28. 些細な日常――
夏が終わり、秋も早々に姿を隠し、今は11月後半。
本格的に冷え始めた空気の中、居酒屋のバイトを終えたふたりがてくてくと歩いて帰っていた。アサギは相変わらず二文字Tシャツ『激怒』と、合皮製のジャケットにジーパンという秋仕様の服装でポツリと呟く。
「寒くなってきたわね」
「俺の村は山の方にあったからまだ平気だな」
「そうなんだ。山って雪とか積もって寒そうよねー。あ、雪遊びやってみたいかも!」
「……」
白々しいやつめと思いつつ、無邪気に笑うアサギを見る仁。夏以降、結局ふたりきりになることが少なく、問いただすことができていなかった。
半年以上も一緒に暮らしていることもあり、敦司の言うように魔王フリージアが悪逆非道である気が段々と薄れてきていた。それほどまでにアサギは人間のように情があった。
「明日は月菜ちゃんが急にお休みが欲しいって言ってたから私出るわね!」
慣れてくると安請け合いするのがどうにも良くないなと思いながら歩いていくと、いつものワンルームへと辿り着く。
「ただいまー!」
「おかえりなさい! 寒くなってきたから今日はおでんですよー」
「おでん……! あのコンビニでいい匂いを出すあれね!」
夏頃から各々で食費をひとつの貯金箱に入れていくスタイルにしたため、当番で夕食を作ることが増え、ご飯とたくあんのみというさもしい状況からは何とか離脱できていた。美月の提案で、さらに美月は多めに入れる上に、ハンバーグやシチュー、丼ものなどレパートリーも豊富なので当番が美月の時は基本豪華である
「この世界に馴染みまくっているな……」
「まあね! でも、魔法も使えるようになってきたし、そろそろ試す?」
「……そうだな。その前におでんとやらだ」
そう言う仁は、この生活が楽しくなっていた。故に、いい思い出が無い元の世界に未練が少しずつ無くなってきていた。
「ふふ、たくさんあるからいっぱい食べてくださいね!」
「もっちろん! はふはふ……卵熱っ!?」
「気を付けろ。そう言えばお前は元の世界に戻りたいのか?」
「え? うん。四天王も心配しているだろうし、お父様やお母様も……って、あの二人はあまり会わないから大丈夫かな」
「そうか」
恐らく自分より馴染んでいたと思っていたアサギが、即答で帰りたいというとは思わず、仁は少々驚いていた。それと同時に、自分には待っている人もいないのに、と胸中で暗くなった。
「あ、でもちょっと12月は忙しいから、なんだっけ? 大晦日って日にしない? 店長も休みって言ってたし」
「そうなのか?」
「ええ。年末年始、お正月といって、みんな休むんですよ。ま、その前にアサギさんはやることが――」
「ああ!? ちょっとやめて美月ちゃん!?」
「ああ、そうでしたね! とりあえずお仕事頑張りましょう!」
「?」
仁はふたりの会話はわからず、姉妹のような仲の良さだなと思いつつ、首を傾げながらはんぺんを口にするのであった。
それから12月に入ると、アサギが部屋にいることが少なくなった。朝も仁と共にどこかへ出発し、夜は以前週3だったシフトを週5に増やしていた。
仁とシフトが被ることは多かったが、疲れているのか、すぐにお風呂に入って寝てしまうため、アサギと会話することが無くなった。
さらに、
「? どこへ行くんだ? 今日は休みじゃないのか?」
「え? あー……えっと、ちょっとお買い物よ! 夕ご飯は食べて帰るから!」
と、ひとりで出かけることが多くなった。不審に思った仁だが、顔を合わせなくていいと思っていた。
「というわけだが、どう思う?」
「急すぎるぜ仁さん。予想も立てらんねぇ……。三叉路は何か知らねぇのか?」
「美月でいいですよ! んー、私も大学とお仕事があるからあまり話できていません。仁さんとほとんど同じくらいじゃないですか?」
「それもそうか」
すると敦司がピキーンと何かを受信し、口を開いた。
「……まさか、男か?」
「なに?」
「あら」
美月が短く呟き、仁が美月を見るとサッと目を逸らした。仁はその機微には気づけず、敦司に問う。
「どういうことだ敦司?」
「いや、アサギさんって美人だろ? 居酒屋でもよく声をかけられているじゃねぇか。だから、男と遊んでいてもおかしくはねぇかなって」
「なるほど。そういうことであれば、もし向こうの世界に戻るのが俺だけになるし、世界は平和になるな」
「……いいんですかそれで?」
「ん? ……問題などあろうはずも無かろう。ミツキのような女性なら俺も歓迎だが」
「えへへ、そうですか!」
そう返した仁に、美月は元気よく返事をしたが、少し寂しそうな笑顔を見せていた。やがて仁が居酒屋の仕事へ出かけ、部屋には美月と敦司のふたりだけが残される。
「仁さんは三叉路がタイプなのか……」
「美月でいいのに……。うーん、どうですかね。何となく近くにいる異性が私とアサギさんで、比べたら魔王より私がって差だと思いますよ? ほら、助けた恩とかそういう」
「そうか? まあ三叉路が軽く振ってやりゃ目も覚めるだろ。元の世界に戻るなら、こっちで恋人を作れねぇ……あれ? だったらアサギさんは戻る気が無い、のか……?」
すると、美月は少し考えた後に敦司の目を見て言う。
「先輩は彼女とか作らないんですか? 優しいのに勿体ないです!」
「は!? え!?」
「うふふ」
急な言葉に狼狽える敦司。ころころと笑う美月にからかわれたと気づいた敦司はそっぽを向いて口を尖らせた。
「……俺みたいなやつにゃできねぇんだよ。それに、最近は四六時中お前が付いて来るからなあ。どうなんだ? ”狂犬”と一緒にいて友達は何も言わねぇのか?」
「……友達はいませんからねえ。でも、いいんですよ! 私にはアサギさんや仁さん、先輩がいますから!」
礼二や月菜はいいのかよ、と苦笑しながら敦司は美月へ言い、ふたりが笑っていると件のアサギが帰宅した。
「たっだいまー!」
「あ、おかえりなさい」
「よう、邪魔してるぜ」
ふたりで出迎えると、アサギは炬燵へと潜り込み目を細めて口を開いた。
「いやあ、暖かいわ……」
「アサギさん、今日はどこへ行ってたんだ?」
「え? ……んー、内緒!」
一瞬考え込んだアサギを訝しむが、もし恋人がいるなら自分が詮索することもないかとフッと笑い立ち上がる。
「人見知りだったのに一人で出かけられるようになったのは良かったのかもしれねぇな。そんじゃ、俺も帰るわ」
「もう帰っちゃうんですか? 折角アサギさんが帰ってきたのに。ほらほら、女の子二人とお話ししましょうよ」
「悪い気はしねぇが、俺もやることがあるんだよ……じゃあな」
パタン、と扉を閉じて敦司も出て行った。
「で、どうなんですか? お金、貯まってます?」
「……そうね。美月ちゃんのおかげで結構。これならクリスマスにも間に合いそう」
すると美月は満面の笑みで頷き、胸の前で手を叩く。
「それは良かったです! 何を買うんですか?」
「えっとね――」
と、笑い合う日々がふたりがこのワンルームから居なくなるまで続く。美月はそう思っていた。
だが、平穏な日々というのは少しのずれから壊れていく――
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