36. まさかの事態


 ダダダダ……!


 「こら! 廊下は走らないでください!」


 「すまない、急ぎなんだ」


 病室の位置はわかっている仁と敦司が先頭を走り、美月が付いて行く。総合病院なのでそれなりに広いが、ダンジョンなどを探索することもある仁に隙など無いのだ。


 「アサギ!」


 引き戸の扉を勢いよく開け放つとそこには――



 「う、うう……」


 「!? アサギ!」


 苦しみ呻くアサギの姿があった。ベッドの横には先ほど呼んだ礼二と、蒼冶が難しい顔をして立っていた。ただならぬ気配を感じ取り、仁が慌てて駆け寄る。


 「お、おい、しっかりしろ!」


 「あ、ああ……仁……あ、それに美月ちゃんも……。良かった、助け出せたのね……うう……」


 「そうですよ! アサギさん、しっかりしてください!」


 「み、美月ちゃん、私……もう……ダメ……」


 「!?」


 美月が泣きながら叫び、これが最後かもしれないと、仁がそっとアサギの手を握り囁くように言う。


 「……何かして欲しいことは無いか?」


 「仁さん……」


 恐らく美月や敦司が今まで見た中で一番優しい声色だった。仁は覚悟を決めたのだと、ふたりは様子を見守ることにした。すると、礼二が恐る恐る声をかけてくる。


 「じ、仁君? あのな――」


 「すまない、礼二。これは俺とこいつの問題なんだ、少しだけ静かにしててくれ。……どうだアサギ?」


 「あ、うん、あのね……」


 「ああ」


 すると今度は蒼冶が、


 「アサギさんは――」


 と、何かを言いかけるも、


 「うるさいな! 黙っていろと言っているだろ!」


 「う……わ、わかった……」


 これも初めてじゃないかと思うほど仁が激高して蒼冶に怒鳴りつけると、蒼冶はすごすごと後ずさる。


 「……これでいい。ほら、何かないか?」


 「う、ん……ありがと……あのね、私……」


 「(これは告白ですかね……)」


 「(だとしたら悲しすぎるだろ……。でも、そうかもしれねぇな……)」


 そして、アサギは弱々しい笑顔と共に、呟いた。


 「……お腹すいた……」


 「そうか、腹が減ったか! 今すぐご飯を! ……なに?」


 「だから……お腹空いたの……ディメンジョン・リターンを使ったことって無かったんだけど、ここに運ばれるまでは疲労感が凄かったんだけど、しばらく寝ていたら今度は猛烈にお腹が空き始めたの……。ああ、もうダメ……お腹と背中がくっつくわ……」


 そう言い放ち、にぎにぎと仁の手を揉みながら何とも言えない顔で声をあげるアサギに、仁、美月、敦司はポカーンとした顔でアサギを見る。やがて、仁の身体がぷるぷると震え出した。


 「じ、仁さん、今回はその、許してやれよ……」


 「そ、そうですよ! 部屋が燃えなかったのはアサギさんのおかげですから今回は!」


 『今回は』をなぜか強調するふたりがそう言った直後、


 「くくく……ははは! あはははは!」


 仁が声を出して笑い始めた。


 「お、おお……仁君が……」


 「わ、笑ってんぞ……!? ど、どうした仁さん! ついに気がふれたか!?」


 ここまで悲壮感を出しておいて、まさかただの空腹だとは敦司も思わずついそんなことを言ってしまう。だが、仁はすぐにアサギにガバッと抱きついた。


 「良かった。その程度で済んで本当に良かった……!」


 「ひゃあん!? 仁が大胆!? ……って泣いているの?」


 「泣いてなどいない……」


 「……ふふ、そうね。仁は強い勇者だもんね。う、うええ……」


 そう言ってアサギも抱き返し、ふたりして泣いた。美月も泣き笑いでうんうんと頷き、敦司たちに目くばせをしてそっと病室から出て行った。


 「……さて、と。ここはおじいちゃんと五条さんを使わない手は無いですね! 先輩、手伝ってください!」


 「お?」


 そう言って美月はにこっと敦司に笑いかけた。


 そして――



 ◆ ◇ ◆

 


 「うめぇ!? このピザ本格的な石窯で作ったやつだろ!?」


 「そうそう。僕の行きつけのイタリアンなお店のやつさ」


 「金持ちは違うなぁ」



 「な、なんで儂が……」


 「いいじゃないたまには。どうせお仕事は無かったんでしょうおじいちゃん?」


 「う、うむ。それはそうだが……どうせなら酒を……」


 「お酒は病院だからダメです! ジュースをどうぞ」


 敦司と、信也。美月と重道が大量の料理の前でそんな話をして盛り上がっていた。


 美月は重道と五条に相談し、病室ではない部屋を借りて、小さなクリスマスパーティを始めていたのだ。帰ると言っていた重道は美月に引き留められて渋々部屋に居残った。そこへ蒼冶が重道へ声をかける。


 「会長」


 「蒼冶か。お前は色々嗅ぎまわっていたりしていたようだな? まあ、美月の周囲を警護していてくれたようじゃから不問にしてやる」


 「では美月ちゃんのことは……?」


 無理やり連れ去ろうとした計画も知っている蒼冶は説明なく尋ねると、わかっているとばかりに手を上げて目を逸らしてから口を開く重道。


 「……この通り、負けたわい。美月のやつ、父親に似て頑固でな。好きにさせることにしたわ」


 「ふふ、頑固なのは世代を通して、ですよ。霧人さんに似ていますが、頑固なのはあなたもそうではありませんか」


 すると重道は目を大きく見開いて蒼冶を見た後に笑い始めた。


 「わぁーっはっはっは! そうか! そうかもしれんな! くっく……なあ、蒼冶よ、ちょっと耳を貸せ――」


 「ええ!? 本気ですか!?」


 そう蒼冶が叫んだのを、ピザを口にしながら敦司がびっくりして声を出した。


 「見た目に寄らず、声がでけぇな……。つか、あいつらなんで俺を見てるんだよ……」


 「先輩、お疲れ様! 助けに来てくれてありがとうございました。とっても嬉しかったです!」


 「お、おう。俺は自分の意思を無視してくるやつぁ許せなくてな。でも、お前の爺さんは物分かりが良さそうじゃねぇか。ちっと我儘だがな」


 敦司がポンと、美月の頭に手を乗せてそう言うと、くすぐったそうに顔を緩めて美月が返す。


 「そうですね。なんだかんだ言いながら私を心配してくれていたみたいでした。……お互い、余計なすれ違いがあったってことです。誤解が解けたのも、仁さんと先輩のおかげです♪」


 「俺は何もしてねぇよ」


 「えへへ、そんなことありませんよ! ピザもらいました!」


 「あ!? 俺の食いかけだぞ!」


 と、じゃれ合っているふたりを見ながらアサギが笑顔でチキンを頬張りながらうんうんと頷く。


 「良かったわね、美月ちゃん! ありがと、仁。助けに行ってくれて!」


 「ミツキは俺達の恩人だからな、当然だろう?」


 「それもそうね! ……でも、ごめんね」


 むしゃりとチキンを千切り、咀嚼しながら俯くアサギに、仁は首を傾げる。


 「? なんのことだ?」


 「……元の世界のことよ。今の私は魔力を完全に使い切ってガス欠状態なの。帰るための手段を探すのがまた先延ばしになっちゃったから……」


 「はあ……」


 仁のため息にアサギはびくっと身体をこわばらせる。呆れられたか怒られるか。この後のことを考えて目を瞑ると、不意に仁がアサギの頭に手を置いた。


 「……気にするな。お前のおかげで、部屋も大丈夫だったし、ミツキも助かった。礼を言うことはあっても攻めることはないだろう。それより、部屋で言っていた話は本当、なのか?」


 「……うん。仁のお兄さんは別の国へ逃がしたけど、国王は私を諦めていなかった。仁という勇者は居なくなったけど、私という抑止力も無くなったからあの国王は他国へ進行するかもしれないわね」


 もう知る由はないのだけど、と付け加えて口を閉じるアサギはホールケーキにかぶりついた。だが、表情は芳しくない。


 「……まあ、いいさ。兄さんが無事なら。それに、国王がそのような人物なら戻る必要もない、か。……なあ、アサギよ」


 「ん?」


 「俺とお前。異世界から来た人間は俺達ふたりだけ。それも勇者と魔王という存在だ。だけど、この世界はそんなことは関係なく過ぎていく」


 仁がアサギの目を見て真面目に呟き、アサギは首を傾げる。


 「どうしたの急に……? 熱でもあるの?」


 「……俺達はたったふたりの異世界人だということだ。そしてさっきの話で元の世界に戻る意味ももう失った。お前は元の世界に戻りたくない。俺もそうなった。だから、俺と一緒にこの世界で暮らして行かないか? 魔力は便利だから回復はするけど――」


 と、鼻の頭を掻いて顔を赤くする仁に、話を頭の中で繰り返し、すぐに泣き笑いの顔をつくり、


 「うん!」


 と、返事をした。


 

 その後、アサギは子供のころ迷子だった自分を助けてくれたのが仁だということを告白し、仁もそれを思い出したと笑う。結局、国王という同じ人間に騙された自分が馬鹿だったのだと、冷たくしていたことを謝り、アサギはそれを許した。


 「これ……」


 「……」


 ワンルームへ戻ると、仁はあの時敦司と行ったアクセサリーショップでこっそり買った指輪をアサギに渡す。ぬいぐるみの方が喜ばれたことを悔しく思いながら、ドタバタしたクリスマスは一組のカップルを作って終わりを告げた。


 


 ――かくして、異世界に飛ばされた勇者と魔王はお互いの立場の誤解が解け、幼き日の想いを成就することとなったのであった。

 

 悪だと言わしめた国王が実は悪だった。恐らく一番怖いのは、種族や肩書きではなく、人の心なのだろうと隣で笑う魔王を見て、勇者は思うのだった――




 そして月日は流れ――

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