第四章③

 ハナが小声で話す。手狭な空間に篤とホーがハナを囲む形となった。ホーが相談員の座っていた椅子に腰かけ、篤は入り口の脇に立て掛けていた折り畳み式の椅子に座った。

「だからツックンの特徴はわかってるっちゃわかってるわね……」

 ツックンとはツヨシのことだろう。

「詳しく教えろ」

「偉そうな言い方……。こっちの男の人の方が可愛い顔してるし、できればこっちの人と話したいんだけど……」

 篤を見つめながらそう言うハナ。篤としては不快な気分に陥った。ハナの顔は、長い茶髪をウェーブにしており、まっすぐ伸びた鼻梁には円い鼻と、下唇の厚い愛嬌のある顔だった。目許もしわなどはなく二十代前半くらいに見え、わりと美人な部類に入る。

 ホーが机を叩き、苛立たしげにハナに言う。

「お前に俺たちをどうこうする権利はねえ。遊んでる時間はねえんだ。できるだけ多めにツヨシの特徴を教えてくれ」

 ハナは感情を改めたのか、会話の途中で宙を見つめながら、記憶を辿っているようだった。

「黒い怪物になったんなら、ほくろの位置とかはいい情報にはならないわね。細かいところなら、色々と知ってるけど……。夜を共にした仲だし……」

「いらん説明だ」ホーが言った。

「そうね……。特段目立ったところと言ったら幼い頃事故に遭って、心臓の手術をしたから、そこに痕でもあるんじゃないかしら。好きなものはタバコやコーヒーだったわね……」

 ホーはそれを聞きながら、小さな紙切れに書き記していく。

「胸の手術痕……。獄骸化したとなると、やつれて体が変形したりするから見えにくくなってる可能性もあるか」

 ホーが独り言を言うような素振りを見せるが、篤はそれに一言加える。

「タバコやコーヒーで釣るって手もありかもね」

 ホーの書く手が止まる。

「そういや、そんな土産がどっかに売ってたな……」

「ねえねえ」

 ハナが割って入ってきた。

「捜査に協力したんだから、私の罪も軽くなるんでしょ?」

 純粋に嬉しがっている様子だった。これくらいの力添えで、自分の犯した罪業が軽くなると思い込んでいること自体が罪に思える。

 ハナの言うことを無視して、篤とホーは個室から出ようとした。そこで再度、ハナから呼び止められた。

「話し聞いてる? 罪軽くなるんでしょ?」

「ならねえよ!」

 ホーが場をわきまえず大声で怒鳴った。稲光のようなその声に、ハナは無言で入り口の方を見つめていた。


「さて、次なる問題は……」

 ホーは更なる課題を追求する。

 鉄扉を開けて出、篤やホーたちは廊下で立ち止まりつつ捜査を進める。

「どこに獄骸化したツヨシがいるかだ」

「っていうか、それがめちゃめちゃ重要なことだよね?」

 リツが首を軽くすくめて見せる。

「手分けして探すか……。ど真ん中のこの役所と、天側と獄側に別れるってのも手だな」

「タバコーヒー饅頭が売られていたのは、獄側の店だったね」

 篤が言うと、リツが補足するように、

「天側にも売ってるよ」

「それなら手分けしてやるか」

 ホーの言に満場一致で三人は頷き、ことを進めた。

 獄側をリツ、天側を篤、そして役所をホーが探した。


 天側の街並みを高台から眺める篤。

 白色の建築物が下方に連なり、獄側に比べ、清潔感を醸し出している。

 もっと視界を遠くの方へ伸ばすと、海が見えた。

 海のイメージを浮かべ、カラス纏いの状態になり、翼を羽ばたかせると、一気に海岸に到着した。

 現し世と同じく、天獄も球体だが、立ち尽くしているここは平らにしか見えない。

 銀波が打ち寄せる岸は、クリーム色の砂が地表を覆い、辺りにはちらほらと人の姿も見える。

 太陽もない世界になぜか頭上からは、黄金色の光が差し込んできていた。波や海面がその光でキラキラと宝石を撒いたように輝いている。

 土産屋で買ったタバコーヒー饅頭の入った袋を片手に、さて、どう罠を仕掛けるかしばし思考に及んでいた篤は、海岸から階段を上って、手すりに腰かけながら、土産を食そうと考えた。

 ――これなら、匂いに近づいてくるかもしれないし、僕の腹も満たされるから一石二鳥だ。

「あたしにもちょうだい」

 コロネが言いながら、くちばしでケースに入った饅頭をつつこうとするので、篤は一つ取り出して地べたに放った。コロネは地に降り立って、饅頭を食べ始める。

「ここじゃ見ない顔だ……」

 そこへ気さくに話しかけてきた中年の男性の姿があった。

「こ、こんにちは……」

 篤は軽く会釈して中年の男性を見つめてみる。

 白髪の髪は裾を刈って整えられ、ベースボールキャップを被っている。メガネをかけたレンズの奥からは、穏やかな視線が注がれ、服装はジャンパーとスラックスという出で立ちだった。

「タバコーヒー饅頭か。美味しいかね?」

 は、はい。と若干、警戒心を抱いたからか、濁したような返答になった。

「一つ差し上げましょうか?」

 篤の薦めに、中年男性はいや、と軽く首を振った。

「息子が好きだったんだ。タバコとコーヒーがね。私は普通にあんこの入った饅頭が好きなんだが」

 そうでしたか……。篤はそう返すと、

 ――タバコーヒー好きな息子がいる……。まさかこの人、ツヨシさんの?

 トクコたちの前例があったことを考えると、ツヨシが死ぬ前にこの壮年が亡くなったのでは、という想像も容易い。

 篤はそれを確認しようか迷っていた。

 そこへ数瞬、激しい風が舞い、現れたのはカラス纏いだった。

「安藤さん!」

 声から察するにリツのようだった。

「リツ? どうしたんだい?」

「ホーから呼び出し! すぐにあたしと役所前にまで来て!」

「一体何が?」

「役所が獄骸に襲われてる!」


 すぐに駆けつけた、篤とリツ。そこは役所の屋上のようだった。

 近くにいたホーが気づき、

「来たか! お前らも手伝え! 胸の手術痕のことは他のやつらにも言ってある!」

 篤は周囲を見渡すと、いたるところにカラス纏いがおり、大量発生した獄骸を銃で撃ち抜いたりしていた。

「面倒かけさせやがる!」

 カラス纏いの一人が遠くから言った。

「これも役所からの依頼だ。無視すりゃ手柄もなくなるぞ!」

 ホーが釘を刺すように言うと、そのカラス纏いは苛立たしげに舌打ちした。

 篤は飛びかかってくる獄骸を避けたり、発砲したくちばし弾が獄骸の胸部に当たったりするのを見届けながら、リツに現状を教えてもらった。

「ムクロの嵐っていう現象だよ」

 言って獄骸の頭を撃ち抜くリツ。

「ムクロの嵐?」篤の問いかけのあとリツはこう続ける。

「時おりこうして獄骸が複数で集まって人の住み処を荒らすこともあるんだ。どういう習性かはわからないんだけど……。ムクロの嵐の前に一つ説明しなきゃならないことがあって……。だいたい気魂飛翔の儀が一、二回あると眠気に襲われることがある。それがだいたい三十回とか繰り返すと、こうして町に現れるのね。聞いた噂だと、獄骸の食べるものって、獄側の煙突の煤だったり、ごみだったりする。もちろん人間を食べる習性もあるけど、一説によれば、複数の獄骸がそれらの食べ物に飽きて、獄骸同士でその情報を共有したりしてるんだって。天側のごみと獄側のごみとは味とかが異なるみたいで、獄骸の多くは、きっとその天側にしかないごみを求めて、こうやって移動してるんじゃないか、っていう説もあるんだ」

 気魂飛翔の儀が一、二回あると眠くなり、それが約三十回続く、というそれらの事象は、カレンダーにしてみると、眠気が儀式の一、二回分に相当するのだろう。だとすればそれが狭間や天獄での一日という計算でいいようだ。それが三十回となると、一ヶ月という見方でも間違ってはいないだろう。リツの話はまだ続いた。

「血に飢えたカラス纏いたちは、ボーナスステージだって言う人もいるんだけどね」

「何がボーナスステージよ……」

 篤の頭にいたコロネが呆れたように言う。

「元は人だった獄骸の命をなんだと思ってるのかしら?」

「相変わらずだね、コロネ」

 苦笑しているようなリツの言いっぷりから、こうした考え方がコロネの長所でもあり、短所でもあるようだ。

 コロネの言うように、かつては獄骸も人間だった。それを自らの過ちで、害獣に姿を変えることになっても、コロネは独自の性質である、人間に戻すという力で救おうという考えでいるようだ。

 篤はそういう考え方は嫌いではないが、むしろ懸念に思うのは、コロネのそうした思考がクミの家の上にある森の中で孤立化していた要因ではないかと考えていた。

「厄介な考え方だぜ、コロネ!」

 獄骸の頭に銃撃を加えた一人のカラス纏いがそう突っかかってきた。

「お前のそういう、善人ぶった考え方が、多くのカラス纏いに面倒をかけてんだ。少しくらい自覚を持てよ!」

「うるさいわね。自分のことしか考えてないカラスに言われたくないってのよ!」

 ホーの背中から迫っていた獄骸に、篤は気づいた。叫んで声をかけようとするも、銃声や、獄骸の断末魔にかき消されてしまう。

 ホーは前方を向いたまま、銃口を肩から背後へと向け、その獄骸の脚を撃った。獄骸の動きが鈍くなり、ホーは速やかに前方の獄骸を倒すと、背後にいた俯せに倒れかけている獄骸のもう片方の脚を撃って、行動不能にした。

 危なかった……、と篤が胸中で思うと、ホーは篤に目を向け、

「胸に傷跡がある。こいつは捕獲しねえとな!」

 篤でも気づかなかったことをホーは気づいていた。篤はホーのそのテクニックに舌を巻いた。


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