15. 狂犬



 「さ、て……人の少ないところを通って帰らないと……」


 アサギは美月と別れておそるおそる構内を歩く。出口付近にある窓口で入校証を返せばミッション完了なのだが、まだまだ昼前とはいえ人は多い。

 なるべく人を避けて進み、アサギはなんとか入口まで戻ることができた。


 「確かに返却を確認しました」


 「はーい」


 なるべく平静を装って大学を出たアサギは駅に向かって歩き出した。季節は五月の半ばで、まだ涼しさを感じれる空気なので足取りも軽い。


 「やっぱりまずは一対一からじゃないと無理か……。緊張しちゃうのよねえ」


 そんなことをぶつぶつ言いながら近くの交差点で信号待ちで立ち止まる。どうしてこんなに怖さを感じるのかを不思議に思っていると、おばあさんがアサギの隣に……止まらず、赤信号を渡り始めた。


 「ちょー!? おばあちゃん!?」


 徹底的に日本の常識を叩きこまれたアサギには隙は無く、赤信号をみんな渡れば怖くないというような考えは持っていなかった。

 そんな時、もちろ……間が悪いことにトラックが爆走してきた!


 「ああああ!? た、助けなきゃ!」


 アサギが駆け出そうとしたその時――


 「だあああああ! あぶねえだろうがよぉぉぉぉ!」


 「ひゃあああああ!?」


 と、後ろから金髪の長身男性がおばあさんを掴まえ、元の場所へ戻ってきたのだ。ちなみに声が大きすぎてアサギはびっくりしただけだった。


 「あら? 赤だったかね?」


 「そうだよ! もうちょっとであと何年生きられるかわからねぇ体がお陀仏になるとこだったんだぜ! 馬鹿か? アホなのか!?」


 とても口が悪いなとアサギがドキドキしながら見ていると、意に介さずおばあさんが頭を下げてお礼を言う。


 「そりゃ助かったねえ。何かお礼でもしたいけど……」


 「お礼なんざいらねぇんだよ! おら、青信号だ! 渡るぞババア! ……突っ込んでくる車はいねぇな? こっちだ! 来やがれ」


 「おやおや、まあまあ、すまないねえ」


 「お礼なんざいらねぇっつってんだろうが! 行くぞおらあ!」


 そう言って金髪の男はおばあさんの手を引いてさっさと信号を渡り、頭を下げるおばあさんに怒声を浴びせながら去って行った。


 「……なんだったんだろ?」


 夢でも見ていたのか、と自分の頬をつねってみるもやはり、痛かった。




 ◆ ◇ ◆




 「ということがあったのよー」


 「……それはいいが、なんでお前がここにいる?」


 アサギは帰り道コムラードに立ち寄っていた。アイスコーヒーを飲みながら、仁に先ほど見た光景を話していると、嫌そうな顔で返してくる。


 「大学で人見知りを治そうと思ったんだけど、あれはダメだったわ。人間が多すぎて」


 「……」


 相手にしないとばかりに無視を決め込む仁だが、マスターの猛が代わりに話を聞く態勢になり声をかける。


 「仁君、せっかく尋ねてきてくれた彼女にその態度はないんじゃないか? で、金髪の男がおばあさんを助けたんだ?」


 「彼女だなんてそんな、えへへ……」


 「……違います。こいつは俺の敵なんで」


 照れるアサギにむすっとする仁を見て、やれやれと肩を竦めて猛は続ける。


 「そういえば、あの大学に”狂犬”とか言われる生徒がいるってお客さんが言っているのを聞いたことがあるな」


 「狂犬?」


 仁がピクリと耳を動かし尋ねると、猛は頷いてから話す。


 狂犬は金髪の男で目つきが悪く、常に喧嘩が絶えないのだという。やくざとも関りがあるという噂があるから近づかない方がいい、という話だった。


 「そうなんだ、もしかして私危なかった?」


 「かもしれないね。女の子を見ると強引に連れて行くって話もあるから、見かけても関わらない方がいい」


 「そ、そうします……」


 アサギはアイスコーヒーをちびちび飲みながら俯く。


 「乱暴なやつ、か。向こうの世界じゃ珍しくもなかったが、魔王はびびっているんだな?」


 「び、びびってませんー! もし美月ちゃんとかが襲われたら私が助けますー!」


 「ふん、その狂犬とやらがお前を連れて行ってくれたら助かるんだがな」


 「うぎぎぎ……!」


 「まあまあ……」


 猛が仕方ないな、という顔でふたりを窘めた。やがて時間も経ちお昼時になったところでお客さんが増えてきたのでアサギはコムラードを後にし、家へと帰る。


 「ぷあー」


 ソファにダイブし、結局お金を使っただけだったとわずかな疲れを感じてさきほどの出来事を考える。


 「んー、でも口は悪かったけど、おばあさんと一緒に信号を渡ったりしていたからそんなに悪い人じゃなさそうだと思うんだけど――」


 と、そこで目つきは怖かったことを思い出しクッションに顔を埋めて震える。


 「訂正。やっぱり怖いわ。ふあ……眠……」



 ◆ ◇ ◆


 

 「え!? 狂犬に会ったんですか!? だ、大丈夫でしたか!」


 「うん。襲われたりしなかった?」


 さらにアサギは一緒のシフトに入っていた美月と月菜にそのことを話すと、ふたりとも肩を揺する勢いで心配してくれた。


 「やっぱり美月ちゃん達は知ってるのねー」


 「もちろんですよ! 素行不良の健康優良学生狂犬といえばウチの大学の名物です!」


 不穏なワードと善良なワードが入り混じった微妙な紹介をされ、アサギは眉を潜めて首を傾げる。


 「まあ顔は見たし、近づかなければ大丈夫よね。大学に行くことももう無いと思うし」


 「え? 来ないんですか? バドミントンとかで遊ぼうかなと思ったんだけどなあ」


 「え、なにそれ楽しそう」


 アサギが食いついたところで店長の礼二が厨房から顔を出して三人を窘めに来た。


 「喋っとらんと仕事してくれや! ほら、から揚げできたで持って行ってくれ」


 「はーい!」


 と、三人は働きながら大学ではどうとかそう言った話をし、アサギがワクワクしながら聞いていた。そのまま閉店時間となり美月とアサギは店を後にした。


 「ふいー疲れた……」


 「あはは、アサギさんも慣れて来たから私も楽ですよ? 店長も喜んでます」


 「まあ、お金のためにね……。早く家を出ないとさ。いくら部下とはいえ、上司が迷惑かけちゃうのはねえ」


 「あ、その設定まだ生きてたんですね」


 そんな話をしながら家路へ向かっていると、


 「お、可愛いお姉ちゃんはっけーん♪」


 「ふたりともこんな時間にどこ行くの? 俺達と遊びに行かない?」


 そう言ってチャラい男ふたりが声をかけてきた。


 「わひゃあ!? な、なんなのあんた達……」


 「……お仕事帰りなんで、失礼します。いこ、アサギさん」


 美月が素早く、驚いたアサギの手を引いてその場を去ろうとしたが、回り込まれて腕を置かれた。


 「ひっ……!?」


 「近くで見ると可愛いなホント。さ、行こうぜ、いい店知ってるんだ」


 「こっちの姉ちゃんも……『正義』? なんだそのTシャツ」


 「カッコいいでしょ? じゃ、じゃなくて美月ちゃんが嫌がっているじゃない! は、離しなさいよ! ……きゃ……!?」


 「威勢はいいけど、足がすくんでいるぜお姉さん? へへ、今日はついてるな」


 「は、離して……!」


 嫌がる美月とアサギを強引に連れて行こうとするチャラ男。


 「い、いや……だ、誰か……仁さん……!」


 美月が仁の名を呼んだその時――


 「おい、嫌がってんだろうが? その手を離しやがれよ? ああ?」


 不機嫌そうな顔をした”狂犬”が、そこに立っていた。

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