20.気になる人
俺にとって、先輩はすごく都合の良い人だった。都合が良いっていうと悪い意味に感じる人もいるかもしれないけど、本当に都合が良いんだから仕方がない。
先輩は俺のことを本気で気にかけてくれる。神様とか、そういうのを抜きにして、戸木蒼という人間そのものを好いてくれている。
俺はそこそこ偏屈な性格をしている。いや、嘘だ。とても偏屈な性格をしている。愛想が良くないんだ。いわゆる、かわいくないというヤツだ。何を言われてもぶっきらぼうに返事をするし、すぐ嫌そうな顔をする。
自分が何者かはわかっている。赤ヶ原の末裔。うみなり様の御子。神様を蘇らせるための必需品。生贄とはちょっと違う。俺自身が神様に命を捧げるのではなく、俺自身が神様に生まれ変わる。俺の肉体はうみなり様の身体になり、俺の精神はうみなり様の心になる。結局俺自身はなくなってしまうから、その点は生贄だと言っても大差はないのかもしれないが。
赤ヶ原の人たちは御子が生まれてくることを心待ちにしていたそうだ。それもうん百年も。御子の誕生は神の再臨のために欠かせない一手なのだから、わざわざ言葉にしなくてもそんなことはわかっている。だが、彼らには悪いが、こっちはそんなこと願い下げだ。一手になるつもりはない。
ずっと苦痛だったんだ。祖母や母から聞かされるうみなり様のお話が。お前は神様になる子。うまれてきてくれてありがとう。ずっとそう言われて育ってきた。それが嘘でないことはわかっていた。自分の血液として流れるうみなりの亡骸に、気が付かないほど鈍くはない。
どうせいつか自分はなくなる。その確信は俺に諦観をもたらした。
どうせいなくなるのに、どうして良い人生を歩まなくてはいけないのか。どうして他人に愛嬌を振りまいて、好かれるように振る舞わなくてはならないのか。
全部がどうでも良いと思った結果、とりつくろうことをはなからやめてしまった。
結果、感情がすぐ顔に出てしまう偏屈な人間が誕生してしまったわけだ。結局のところ、嫌な顔をしてばかりいるが。
そういう愛想の悪い人間である俺を相手にしても、先輩はいつも親切で、ずっと俺を気にかけていてくれた。
先輩と出会ったのは高2の5月ごろだ。何だか家に帰りたくなくて、くすぶっていたあの日。
その日、たまたま俺が立ち寄ったのは3階の空き教室だ。元々は3年生の教室だったらしいが、いつからか生徒数の減少を受けて物置部屋となってしまった。
その時は意味もなく、窓際から外を眺めていた。
夕焼けに照らされて、遠くの海が茜色に染まり、キラキラと輝いている。校庭では野球部やサッカー部の生徒たちが汗水垂らして部活に勤しんでいた。
1枚の薄い窓を挟んで、様々な音が聞こえてくる。
バッドに玉が当たる音や、誰かを応援しているらしい女子生徒の歓声。
近くないけど、遠くもない距離から聞こえてくる喧騒。
なんだか落ち着く気がする。
教室内には壊れたロッカーが乱雑に並べられていて、脚のガタついた机や椅子が適当に放置されている。掃除が小まめにされているわけもないから、ややほこりっぽい。
校舎の奥まった場所に位置するという関係上、暇を持て余した生徒たちの格好の溜り場になることはできなかったようだ。どちらかというと、屋上や校舎裏の方が人気らしい。
が、先輩は流行を積極的におさえるタイプではなかった。先輩はその空き教室の常連だったらしく、その日はたまたま俺と鉢合わせた。
「あれ、キミ2年の戸木くんじゃん? なにしてんの、こんなところで」
「…いえ、なんでもないです」
「ふーん、あっ、俺は3年の京介っていうんだ。苗字は立花。よろしくな」
「あぁ、はい」
彼の第一印象は馴れ馴れしいな、だった。あと、派手なシャツ着ているな。
にこやかに、初対面である蒼に話しかける京介は、学ランの下に柄物のTシャツを着ていた。
別に、似合っていないわけではない。髪色はとても明るい金髪で、しかもかなり長い。頭の後ろでひとまとめにしているからわかりにくいが、鎖骨のあたりまではいくんじゃないだろうか。
見るからにやんちゃそうだ。
「俺はちょっと休憩しに来たんだ。家に帰ってもよかったけど、なんか気分じゃなくて」
窓辺でぼんやりと校庭を眺めていた俺のすぐそば、脚の錆びた机に先輩は腰を落ち着ける。
へらへらと笑いながら、ポケットに手を入れてスマートフォンを取り出し、ゲームアプリを起動した。
この人、ここに居座る気だ。俺は露骨に顔をしかめた。
「家がイヤなわけじゃないんだけど、ほら、たまには落ち着いたとこでボーっとしたいじゃん」
さっさと教室から立ち去ってやろうとするが、先輩は会話を止めない。
一体何がそんなに彼を駆り立てるのだろう。逆に気になってしまう。
「戸木くんもボーっとしたかった系?」
「あぁ、はい」
「ちょっと意外だな。戸木くんっていっつも学年トップの人なんでしょ? 下駄箱のところに貼ってある、なんだっけ、あの、アレだ。テストの順位ランキングでよく名前見るよ。学年トップって言ったらハチャメチャに頭いいイメージしかないから、ずっと勉強してるのかなって思っててさ」
俺は先輩の話し方にやや違和感を覚えた。少し早口なのだ。そして何故だか言い訳がましい。何を言おうか思いつくよりも先に、口が動いてしまっているような焦った感じ。
不思議に思って視線を先輩の方へと向ける。先輩は手元のスマートフォンを覗き込んでゲームを操作しているが、その手際は非常に悪い。どこか適当なところをタップしては[戻る]をぐるぐると繰り返している。もはや手際が悪いというよりも、ゲームをプレイすることすらできていない。
大丈夫か、この人は
ちらりと、彼の表情を窺う。
唇を尖らせ、どこかソワソワとした様子の先輩の態度に、俺は納得した。
あぁ、この人、気まずいんだな。
誰もいないと思い込んで立ち入った教室に、よりにもよって他学年の生徒がいた。そっと立ち去っても良かったのに、教室の入り口で踵を返すことに恥ずかしさでも覚えたのか、彼はそうしなかった。
結果、知らない下級生と教室でふたりきり。知らんぷりでいるわけにもいかず、とりあえず話しかけてみたが返事が芳しくないので必死に話題を探している。といったところだろう。
この人は不器用というか、かなり気にするタイプの性格に違いない。派手な見た目をしているから、校舎裏で悪友とつるんでタバコでも吸ってそうだとばかり思っていたが、実際のところそうではないのだろう。おもしろいひとだ。ボーっとしたくて空き教室に油を売りに来たのに、下級生に死ぬほど気を使って、気の毒な思いをしている。
かわいそうだな、と思いながら、俺は先輩の災難にくすりと笑みをこぼした。
俺は先輩に興味を持った。話したいと思うくらいの興味を。
「ここ偏差値40ですよ? 授業さえまともに受けてたら、お山の大将するなんて簡単ですよ」
「へ? あ、あぁ、確かに…」
先輩は面食らったように口ごもる。無愛想なヤツが急に半笑いで返事をしたのだからびっくりしたんだろう。
「偏差値40だわ。いや、忘れてたね。ここ底辺だわ」
「授業なんて誰もまともに受けてない」
「授業中にトランプするし、授業の時に使うモニターのコンセントでスマホ充電してるヤツがいる」
「廊下をチャリが爆走」
「は? マジ? 俺それ知らないんだけど。今年の2年治安メッチャ悪いじゃん」
先輩が話に食いついた。ゲラゲラと笑う彼の手元に握られたスマートフォンは、その画面を暗転させている。
「これマジなんですよね。2年の教室が1階にあるから、そのまま入ってきちゃったらしいんです」
「外からそのままチャリで来ちゃうとかヤバいね。それ見たかったなぁ」
「寝坊したらしくって慌てて登校してたらつい忘れてた、って言ってましたね。いや、ソイツが学校に来たのって2限目の授業始まってからなんで、慌てる意味ないですけど」
「余裕で遅刻してんじゃん。ウッソ、おもしろすぎ。てか授業中にチャリ爆してるじゃん」
「もう授業どころじゃなかったですよ。先生はすっ飛んでいくし生徒はヤジ馬するしで」
その日の夕方、俺たちはくだらない話に花を咲かせ、他人から知り合いになった。
興味本位で会話を始めたが、先輩の反応は実に心地良かった。1を出せば、しっかり1で返してくる。とても話しやすい。
俺のような偏屈ですらそう思った。
いい人だな。心底そう思った。京介という人について、俺はなにも知らないが、そういう確信めいたものを抱いた。
放課後の空き教室。夕日と海が見える特等席。それは特別な思い出だった。
この人のことが気になる。もっと話していたい。
俺は、初めてそんなことを考えた。
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