17.杭

「特殊な生い立ちという言葉で、我々一族を語るのか? お前は赤ヶ原の本質を理解できていない。うみなり様がどういう存在かわかっていない。赤ヶ原の一族の役割をわかっていない」


 流の真っ赤な双眸が、凍えるような冷たさで京介を射抜いた。

 ただの無表情だ。軽蔑の色さえない無関心。まだ蔑まれた方がマシだ。よりにもよってそんな目を向けてくれるな!


「うみなり様は外から来た機構。そこにあるだけで、生態系全てを塗り替える生命の根源。母なる海。世界のルールを覆すヴェール」

負けるな。呑まれるな。落ち着け、俺。

 京介は拳を握りしめる。

「お前何言ってるかわかんねぇんだよ。うみなり様って結局何なんだ!」

 流は、京介を閉じ込める真っ赤な壁に手のひらを添える。小さな手だ。レザーの手袋とコートの袖の隙間から覗く白い手首は、少しでも力を加えると折れてしまいそうなほど頼りない。

 流の無表情の中に、やんわりと笑みが滲む。

「あれはね、世界を変える力を持っているの」

 彼/彼女の双眸の奥にある何かが、京介の心臓を狙った。怖い。ただ見られているだけなのに、どうしてこんなに怖いんだろう。

「概念、つまり、物事の意味合いを自由に変えることができる」

 少しだけ、後退る。背中に冷たい壁が触れる。


「ねぇ、京介。どうして人間が生きているか知ってる?」

 喉元に片方の手を当て、ぐっと力を込める。声が出ないんだ。恐怖がリンゴのように喉を詰まらせるんだ。

「それは人それぞれだろ。一概に言えることじゃない」

 首を絞め、声を押し出す。

「そうね。でも、うみなり様はそれを変えられる」


「うみなり様を愛するために、人間が生きていることにできる」


 京介は、また首を絞めた。正確には、勝手に力がこもった。


「赤ヶ原の一族があれに信仰を捧げるのは、生きている意味をそう変えられたからよ」


 息が苦しい。窒息して死にそうだ。もう怖いとか、そういうレベルの話じゃない。怖がったところで何の意味もない。


「あれは再臨を果たすと同時に、世界を作り替えるわ。世界はあれのために回るのよ。あれのためだけにね。あれは自分のためだけに、この星の全てを消費する。それがうみなり様の正体」


 ゆっくりと、首を絞める手のひらから力を抜く。

「…お前はそれを知ってても、信仰を手放さないのか?」

 そうよ。流は柔らかく微笑んだ。

「たった一瞬で全てを覆せる巨大な存在を、信じないわけがないじゃない」


「あれは我々を選んだわ。俺たちを愛したの。だから、俺はそれに報いることにした」


 京介は首を振る。

「それのせいでみんなひどい目に遭ってる。何が愛だよ。何が神様だ。そんなのただの侵略だ! 神様を名乗るなら、人を守ってみろよ。笑顔にさせてみろよ。人にとって都合のいい存在であれよ。どうしてこんな…」 


 流の瞳がギラリと光るのを、京介は見逃さなかった。悪手を打ったな。直感でそれを理解する。


「…赤ヶ原の人間はうみなり様の亡骸をその身に宿し、子孫へと繋ぎ、神の質量を増やす者。信仰によってうみなり様に神格を捧げる者。異なる意味を授かった者。うみなり様を蘇らせる者」


「我々は、お前の言う侵略に加担する存在だ」


「それを、お前は友達と呼ぶのか?」


 畳みかけるように、つながりを嘲るように、流は目を細め、クスクスと嗤う。外見の美しさというものはこうも強固なものなのか。他人をあざ笑い、踏みにじるような表情でさえも、綺麗だと感じる。


 あぁ、なるほどな


 何かが噛み合ったような安堵を覚える。内側からこみ上げる全能感。お前はもう理解できる。手に取るように全部がわかった。


ハハハハハ

 今度は京介が笑った。高らかに、空へ挑むように、襲い来る津波を吹き飛ばすように。

流、随分とわかりやすくなったなぁ


「あぁ、呼ぶさ。蒼ちゃんも、田中さんも、2人とも俺のことを守ってくれたし、こんな俺とも仲良くしてくれる。蒼ちゃんは俺に笑顔を見せてくれるし、田中さんは俺の作ったメシをうまいって言ってくれた。俺は2人と一緒にいて楽しいんだ。2人にも、俺と一緒にいて楽しいって思ってほしい。確かに蒼ちゃんの正体はわからない。田中さんに至っては昨日会ったばっかりだ。それでも、俺はずっとみんなと友達でいたいんだよ!」


 眉間に力がこもる。頭に血がのぼって、おかしくなりそうだ。

「お前、嫉妬してるんだろ? ずっと一緒にいた田中さんが自分のとこから離れて、俺みたいなぽっと出のヤツと友達になってるのが気に入らないんだろ。自分たちはうまくいかなかったのに、よりにもよって赤ヶ原の人間ですらない俺が、蒼ちゃんや田中さんと一緒にいるのが気に入らないんだろ」


「なんかおかしいと思ったんだ。わざわざ目の前で、蒼ちゃんや田中さんを拒絶させようとするなんて」


「自分は神様に選ばれた。そして、誰よりも神様に尽くしているのに、みんなが離れていった。1人だけになってしまった。ここまで頑張ってきたお前のそばにはもう神様しか残ってない。それが腹立たしいんだ。なぁ、そうだろ。流」


 流の表情が凍り付く。図星を突かれて戸惑った、というわけではなさそうだ。これはきっと失望。がっかりした、とでも言いたげな顔だ。


「神様が手元に残ればそれでいいじゃないの。それ以上何が欲しいって言うの?」


 流は視線をそらした。

「もういいわ。こんな価値観の話なんてどうでもいい。どうせ決着はつかないもの。もう死んで。キミは儀式の邪魔よ」


 流が指をはじく。壁のすぐ向こう側に赤い球体が浮かんだ。あぁ、死んだな。そう確信する。京介の確信と違わず、球体はみるみるうちに大きな剣のように姿を変える。随分と気合いが入っているようだ。

さっきまでのただの細い針だったのに。やっぱ怒ってんじゃん


 田中に視線を送り、逃げろと口を動かす。その傍らにいる蒼は意識を保つのがやっと、というような様子だ。現状を把握できているのかさえ、ここからではわからない。


 結局、2人には最後まで守られてばかりだった。時間稼ぎをしてやるくらいしかできなかった。


 俺にできる精一杯。はやくどこかに逃げてくれ。

 しかし、京介の願いに反し、田中はその場を離れるようなことはしなかった。

「京介、これを!」

 田中が何かを京介に投げつけた。ガシャン、と大きな音を立てて壁が崩れる。田中が投げつけた何かが壁を割ったのか?

 どうして逃げてくれないんだ、という焦りを抱くよりも前に、京介目掛けて飛び込んできたそれを右手で受け止める。硬く、冷たい感触。手になじむような不思議な感じ。


これ…、杭?


 直感でそう理解する。手元に収まった杭が赤くきらめいた。京介が手元を確認するよりも早く、流が流体の剣を京介目掛けて放つ。京介はそれに合わせて、剣に向かって駆け出した。

「…!」

 杭を振るい、剣を打ち砕く。勢いをそのままに流目掛けて杭を振りかぶった。

「杭…!」

 剣の破片をくぐり抜けたその先で、眩い美貌が驚愕の色に染まる。流は身を守ろうと反射的に右腕で自らを庇った。

「ごめん!」

 確かな手ごたえと共に、目の前が真っ赤になる。ペンキを壁にぶちまけた時のように、真っ赤な液体がはじけ飛ぶ。京介の振るった杭は流の腕を切り裂き、断っていた。


 流のからだから離れた右腕が宙を舞い、アスファルトの上にたたきつけられる。その衝撃で形を保てなくなったのか、右腕は地面にたたきつけられたトマトのようにはじけ、ものの数秒でただの血でできた水たまりへと姿を変えた。


 流は腕を落とされたとみるや否や、即座に後ろへ下がり、京介から距離をとった。

「何か変だと思っていたけど、杭を持ち込んでいたのね。それじゃこちらの分が悪いわ」

 片腕を奪われたことは気にも留めず、極めて落ち着いた様子で、流は感心したように微笑んだ。痛くないのか?

 分が悪い、と述べているが、どう見たって分が悪そうには見えない。涼し気な眼差しに陶器のような白い肌。ピンと張られた背筋。不利を悟ったものがこうも堂々としていられるだろうか。


 京介は杭を構えなおす。人と喧嘩をしたことがないわけではないが、流石に武器を用いて戦うというのは初めてだ。一瞬の油断で窮地に追い込まれるかもしれない。

 しかし、身構える京介をよそに、流は退屈そうにそっぽを向いた。


「もういい。今日は帰るわ。いや、逃げさせてもらう、と言った方がいいかしら。このままじゃ左腕もなくしちゃいそうだもの。また今度会いましょう」

 コートの裾を翻し、優雅さを損なうことなく一歩を踏み出す。しかし、彼/彼女の靴底はアスファルトをたたくことなく、ずるりと液体へと変化を遂げる。変化は瞬く間に全身を駆け巡り、全身を液体へと変貌させたそれは地面に吸い込まれていった。

 あの怪物と同じだ。あれは突然地面から湧き出した。なるほど、流は流体化することで移動をしていたのか。


 それが消えた後にはなんの痕跡も残らなかった。残されたのは自分と、少なくなってしまった田中と、傷ついた後輩だけ。

 流が完全に立ち去ったことを確認するや否や、京介は手元の杭へ視線をやった。

 大きな石をそのまま削って作ったような短刀だ。細かい装飾があしらわれており、美術館に飾られていても遜色ないだろう。血管をまとうように、それ全体に真っ赤な線が走っており、拍動するように光っている。刃物としても優秀そうで、刃の部分に指を当てただけで全部を持っていかれてしまいそうだ。


 世界そのものから浮いているような、どこか現実離れした質感。息を吐く。刃物が液体を切るなんて、ありえない。もうワケが分からない。


 でも今は戸惑っている暇はない。京介は踵を返し、蒼の元へ駆け出した。

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