラス纏いたちや、リツ、ホーへ向かって大量に放たれた。

「けっけっけっ……。そう簡単にはいくか」勝ち誇ったようにクミは言った。

「お、『億羽鶴おくばづる』……」気を失いかけていたリツは、しかとその銀色の羽根に包まれたクミに見入った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る