第五章④

 止まり木に体を乗せ、再度、夜中の監視を続けた。

「ホー、注意深くさっきの帽子の人がいないか見てくれ。その人物が煤花を持っていたのを見たんだ」

「おっ、切り替えが早いな。その方が仕事に影響が出ねえし、精神的にも楽だ。そういうのも全て自分のためだからな」

 軽快な口調でホーに言われ、

 ――言われなくたって……。

 胸中で言って鼻息を強めに吹かせた。

「気にしなくていいわ。あんな鳥の言うことなんて……。アタシたちはアタシたちのできることをする。それだけよ」

「コロネにしては怒ってないね?」

「怒りたいのも山々よ。何が自分勝手な裁量よ……。あんたなんかに言われたくないってのよ……!」

 憎々し気にコロネは言った。ホーにも聞こえているかとは思うが、何も言い出さなかった。

 数分経って、篤が見ていた画面にその瞬間が訪れた。

「ホー、こいつだ!」

「出やがったか!」

 篤は若干の焦りからか、すぐに目当ての場所にまで飛んだ。

 一瞬で距離を無視してしまうこの飛躍が、これほどまでにありがたいものかと、改めて感じた。

 その人影は女性だった。チュニックを着て、足には黒っぽいスパッツが伸び、帽子を深く被っている。

 ベランダ側に回ろうとしていたところを、篤は「待て」と呼び止めた。

 手には煤花を持っている。間違いなくこの人物だ。

 おもむろに振り向くその女性――、月明かりが彼女の顔をあらわにした。

「豊、橋……さん?」

 見るとそれは、篤が現し世で働いていた児童相談所の先輩である、豊橋だった。

 黒髪を後ろで結い、頬と顎は細く、薄い唇が、恐れからか震えている。

 煤花を手にしているわりに、豊橋自身が獄骸化していないのは、彼女に特殊な力があるからだろうか。

 ホーもあとから駆けつけてきた。ホーの目にも豊橋の持つ煤花が目についたのか、口より手の早いホーはすでにくちばし銃を抜いていた。

「待ってくれ、ホー!」

 同時に聞こえた銃声――。

 豊橋がホーに撃ち殺された瞬間だった。


 狭間、クミの家の地下牢。

 クミは舌なめずりをして、手枷をはめられた豊橋に語りかける。

「けっけっけっ……。ようこそ、天獄へ……。ようやく見つけたよ……現し世を乱す罪人……」

 格子窓から明かりの漏れる牢屋に、無言で座り込む豊橋。クミは牢屋の外から豊橋を眺めながらようやく一仕事終えたことに安堵した。


「何だってまた撃ち殺したりなんかしたんだ!」

 天獄統合中央局のエントランスで、人目を気にせず声を張り上げる篤だった。

「今回のに関しては誤殺じゃねえ!」

 ホーも意地を張って篤の言い分を認めない。

「あの女は間違いなく煤花を手にした犯人だった! どのみち一度殺さねえと、天獄には連行できねえ! 俺の何が間違ってるっていうんだ!」

「何のためらいもなく撃つからだ。彼女は僕の先輩だった人だぞ!」

「だからなんだ?」

 ホーの放つ雰囲気がこれまでのものとは違って感じた。

「いくら仕事先の先輩だからって、煤花を持ってた奴をのさばらしにするわけにはいかねえ。何だ? お前は自分が特別だって思い込んでるのか?」

「いや……。ただ、僕からしたらあの人がそんなことをするなんて納得いかないんだ。だから、一度じっくり話を聞こうと思って……」

 ホーは肩をすくめ、

「だからこうして話し合いのできる環境を作ってやったんじゃねえか。俺だってまた誤殺しちまったんじゃねえかとビクビクしてたんだ。何とか役所のやつに聞いて、今回はおとがめなしってことになっただろ?」

 それは先に、豊橋が気魂飛翔の儀で天獄に来てから、一旦、クミの家へ連れていったあとの流れだった。煩わしさを我慢して、ホーはまた自分がやらかしたのでは、と役所に確認をとったのだが、言う通り今回は罪を免れた。

 豊橋が一旦クミの家に預けられたのは、カラス纏いという仕事が、特色のある職種であることから来ている。

「豊橋さんをどうするつもりなんだ?」

「現し世とは違って、天獄や狭間には警察の類いは存在しねえ。裁判所では、天獄をいつも見守ってるっていう聖人たちが裁定をくだす場所がある。警察の代わりは俺たちカラス纏いだ。自由業で役所や個人、各自治体などに雇われ、獄骸の掃討、被害者の保護や、被疑者の捕縛、カラス纏いを生業とする各駆除人の家の地下などで、被疑者を勾留するって形になる。統合中央局にも監獄とまではいわねえが、拘置する場所はあってな。ジョウジの時は役所に直接預けられた。豊橋って女の場合は、ババアがお前らの世界で言うところの刑事の役目になって、その豊橋って奴の尋問などを行い、役所に戻すときに、記録した尋問内容の報告をしたりするってわけだ……」

 ホーの説明を聞き、篤は自らも、豊橋の尋問に同席したいと申し出ようとしたが、

「お前じゃ、あの女を助け出そうとしちまうんじゃねえかって、ババアと話し合ってな。悪いが同席は無理だ」

 奥歯を噛みしめ、両手に握り拳を作る篤だった。

「どうしても気になるってんなら、ババアの部屋の鏡台を調べてみろ。そこにあるものをお前自身の目で見極めてみるんだな」

「そんなもの調べてどうなる……」

「状況が一変するかもしれねえぞ……ま、無理にとは言わねえ。ババアに見つかったら、俺でも助けるのは無理だからな。もしやるなら慎重にやれ……」


 ホーは別件で動くとのことで、その場で別れた。

 篤はカラス纏いの術で、クミの家まで飛んだ。

 屋内には人の気配がないような気がした。

 急に訪れた眠気にいつもの部屋で休眠をとろうと、敷かれてあった布団に横になった。

 ――豊橋さんには悪いけど……。

 地下にあるという牢屋で、今ごろ豊橋はどのような尋問を受けているのだろう。

 かつての先達が、不幸な目にあっている。ホーやクミからすれば、自業自得と言われそうだが、何かしてやれることはないか考えていると、うとうとと眠りに入った。


 体がどこか涼しい。

 眠りに堕ちていた篤は、肌寒さを感じ、細めていた目を開けた。

 廊下を挟んだ隣の部屋はクミの自室だ。風はどうやら、その部屋からこの部屋にまで流れてきているようだ。

 換気でもしているのだろうか、と思いつつ、冷たい風に眠りを妨げられた気分になり、自力でクミの部屋の窓を閉じようとして布団をはいだ。

 クミの部屋に入ると、畳の部屋の右奥には押し入れがあり、左奥には鏡台があった。

 そういえば鏡台を調べろと言ったのはホーだったな、と思い一度廊下に人がいないかを確認して、静かに鏡台に近づいた。

 鏡にはカバーが掛けられ、その下には小さな棚があった。

 恐る恐る棚を開けると、青白く光る丸い石が数個保管されていたのを見つけた。

 綺麗な円い石――。

 思わず手にとってみると、どこか懐古的な気分に陥った。

 自然とその石を額に当て、瞑目する。

 女性の笑い声、楽し気にはしゃぐその女性は、妻の彩だった。

 まだ付き合い始めの頃に、デートで遊園地に行ったときの記憶……。

 自分も彩も子供のように無邪気に園内のアトラクションを堪能していた。

 やがて彩は妊娠し、体の自由が妊娠前と比べ少し効かなくなってきたとき、食器洗い機を買うかどうかで喧嘩になってしまった。

 元々、食器を洗う係は篤が言い出したことだったが、後回しにしてしまいがちで、彩が強めに指摘すると、大人げなく感情をぶつけてしまったこともあった。

 そんな篤しか知らない、彩との思い出が不思議とこの石に詰まっている、そんな気がした。

「いけねえんだ……」

 部屋の入り口でそう声を発したのは、ナユだった。

「ばあちゃんに怒られるぞお……」

「いや、何か、懐かしい気分になっちゃって……」石をじっくりと見つめる。

「まあ、いっか。内緒にしといてやろう……。でもばあちゃん、宝石好きが行きすぎて、そういうの舐めちまうんだ。だからその石も多分ばあちゃんの唾まみれだぜ?」

「げ……」篤は顔をしかめた。

「舐めたあと拭いてるみたいだけどな」

「ホーに言われたんだ……」

 ナユと話しているうちに、再び眠気が襲ってきた。本来の目的である、クミの部屋の窓を閉め、手に石を持ったまま寝床に戻る。布団のある部屋の戸も閉め、敷布団に寝そべると、ナユが入り口に立って、

「何て言われた?」

「たしか……」

 視界がぼんやりしてきた。

「鏡台の中身を見れば……、何かが一変するとかなんとか……」

 そうして再び、篤は深い眠りについた。


 目を閉じていると、いつぞやのときのように、甘い香りが鼻孔を刺激した。

 寝返りを打った篤の顔の前に人の気配を感じ、うっすらと瞼を開けると、乳白色の脚が正座され、その隙間の下着を見てしまった。

 いけね、と思ってその人物の顔を見やると、篤の思った通りリツだった。

「安藤さん……」

 リツはそう名を呼ぶと、片手に青い石を持っていた。

「これ少し預かっていい?」

 篤はまだ覚醒せず、まとわりつくかのような眠気に、ぼうっとしたまま、

「いいよ……」

 と答えたきり、再び就寝に至った。

「ごめんね。大切なものなのに……」

 リツは言って篤の額にキスをした。

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