第三章⑥
「あの子たちはごみ溜め周辺から出ていこうとしなかったから、近くのこの旅館で住み込みで働くことにした……。あの子たちの姿を見られるように。そして人を襲わないように……。カラス纏いに殺されたら、もう二度と会えないと思っていたから、それを阻もうとしたりしてカラス纏いを襲ったりしたんだが。それが逆効果だった。目をつけられてしまったんだ、カラス纏いに。あんたらもその口だろう?」
逃げようとしたのも、カラス纏いと関わりを持ちたくなかったからだろう。トクコは涙を目の縁に溜めていた。
「どうしたら見逃してくれる? どうしたらあの子たちは元の姿に戻れる? 死んでからも波乱続きで嫌になってしまうよ……」
「大丈夫です」リツがはっきりと言った。
「まだ機会はあります。じつは赤いカラス纏いのこのカラスは……」
話しているリツの横にコロネがやって来た。ちょこんと跳ねて、ちゃぶ台の上に乗ると、
「コロネと申します。ご家族の不幸に、私も深く心を痛めました」
するとトクコも合点がいったらしく、
「さっき土産屋で聞いたよ。怪しまれないようフードを被っていったんだけどね。あの篤って人は気配には気づいていたみたいだけど……」
そう言えば……、と篤は宙を見つめて土産屋にそんな人影があったなと思いつつ、黙ってコロネたちの話を聞いた。
「私の能力は獄骸を倒すだけではなく、天獄に再び訪れる機会を与える、というものです」
改めての仕草なのだろうか、土産屋で聞いていたにも関わらず、トクコはその話に目を丸くした。
「それは、本当?」
「本当です。そのためには一度、私の力で倒される必要がありますが……」
トクコは数瞬、思考に及んでいるようだった。篤とは別の考えかもしれないが、篤としては果たして、天獄に戻ってこられるというコロネの力とはどれほどのものなのか。仲間とはいえ、目にしたこともないその大きな力を、完全に信じることは難しく感じた。
恐らくトクコがすぐに返事をしなかったのも同じ考えだと思われるが、トクコは濡れた目を一度閉じ、ゆっくりと開けると、
「よろしくお願いしていいかな?」
ごみ溜めに篤たちがやって来ると、先客がいた。同じカラス纏いの二人が、現れた大獄骸相手に奮闘していたのである。
一人はホーやリツと同じく漆黒のカラス纏いだったが、もう一人は紺色のカラス纏いだった。
ラッカを纏い戦闘形態になったリツは、トクコを守るように、ごみ溜め近くの木陰に隠れ、篤は大獄骸の相手をする二人のカラス纏いに近づこうとした。
拳を振り回す大獄骸と、足で踏み潰そうとするもう一体の大獄骸に、苦戦するどころか、簡単に躱していく漆黒のカラス纏い。
そのカラス纏いから少し離れた場所で、紺色のカラス纏いが指を絡めて人差し指を上にむけながら、何やら力を溜めているようだった。
紺色のカラス纏いの横に、カラスの群れが集まってきている。何が始まろうというのだろう。
漆黒のカラス纏いが地を蹴って水平に体を跳ねさせると、拳をぶん回していた大獄骸に向かって飛んでいった。右手には拳を作り、大獄骸に攻撃を仕掛けようとしている。
コロネの言っていた補正も相俟って、反射的に赤いカラスを纏い戦闘形態になっていた篤は、その攻撃から逃れるよう、大獄骸の体の端を掴み、拳の軌道から外れさせた。
そこでようやく、二人のカラス纏いは篤の存在に気づいた。派手な身なりに元から気づいていた節もあるが、邪魔したことで二人のカラス纏いのひんしゅくを買うことになったようだ。
「仕事を横取りする気か、あんた!」
「許可は役所から得たか?」
漆黒のカラス纏いの後ろからホーが、そう言いながら近づいてきた。
「許可だと?」
「この二体は元々は子供だ。聖人様から休むよう促された先で獄骸化しちまった。特殊指定獄骸に部類する」
ホーが淡々と説明していく中、漆黒のカラス纏いは驚きをあらわにした。
「特殊指定獄骸だと?」
「言ったように、聖人様から休みを促され、休養中に獄骸化した場合、配偶者などが役所に被害届を出すことで役所から指定される。お前らは突発的に大獄骸を狙ったフリーのカラス纏いだろ?」
「それがなんだってんだ、フリーだろうがなんだろうが、俺たちも役所から討伐の許可を得てる。邪魔すんなってことだ! おい、コン!」
その名を叫ぶと、離れた場所で指を絡めていた紺色のカラス纏いの横に、数十羽のカラスが集まっていき、大砲のようなものが出来上がっていた。
「準備はオーケーよ!」
コンと言う女性のカラス纏いがそう声を張り上げると、コンはその大砲へ自ら入り込んだ。
やおら漆黒のカラス纏いが腰から銃を抜き取り、足で踏みつけようと近寄ってきていた大獄骸に向けて銃口を向けると、くちばし弾が出ていかず白く輝き始めた。
咄嗟に目を覆う大獄骸。
「目眩ましだ!」
篤も気づかされ、片腕で光を遮りつつ大獄骸へと走り寄った。
砲撃の轟音が轟いた瞬間、大砲からコンが飛び出してきた。帽子のクラウンの部分が尖り、目標物を突き刺そうと、砲弾のように出てきたのだ。
篤は力を込めて、大獄骸の体を無理矢理自分の方へ引き寄せ、飛翔するコンの軌道上から避けさせると、その素早い弾道を見極めていたホーが、下から″砲弾″を蹴り飛ばした。
呆気にとられる漆黒のカラス纏い。動きが止まっている隙にと、コロネが篤に呼び掛ける。
「今のうちに……」
黙って頷く篤は、腰からくちばし銃を取り出し、一体の大獄骸へと向ける。
「一発撃ったあと、少し時間がいる。大獄骸に使う銃の威力は、通常よりも大きなものだから、また力を溜めなきゃならないの」
コロネの台詞のあと、篤の持つくちばし銃が熱を放つのを感じた。
近くに母親がいるからか、篤が銃を向けている大獄骸は大人しくしている。
背後からにじりよる大きな影――。
もう一体の大獄骸が、篤の隙を狙ってやって来た。
垂直に飛んでいったホーは、着地しその大獄骸へと走っていこうとしたが、首根っこをつままれると、それは漆黒のカラス纏いだった。
ぐいっと引き寄せ、一発ホーの顔を殴ると、ホーもやり返した。
灰色の空の下、このごみ溜め付近の空間も薄い闇に包まれたように視界が悪かった。
しかしその最中、目映い閃光が走ると、一体の大獄骸が金色の粉を散らしながら消えた。篤の撃った赤いくちばし弾が、見事命中したのだ。
トクコは一人の息子のその瞬間を見て、感極まったのか瞳を潤ませた。
それもつかの間。
背後から近寄ってきていた大獄骸の拳が、篤を横から殴り飛ばしたのだ。
大きく弾き出され、地を転がる篤。
目が回りそうになり、何度か小さく頭をふると、殴り飛ばした大獄骸が篤の方へと再び向かってきた。
「少し待っててね。痛い?」
コロネが力を溜めている頃合いのようで、篤の怪我の具合を尋ねてきた。
「痛いけど……、痛くない……」
「ふっ」と頭のクラウンの部分から頭を出していたコロネが笑った。
「多少、無理をしてでも価値ある行いを僕らはしている……。少し痛いくらいなんとも……」
「わかったわ。銃を構えたまま、しばらくそのままでいて」
一方、ホーは漆黒のカラス纏いと殴り合いを続けていた。
「てめえ、とうとう仕事横取りしやがったな! 獲物が消えちまっただろうが!」
「うるせー!」
ホーの拳が、漆黒のカラス纏いの顔の側面を深く穿つ。
「人間として生まれ変われるチャンスなんだよ! 俺たちはその許可をもらったみたいなもんなんだ! 文句があるなら、聖人様に異議申し立てしやがれってんだ!」
そしてもう一発、拳固で顔の中央を殴り付けた。
俯せに倒れた篤にゆっくりと歩み寄る大獄骸。
大獄骸の握り拳に潰されるのが先か、先んじてくちばし銃を撃てるか、逸る心を抑え、じっと銃口を大獄骸の胸へと向け続ける。
「そろそろよ!」
コロネの声に、再びくちばし銃が熱を帯び始めた。
同時に大獄骸の拳が振りかぶられた。
「今よ!」
腹這いになりながら、腕と足を使い横へ飛び跳ねる。地表に叩きつけられる大獄骸の拳。
横転しつつ、篤の手にある赤いくちばし銃の先は、大獄骸の胸元を捉えたままだった。
そして再び……。
辺り一面に白色の輝きが激しく舞い散るのだった。
その有り様に、トクコは膝から崩れ落ちた。
リツはカラス纏いの状態で、トクコを抱き止める。
跡形もなくなった大獄骸は、無事元の姿となれるのだろうか……。
一部始終、この場に介入していた篤に不安と期待が入り交じるも、トクコはその神聖とも呼べる光がちりばめられた光景を見て、ただ涙にふけるのだった。
天獄統合中央局――。
清潔感のある白色の建築物。その中のもっとも奥の方にある大きな扉の前でトクコは立ちながら静かに待っていた。
「無事、戻ってくるか、僕としても実は心配だったんだ」
トクコの様子を遠目に見つめながら言う篤、その横にいるホー、そしてリツ。篤とリツがトクコに釘付けなのに対し、取り分を山分けすることを条件に、この一件から引いてくれた漆黒のカラス纏いとコンの一行と、未だ示談を進めているホーだった。
「俺たちを負かしたんだ。あんたの強さは認めてやる。だがな、相方を下から蹴り飛ばすとは、随分ぞんざいな扱いじゃねえか!」
詰め寄る漆黒のカラス纏いことクロベは、ホーに不満たらたらだった。
「わりいな。これもあいつが現し世と行き来できるための始まりでな」
「あの赤い人が、現し世行きになるですって?」コンが驚いている様子だ。
「あいつにも色々と事情があってな。分け前はあんたらの方を多くしておく。それで、もし何かあったとき、ちょいとコンの力を借りたいって思っててよ」
紺色のカラス纏いの力は、カラスを集めて大砲化し、自らを砲弾にして敵の中へと突っ込むという力だった。その力が故の、紺色という特殊な色をしていたのだ。
ホーたちが話をする最中、リツが篤に説明をする。
「あの大きな扉の向こうは、気魂飛翔の儀を終えた魂たちが一度立ち寄って人間の姿になる場所なんだ」
「生前の状態は保てるのかい?」
「トクコさんの姿を見れば一目瞭然。気魂には生前の記憶も含まれていて、主に死ぬ直前の姿に戻るんだ。獄骸化してしまうこと自体が死んだってことみたいで、だからお子さんたちは獄骸前の姿に戻れるってことだね」
よかった……、ほっと胸を撫で下ろす篤。その横でリツが喜びの悲鳴をあげた。
扉から出てきた、トクコの息子二人。
二人は走って、母親の脚に抱きついた。
しゃがんで息子たち二人の背中を抱きかかえる母。
母であるトクコは、篤たちの方へ顔を向け、深々とお辞儀をした。
「これで信じてもらえたかしら?」
床にいたコロネの言葉に「うん」と頷く、リツと篤。
涙にむせぶ母子を見つめ、篤も涙目になる。
「お母さん」
長男のリキがトクコの顔を見上げる。
「ぼくたちちゃんとお母さんのことわかってたから……」
すると次男のリョウが涙と鼻水を流しながら、
「だから、あいつらに騙されたりしたら嫌だなって思って、あいつらが来たときは暴れてたんだ」
「お母さんを守るために?」
トクコの言葉に、息子たちは小さく何度か頷いていた。
「ありがと。でもあの人たちはいい人たちだからね……。今度また会うことがあったらちゃんとお礼を言うんだよ」
今度また会うことがあったら……。それはもしかしたら余計な気遣いだったのかもしれない。この一件で関わりを持てたとしても、親しい関係になるには時間が必要だろう。今はただ、再会の喜びに浸りたいトクコだっただろうが、そんな気持ちを知ってか知らずか、無垢な子供たちは離れた場所にいた篤たちに、
「ありがとう、お兄ちゃんたち!」
「お母さん、守ってくれてありがとう!」
「それと赤い兄ちゃん、殴ってごめんなさい!」
篤はその言葉に手を挙げ、
「大丈夫だよー!」
声を張り上げつつ礼を述べる子供たちに、篤とリツは顔を見合わせ笑顔を交わすのだった。
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