第四章④

 戦いが始まってからどれくらい経っただろうか。

 屋上のみならず、役所の外壁にもよじ登ったり張り付いていた獄骸もおり、それらはそういった特性を持つ獄骸を専門に受け持つカラス纏いが始末していたようだ。

 ようやく事態に収拾がついた。

 銃声も聞こえなくなり、篤にも内心安堵感が訪れていた。

「篤、コロネ、今回の嵐で胸元に傷痕があったのはこの三体だ」

 先刻、ホーが見せたように、捕縛された獄骸の脚は途中で欠損しており、移動もできない様子だった。

 手足を棒にくくりつけ、ぶら下がっている状態になった三体の獄骸たち。

「じゃ、順番に胸を撃ち抜いていきましょう」

 コロネのその台詞は、先刻言っていたような生命を尊重することとは異なるものを感じさせる。だが結局、嵐は去っても篤たちの課題は残ったままなので、コロネの言う通り、合理的なやり方で先へ進まなければならず、篤はそれに従った。

 胸元に傷痕のある獄骸三体を葬った篤たちは、役所内へと移動した。

 すでに事情を知っていた役所の職員から、エントランスの広い空間で告げられたのは、三人ともツヨシではない、ということだった。

 ホーは帽子の縁に手を当てながら、

「どれもハズレとは、日頃の行いがよろしくないのかねえ……」

「誤殺が常日頃じゃ、いいとは言えないねえ……」

 リツが皮肉を込めて言うと、

「それ、やめておくれ」ホーが自分の顔を手で覆った。

「一つ、行く宛がある」

 篤が提案する。獄骸の群れを倒す以前、出会った壮年のことだ。それをホーとリツに伝えると、

「息子がタバコとコーヒー好きと来たか……」

 ホーが篤の言葉を反芻するように言うと、リツが急かした。

「とりあえず行ってみない?」


 篤たちは、天側の海岸にたどり着くと、篤が怪しむ壮年と出会った場所に行く。

 道を挟んだ崖にはコンクリートの嵌め込みがあり、高い位置にまでそのブロックが積まれていた。さらにその上には、格式高い洋館のような外観が見えた。

「さっきの続き、食べましょうよ」

 コロネが篤に促す。

「この味気に入ったんだ?」

「何かクセになるというか……」

 ポリ袋からタバコーヒー饅頭の入った箱を取り出すと、饅頭を地に放ってそれをコロネがついばむ。

「もしその壮年が怪しいのなら、俺は一旦身を引くことにする」

 コロネが美味しそうに食べている傍ら、ホーがそう意見をのべた。

「なんで?」リツが首をかしげる。

「俺のこの格好じゃ、怪しまれるかもしれねえからな」

 そっか、と返すリツとシンクロするように頷く篤。

 ホーとしては誤殺を避けたいというのもあるだろうが、カラス纏いの姿だと、もし仮に、探している壮年がツヨシのことを知っていた場合、それが後ろめたいことであると、警戒され捜査に遅れが生じる原因になってしまう。

「それにしちゃ、そのおっさん出てこねえな……」

 ホーが胸の前で腕を組む。

「俺は海岸にいる。リツ」

 ホーはリツを呼び止めると、懐から小さな笛を取り出した。

「何かあったらこいつを吹いて呼んでくれ」

「わかった」

 ホーが海岸へと続く階段を降りていくのを見届けると、篤はしばし考えた。

 ――思えばタバコとコーヒーが好きな人って多いような……。

 篤の視界に人影が入った。

「またお会いしましたね……」

 ベースボールキャップを被った、白髪の壮年が再び現れた。

 篤は、一度会っているため、リツを紹介すると、カラス纏いのことを伏せつつ自身も名乗った。

「リツさんと篤さんですか……。私はジョウジと言います」

「実は今……」篤はジョウジにツヨシを探していることを伝えた。

「なるほど……。そのツヨシさんという方もタバコとコーヒーが好きなんですね……。それで私がツヨシさんと知人関係であると、篤さんは予想したと……?」

「いえ、もし協力していただけるんであれば……、という話でして、かなり個人的な用事にジョウジさんを巻き込んでしまうのも、なんというか……」

「そうですか。ちなみに篤さんは、ツヨシさんとはどのような関係で?」

「古い友人なんです。役所で見失ってしまい、こうして探すことに……。こちらのリツとも友人関係にありまして」

「ふむ、なるほど。私も安易に声をかけ、篤さんたちと無理矢理関係を築こうとしてしまった向きがあります……。それでも私としてはこの出会いは無駄なことではなかったと思っているので……。よかったら、私の屋敷に来ませんか? ここで立ち話もなんでしょうし……」

 そうして、篤とリツはジョウジの屋敷に案内された。

 石造りの階段を登っていくこと数分。

 高台に位置する場所まで来ると、海岸が見渡せるくらい見晴らしのいい場所に、大きめな邸宅があった。

 坂道の途中にあるジョウジの邸宅は、表から見ると一階建てだが、屋敷に入るなり、部屋の戸が開いており、その奥を見つめると、窓に見える外の様子から崖際に建てられた家のようだった。

 篤とリツは、客間に通されるまで、通路の壁に仮面がいくつも飾られているのを見かけた。

 色とりどりの仮面には、それぞれ異なる模様や装飾があり、ジョウジの趣味だろうかと考えているうちに、客間へと案内されたが、客間の壁にもいくつか仮面がかかっており、篤は遠慮がちな声の出し方で、ジョウジに尋ねた。

「ジョウジさんの趣味ですか?」

「ああ、この仮面ですかね? 実はそうなんですよ」

 相好を崩し、ジョウジは客間の入り口に立つと、

「飲み物を持ってきます。しばしお待ちを……」言って出ていった。

「お構いなく……」リツが軽く会釈し、二人はソファに腰かけた。

「珍しいね。色んな仮面がある……」

 壁を見回すリツ。

 そうだね、と言いながら篤も仮面に目をくれるが、仮面と仮面の間がやけに開いているような気がした。それにどのような意味があるのかはわからないが、そういう部分もジョウジのこだわりだろうか、と思うことにした。

 カラス纏いと怪しまれないよう、コロネやラッカたちは、ホーと一緒に海岸にいる。

 ソファとソファの間にはテーブルがあり、それが部屋の中央にあった。ソファとテーブルが部屋の奥の壁につけられ、その壁には海を望めるガラス窓が嵌め込まれていた。

「いい眺め……」思わず感心するリツ。

 篤はリツの隣に座りながら、自分の後ろにかかった仮面を、まじまじと見つめ、ふと浮かんだ好奇心から、仮面を指先で触れてみた。

 かけ方が甘かったのか、仮面が外れその内側があらわになった。

「リツ……これ見てみてよ……」

 景色に見とれていたリツは、

「安藤さんこそ、この景色見てみなって……」

「い、いいから……。仮面が外れちゃったんだ……」

「何やってんの? 怒られるよ?」

 そうして振り向いたリツも仮面の裏側を見る形となった。

 獄骸だ。

 壁に動かなくなった獄骸が埋め込まれているようで、頭部だけが壁から出ている。

 ジョウジにばれないようにと、篤はそっと仮面を被せた。

 ――まさか、仮面と仮面の間は……。

 今一度、室内を見回す篤。仮面がそこら中に立て掛けられている。

 ――獄骸の肩幅だっていうのか……?

 ノックの音と共に、ジョウジが入ってきた。手にはトレイがあり、その上にはティーカップが乗せてある。

「お待たせしてすみませんねえ」

 にこやかな表情を見せるジョウジに、篤は内心ひやっとした。

 篤とリツの前にティーカップを置き、篤の前のソファに腰かけるジョウジ。

 しばらく沈黙が続いた。

 篤とリツは差し出されたティーカップに口をつける。ほどよく苦味の効いたコーヒーだった。リツは砂糖とミルクを慌てて入れ、スプーンでかき混ぜた。リツには思ったよりも苦かったようだ。

「眺めのいい場所ですね……」

 リツが口火を切った。ジョウジは穏やかな笑みを見せながら、

「ここは、天側でも財産などを多く所有した人々が家を建てて暮らしてるんです。いい眺めでしょう? お金持ちの特権なんですよ」

「死んでからこの世界で暮らすわけですよね? それなのにお金を多く所有してるんですか?」

 篤が問いかけると、ジョウジは愛嬌のいい笑顔を見せ、

「何か聞いた話だと、前世で善行を施した人は、天側でお金持ちとして暮らせるらしいんですよ」

「ボランティアとか、慈善事業を沢山行ってきた人はそうなるって言いますよね」

 ジョウジとリツの話を聞きながら、篤はしばし黙っていた。なんなら、すぐにでも現し世へ戻り、ボランティア活動でもしたいところだが、仮面の裏側を見てしまったことで生じてしまった多少の罪悪感から、終始ジョウジが浮かべている微笑に、篤はひきつった笑みを作っていた。

「ツヨシさんという方は、私も面識はありませんね……。ですが、一緒に探すことはできます。役所にも知り合いがいるので掛け合ってみることはできますが……。まず、伺ってみたいのは、そのツヨシさんがどういった方なのか、色々と知りたいなと。捜査対象者の情報を共有すれば、ぐっと見つけやすくなります……おや?」

 ジョウジが何かに気付いたようだ。篤の後方の壁に視線が向いている。

 リツは無言でいた。篤の額には汗が吹き出していた。

 ジョウジは立ち上がり、篤の後ろへ歩きながら、

「仮面がずれている……」

 ぼそっと独り言を言うと、仮面を定位置に戻し、

「まさか、見ました?」

 ギクリと肩を強張らせる篤とリツ。

「仮面の内側……」

 ジョウジの顔が歪む。

 咄嗟に起立しようとした篤だったが、うまく立つことができず床に倒れた。リツも肘掛けに手を置き立ち上がろうとするが、力が入らない様子だった。

 ――コーヒーに薬でも盛ったのか……?

 視界が霞み、篤の意識は遠退いていった。

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