もうひとつのワンルーム

29. 予兆

 「ううー……さみぃ……」


 「よ、狂犬! 今日はあの子と一緒じゃねぇの!」


 「うっせ! いつもいつも一緒じゃねぇっての!」


 「ははは! あんまり喧嘩して泣かすなよー」


 と、最近は美月と一緒のことが多く、実はあまり怖くないということが少しずつ知れ渡り始めたので同じ講義を受ける人には声をかけられることが増えてきた。

 しかし、概ね美月とのこと冷やかしに来るので、友達というよりかは知り合い程度ではあるが。


 そんな12月24日の昼間、敦司は午前中だけの講義を終えて帰ろうと大学構内を歩いていた。さて、昼飯を兼ねて仁のところでランチを食べるかと門を出る。


 「天気が良くてもなぁ……」


 寒いのは変わりがないかと空を仰いだ後に通りに目を向けると、サンタ服姿で立つ見知った顔を見つける。


 「……アサギさんじゃねぇか……?」


 近づくと、いつもの元気がいい声が聞こえてきて敦司はアサギだと確信し、サンタ服姿へと近づいていった。


 「ありがとうございましたー!」


 「よう、何やってんだ?」


 「あひゃああ!? ……って、あっちゃんじゃない。びっくりしたー」


 「そんなに驚かれるとそれはそれで傷つくぜ……。ま、いいけどよ。で、何やってんだ?」


 「ケーキを売っているのよ! 今日と明日だけなんだけど、お給料がいいのよ。日雇いでOKだなんて、美月ちゃんって色々知ってるわよねー」


 言われて建物を見れば、おしゃれな洋菓子の店だとわかり敦司はなるほどと納得すると同時に、美月の紹介で働いているなら確かにとも目を細める。

 

 「……そうだな」


 その瞬間、ふと海岸で会った男を思い出す敦司。


 美月は何かを隠していると思う。だが、あの日以降あの男が現れることも無かった。彼女から言い出すこともあるかという思いと、知り合って間もない自分に話すことはあり得ないと考えがあった。そんなことを考えていると、アサギが口を開いた。


 「あっちゃん今からどうするの? もうすぐお昼だけど」


 「俺ぁ今から仁さんのところで昼飯を食って帰るつもりだ」


 「あ、そうなんだ! なら私もちょうどお昼だし一緒していい?」


 「そりゃ構わねぇけど、仁さんと話すのは気まずいんじゃねぇのか?」


 ここ最近、美月とアサギまたは仁と美月と自分というパターンで会うことはあったが、仁とアサギが一緒になったところを見ていない気がした。意図的にアサギが避けているような節も見られたからでもある。しかしアサギはきょとんとした顔で、


 「え? 別に? あー……でも、最近話していないかも。きっと寂しがっているだろうから、やっぱり行くわ!」


 「なんだ全然普通じゃねぇか。心配して損したな。んじゃ待ってるから行こうぜ」


 「ちょっと待っててねー。お昼交代しまーす!」


 アサギは店の中に声をかけると、奥から女性の声がし、交代要員が出てきたので敦司とアサギは喫茶店へと向かうのだった。



 ◆ ◇ ◆



 「……」


 「……」


 無言でコーヒーを入れる仁をジッと見て冷や汗をかく、マスターこと佐々木さん。ここ最近、仁の様子が変だということに気付いていたがそっとしておこうと思っていた。


 「ごくり……」


 しかし喫茶店の空気が日に日に沈んでいくような感じがし、いよいよ佐々木は仁に声をかける。


 「……なあ仁君、最近何かあったのかね? ぼーっとしていることが多いようだが……」


 「え? そんなことはないかと思いますが」


 「いや、それ砂糖じゃなくて塩だからね? 居酒屋と掛け持ちで働きずめだから疲れているんじゃないか? 今日はもう休むかい?」


 「いえ、俺は大丈夫です」


 「しかし、パスタにハチミツを入れるのを私は見過ごせないよ……?」


 「ああ!? す、すみません!? 責任をもって俺が食べます……」


 佐々木さんが苦笑しながらため息を吐き、仁は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。それと同時に胸中で呟く。


 「(おかしい。俺がこんな小さなミスをするはずがないんだが……。別に疲れてもいない。俺は一体どうしてしまったのだ……)」


 ハチミツパスタを奥に片づけていると、カウンターか聞きなれた声が聞こえてきた。


 「マスターいつもの!」


 「俺ぁホットコーヒーとサンドイッチだ」


 「おや、アサギちゃんかい。敦司君と一緒ってことはデートでも行ってたのかな?」


 佐々木さんの言葉に仁の耳がピクリとなり、仁がいそいそとカウンターへ戻ると、そこには見慣れた敦司と、見慣れない赤い服を着たアサギが座っていた。


 「……お前」


 「あ、いた。へっへー! 寂しがっているかと思って食べに来たわよ!」


 「寂しがってなどいない。いつものパスタだな。コーヒーはアイスか?」


 「うん! いやあ、部屋で顔を合わせないからなんか久しぶりよねー」


 「まったく、冬でもアイスコーヒーとはな」


 仁がササっと、手際よく用意をするのを見て、佐々木さんは目を細めて笑っていた。


 「ほう……」


 「? どうしたんですか佐々木さん?」


 「いやいや、何でもないよ。ふたりの分は頼むね」


 「ええ」


 コーヒーも淹れさせてもらえるようになった仁はここのところミスが目立っていたが、アサギがここに来た瞬間、それが無くなり淀みなく用意するのを見て察した佐々木さんはサンドイッチを作りに厨房へと入っていく。コーヒーを二人に出したところで、会話が始まる。


 「ふう……やっぱここのコーヒーは美味いぜ……あったまるし」


 「あったかいのは苦手なのよねー」


 「そんな寒そうな服を着ているからだ。……ちょっとスカートが短いんじゃないか? 胸元もだ」


 仁がコーヒーを出すため椅子に座っているアサギの横に立ってからそんなことを言う。それもそのはずで、いわゆるコスプレサンタなので仕方がないのだ。そんなことなど露知らず、仁はしかめっ面でカウンターに戻る。


 「そんな恰好で夜道を歩くなよ? 最近変質者もいるらしいからな」


 「あれ? 魔王の心配をしてんのか仁さん?」


 敦司が嫌らしい笑いを出しながら言うと、仁が一瞬目を丸くし、少し考えた後に咳ばらいをして反論する。


 「……そんなわけがないだろう。襲った方が可哀そうだと思っただけだ」


 「あー! ひっどい! ふんだ、あっちゃんに送ってもらうからいいもん」


 「もんって……。ってか力強いな!?」

 

 敦司が困惑顔でひっついてくるアサギを引き離そうとするのを見て、仁はなんだか胸の奥がスッキリしないなと思いながら黙ってその様子を見ていた。

 

 「あっちゃんそれ一つちょうだい! 私のも食べていいし」


 「お、いいのか? ちょっと気になってたんだよな」


 「……」


 じゃれ合うふたりを見て、もやっとした気分のまま声をかけられず、結局あまり喋らずふたりを見送る形になった仁。


 「良かったのかい、久しぶりだったんだろう?」


 「いえ、別に……」


 そう言って片づけを始めると、佐々木さんはため息を吐いてその背中を見送った。



 ◆ ◇ ◆




 「あー美味しかった! 仁もこーひーを入れるの上手くなったわね」


 「良かったのか? 仁さんとあまり話さなかったけど」


 先ほどアサギが働いていた洋菓子屋まで一緒に歩きながら敦司がアサギに問うと、アサギは唇に指を当てながら返す。


 「んー、まあいいわよ。実は忙しいのも今日までなの。明日のために頑張ったんだから!」


 「へえ……ってクリスマスだな明日は」


 「そうそう。美月ちゃんから色々聞いてさ、その準備もあったのよ。あ、もちろんあっちゃんも呼ぶからね!」


 「お、おう……」


 大学に入ってから一人でクリスマスを過ごしていた敦司が、ありがたいと顔を赤くしてそっぽを向く。アサギがそのまま話を続けようとしたその時だった。


 「お、三叉路じゃねぇか。帰りか?」


 「あ、ホントだ。みつ――」


 道の向こうに美月を発見し、近づこうとした瞬間、黒塗りのリムジンが近くに止まり、出てきた男が美月の前に立ちはだかった。


 「――!?」


 驚く美月に、男は素早く近づいて彼女の手を掴み、引っ張ろうとした。


 「い、いや……! 離してください! だ、誰かー! ……むぐ!?」


 「うるさい……! いいから来い!」


 ただごとではないと悟ったふたりは即座に駆け出し、アサギは声を出す。


 「あっちゃん! <フリーザー>!」


 「任せろ……! おらぁ、てめぇ何してやがる! 三叉路を離しやがれ!」


 「なんだ……!? うお……」


 アサギのフリーザーで目くらましを受けて、男が美月の手を離すと敦司が男を突き飛ばして間に割って入る。


 「大丈夫か!」


 「先輩! はい、ありがとうございます!」


 「くそ……ガキが舐めやがって……!」


 尻もちをついた格好悪い男の顔を見て、寄ってきたアサギと敦司は小さく口を開く。


 「「あ!?」」


 それは以前大学でアサギが初老の男とぶつかった際、横にいて怒声を浴びせてきた、速水という男だった。ふたりは睨みつけるように速水を見る。


 「美月ちゃんをどうするつもりだったの! あ! 待ちなさい!」


 が、向こうは覚えていないらしく、舌打ちをしてそそくさとリムジンに乗り込んで去って行った。


 「……なんだったんだ? 大学にもいたことあるけど」


 「え? それは本当ですか……?」


 美月の問いに、アサギが答える。


 「うん。なんかお爺ちゃんみたいな人と一緒だったわ。実は変質者だったのかも……!」


 「……」


 「三叉路? 何か知っているのか?」


 考え込む仕草をした美月が気になり、敦司が声をかけるが美月はハッとした表情を見せた後、すぐに笑顔に戻り敦司の手を取って言う。


 「ぜ、全然知らない人ですよ! 多分私が可愛いから狙って来たんですよ! あはは!」


 「まあ、確かに三叉路は可愛いが……」


 するとボッと顔を赤くして美月が、


 「も、もうもう! 先輩恥ずかしいこと言わないでくださいよー!」


 と、敦司を叩くのだった。


 ――その後、アサギを店へ送り届けた後、敦司は危ないからと一度喫茶店へ行き仁へ報告した後、ワンルームへと戻って行った。


 そして迎える、運命の12月25日――

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