第四章②

 篤は先にクミの家に帰っていた。カラス纏いを解くと、急に眠気が襲ってきた。

「大丈夫?」

 眉間に指を当て、膝をつく篤にコロネはそう声をかける。

「時差ぼけみたいなものかも。時間の概念がある世界から、それがない世界に来たばかりだとすると、体、というか気魂が混乱しているんだわ、きっと」

 ふらつきながら家に入ると、茶をすすっていたクミが声を張り上げた。

「だ、大丈夫かい!」

 篤は土間でうつ伏せになって、ついに倒れ込んでしまった。


 篤は夜という時間を、狭間に来てからというものあまり経験していなかった。コロネと初めて会話した、気魂飛翔の儀のとき以来、再度儀式において暗くなることはあっても、眠れるような夜の静寂さや安らかさを感じていなかった気もする。

 色々なことが重なり、疲れもあったのだろう。篤は深い眠りに就いていた。

 小さな魚が、深く暗い海の底で静かに寝息をたてるかのように、篤の睡眠は長く、そして穏やかだった。

 自分の腹の上に違和感を覚えた。そろそろ起きようかと考えてもいた篤は、その重しの正体も見ようとして瞼を開けた。

 瞳の茶色い少女が、篤の顔を覗き込んでいた。

「わっ!」驚くと、その少女は顔を引き込めた。

 ショートボブの黒髪をした顔全体の雰囲気としては、まだ未成熟なものを感じさせる。だいたい十三歳くらいのその少女は、目元にほくろがあり、細い眉と薄い唇は、肌の白さも相まって、繊細なものを感じさせる。強かな目力で篤を見据えるも、その繊細さゆえに、子供と言えど言葉を慎重に選択する必要性を抱かせた。

「あんたがA君?」

 慎重に言葉を、と思っていたが、少女の方がまだ未熟だったのか、妙な声のかけ方をしていた。

「え、A君て……?」

 目を擦りながら、仰向けになる自分の腹にその少女が馬乗りになっていることに気づく。

 だんだんと、眠りの淵から目覚めていく感覚がすると、篤は改めてその呼び方の不自然さを指摘する。

「A君てなに?」

「イニシャル……。安藤篤ってやつなんだろ、あんた……」

 イニシャルのAからそう呼称しているのか、と得心がいきつつもやはり不思議な口のききかたである。

「君の名前は? もしかして、ナユちゃんて子?」

「よくわかったね!」

 ナユは目を丸くした。

「さては、リツから聞いた?」

「そう。受け付け担当だって聞いたけど……。子供なのに大変だね」

「あたしを子供扱いするな……」

 ナユは言って、篤の額を指で弾いた。

「一日何件くらい対応してるんだ?」

「あんたが来てから、クレームが殺到してる。誤殺のホーなんかに仕事を任せられるか、とか、誤殺のホーのいる会社に仕事は頼めないとかな」

「そ、そうなんだ……」

「仕事の請け合いだけじゃねえんだ。そういう厄介なことも担当してる」

「大変なんだな。ところで……」

 あ? と乱暴な言い方をするナユ。

「そろそろどいてくれないかな……」


「そう言えば、ナユの紹介がまだだったね」

 居間でクミから改めてナユを紹介された。

「ま、あたしの存在なんてどうせばあちゃんには、路傍の石より小せえんだろ?」

「そんなこたあないよ……」

 クミは密かに片目を一度閉じてから、篤に向かって、

「こういう口の聞き方を知らない子なんだ……」

 篤は苦笑しつつ、ナユに問いかけをした。

「もうここでの仕事は長いのかい?」

「そうでもない。現し世で言うところの、半年くらいじゃねえか?」

「半年か……」

「リツと同じ、元々は天側の役所勤めだった」茶を一口すすったクミが湯飲みを両手の中に包みながら、正座している膝の上に置く。

「どういう経緯かは知らんが、役所の仕事がクビになったらしくてね。この子一人だったらしいし、そういう子供は、天側の施設に入れられるんだが、たくましいのか、私の元へ来た。聞くに、害獣駆除の仕事の方がスリルがあって楽しそうだってな理由さ」

「つまんねえんだもん。書類をコピーするだとか、たくさんの死人の相手しなくちゃならねえし……。むしゃくしゃして、一回、めんどくせえっ! て叫んだら、上司に呼び出し食らって、辞表を書かされた。幸い、獄骸になるほどの罪じゃなかったし、ここで働きながらばあちゃんと寝食共にしてるけど、受け付けの仕事もかったるくてさあ」

「また、いつもの愚痴かい? 聞き飽きたよ。狭間も嫌だ天獄も嫌だってんなら、いっそのこと転生しちまいなよ!」

「それも退屈だろお? 別に聖人になりたい訳じゃねえし。気ままに生きるわ……」

「まったく……」とクミがぶつぶつ言っていると、座るナユの足元にあった黒いダイヤル式の電話が鳴った。

 ナユは受話器をとると、

「はあい。クミ清浄ですう」

 初めてクミの会社の名を聞いた。そしてナユのこの変貌ぶり……。篤はただちに布団に潜り込みたくなった。

 ――狭間も天獄も現し世も、めんどくさいことばかりだな……。

「A君、Hさんから電話」

「え、Hさんて誰?」ため息をつきたくなりそうだったが、辛うじてそう問いかけた。

「ホーだよ。すぐわかれよ、それくらい」

 ごほんごほん、と篤は他意をあえて含ませた咳払いをしてから、受話器を受けとると、

「篤か、ちょっと天獄まで来い」

「何かあったのかい?」

「ちょっとな……。役所の前で待ってるから大至急!」


 天獄の役所前に、コロネとカラス纏いの状態で到着した篤は、ホーとリツと居合わせ、ホーからことの顛末を聞いた。

「ダンジロウのおっさんと話を終えた俺たちは、一階の広場で死を共にした恋人を探す、ツヨシって奴と出会った。彼女の方がどこかへはぐれていったってんで、ツヨシは図々しくも出会ったばかりの俺たちに恋人を探してくれって頼んできやがってな。んでリツと俺、ツヨシで探そうとしたら、その恋人とすぐに鉢合わせしたんだ。そこまではよかったんだが、ツヨシはいきなり腹に隠していた包丁を手にして、恋人であるハナに襲いかかった。すぐに俺はくちばし銃でツヨシを葬った。元から死んでいたが、この場合の葬るってのは、獄骸化することを意味してる。しかし、だ。ハナの方がもっとやばかった。館内放送で呼ばれた俺とリツ、ハナは個室で役人からハナがどういう人物であるか聞いたんだ。ハナの隣には、別のカラス纏いがいやがってな。それがハナが暴走しないようお目付け役だと知ったのは、ハナの素性を聞いてからだ。奴はストーカーだった。対象はツヨシ。行き過ぎたストーキングで、ツヨシの家族を恐れさせた挙げ句、ツヨシを刺し殺したあと、自分も刺して死んだってわけだ。それで、獄側に行くかどうかの裁定の手続きをしようとしていたところへ、ツヨシが復讐のために、ハナを殺そうとした……」

「ってことは……」

 篤は話を聞いていて、ホーの一連の行為に既視感を覚えた。

「言わねえでくれ、篤……」

 篤の両肩に正面から手を置いて肩をしょげさせるホー。

 篤が言いとどまっていると、リツがボソリと、

「誤殺のホー、ふたたび……」

 ふざけた物言いに、ホーは顔を両手で覆い呻いた。


「それでだ」

 まだ話しは終わっていなかった。ホーは再び語り出す。

「役人からの依頼で、獄骸化したツヨシを探しだし、コロネのくちばし銃で人の姿に戻そうってなったんだ。俺のミスでもあるし、迂闊にツヨシとハナを近づけさせた役所側の対処も問題だってんで、ツヨシを戻したあかつきには、篤、お前に現し世と天獄を行き来できる許可を出すってことになった」

「本当に?」目を丸くする篤。

「ラッキーな話だが、問題もある。ツヨシをどう見つけるかだ。幸い俺たちには、カラス纏いの力で距離を無視して、移動を短縮できるすべがある」

「それでそのツヨシさんの何か目印となるものはないのかい?」

「それを知っているのが、不運というか厄介というか、ハナなんだよ。恋人同士何か知っていることがあるかもしれねえから、まずはそいつから話を聞く」

 篤に話す前から、ホーやリツはハナに聞く予定だったようで、篤が来てからも役所から出る様子もなかった。

 役所内の階段を登った二階。その中央らしき場所に大きな鉄扉があった。

 扉の前には警備員がおり、ホーが何やら手帳のようなものを懐から取り出して見せると、三人とも中に入れた。

 鉄扉の内側は広い待合室のような場所で、壁際には椅子が並び、中央となる場所にはいくつものカーテンによって仕切りが設けられ、奥までは眺めることはできなかった。三人はカーテンと椅子の間の通路を歩いていく。カーテンは天井から垂れ下がっていたが、カーテンレールは見えず、果てのない空間から床にまで下りているようだった。

 篤は歩きながら天井を凝視するが、その不思議なカーテンの仕組みはわからないままだった。

 リツが小声で話しかけてきた。

「ここは気魂飛翔の儀を終えた気魂たちが、天獄でどう過ごすか、選定される場所だよ」

 ちらほらと座る人々を見つけた篤は、

「気魂が人の姿になってるんだね」

「選定されるときにその人の前世のことを、記憶を頼りに記述していくんだ。それによって罪の重さや、選定の仕方が変わってくるってことだね」リツが説明する。

 仕切りはそれぞれ個室として隔てられ、各自が役人と会話する形になっているようだった。

 目の前を行くホーが、時おりカーテンを開けて中を覗き見すると、一瞬だけ中の様子が見られ、机を隔てた両側に相談員と亡くなったばかりの老若男女が、個室でそれぞれ一人ずつ言葉を交わしているのが見えた。

 さらに奥へ進んでいき、何度目かにホーがカーテンを覗き見る。ハナを見つけたようで、外に相談員とリツを待たせ、ホーと篤でハナにツヨシの特徴を聞いた。

「不倫関係だったの……」

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