19.一緒にただいまと言ってくれ

 やっとのことでアパートへ帰宅した京介は、眠ったまま微動だにしない蒼をリビングのソファーにそっと寝かせる。

「よいしょっと」

 彼は死んだように眠っている。ちょっと揺すっただけでは起きてくれそうにない。だって、寝息すら立てていないんだもの。


「ちょっとかけるもの持って来るね」

「わかった」

 田中に声をかけてリビングを後にし、蒼の部屋のドアに手をかける。

そういえば、蒼ちゃんの部屋ってあんまり入ったことないな。

 ゆっくりとドアノブを回し、電気の付いていない真っ暗な室内へと足を踏み入れる。

 6畳の個室。ドアの隣にあるスイッチに触れ、明かりを付ける。

「…」

 シンプルな部屋だった。袖机と、ベッド、本棚があるだけのシンプルな部屋。

 机には蒼がいつも使っているノートパソコンや大学の教科書が乱雑に置かれている。隣に置いてある本棚は半分ほどしか使われておらず、ほとんどが隙間だ。本棚の中身も教科書ばかりで、漫画や小説などは見当たらない。


必要なものしか置いてないな。


 思えば、蒼はあまりこの部屋を使っていなかった気がする。何かをするときはいつもリビングにいた。寝るときくらいしか、自分の部屋を使っていなかった。


 ふぅ。ため息をつく。


 部屋というものは、持ち主の性格とか、趣味が色濃く表れる場所のはずだ。でも、この部屋からは何も読み取れない。なんだかすっごく空っぽだ。


 ベッドから掛布団を取って部屋を後にした。もちろん、電気はちゃんと消した。


 リビングへ戻り、蒼に布団をかける。寒くなければいいけど。

「田中さん、コーヒーでも飲む?」

 田中はソファーの背もたれの上で、プルプルとからだを震わせる。

「いや、今はいい。その気持ちだけで十分だ」

「そっか。欲しくなったら言ってね」


 京介はカーペットに腰を下ろした。ベルトに差しっぱなしになっていた杭を抜き、テーブルの上にそっと置く。照明の光を受けてギラギラと輝くその刃に、息が詰まるような気がしてくる。流の片腕を切り飛ばしてしまったことを嫌でも思い出してしまう。


 正直なところ、京介は流に対して否定的な感情を抱いていた。こんなに人のことを嫌いになったのは初めてだ。だが、嫌いだからと言って積極的に相手を傷つけていいわけではない。

 少なくとも、京介の良心はそう言っている。

 しかし、ついカッとなって流に殴りかかってしまったのは事実だし、刃物を使って取り返しのつかない傷を与えたことに、ざまあみろと思う気持ちが全くないとも言いきれない。

 板挟みだ。自分の価値観と、実際の気持ちとが噛み合わない。


 あれは蒼を傷つけた。が、自分もあれを傷つけたのだ。

 自分たちの命を守るためにやったと言えば聞こえはいいが、結局のところ、流だって自分の神様のためにこういうことをしているわけで、根本的な部分ではやっていることは同じだ。それが堪らなく嫌だった。


 もはや、あれとの折り合いのつけ方がわからない。このもやもやをどうすればいいのか、わからない。


 京介は杭から視線を外す。ソファーの上に佇む流体の怪物が、沈痛な面持ちをしているのが目に入った。表情などないはずなのに、気の毒になるくらい悲しそうなまなざしをしている。

「なぁ、京介。お前に全てを伝えよう」

 ぽつぽつと、彼は話し始める。

「わたしがわかる全てを。お前は知っておくべきだ」

 彼の視線は蒼へと注がれていた。伏せられた瞳の奥底に、罪悪感や、哀れみが透けて見える気がした。

「…うん。わかった」


 田中は視線を上げないまま語り出した。




蒼の正体はわかっているな? うみなり様の御子。彼は流体の神そのものへと変容する存在。


流が始めた儀式というのは、御子を流体化させるための…、御子をうみなり様へと変えるための過程だ。わたしが知っている儀式とはずいぶん形式が違うがな。あの壁のことは覚えているな?

我々は壁にばかり目を向けていたが、あれは大して重要ではない。大事なのは表面の模様の方だ。壁自体は模様を刻むための板でしかない。

 ——あの壁は、町の出口を塞ぐためのものじゃないってこと?

その認識であっている。あの模様はソースコードのようなもの。そうだな、魔法陣と言ったらわかりやすいか? ゲームとかでよく見るヤツだ。


それが今、蒼の身体に悪さをしていて、強制的に彼をうみなり様にしようとしている。


あの模様は、本来であれば神を復活させるための手助けに過ぎないものだ。くさびと言ってな、流体の神の存在を補強するためのものだ。


どんな力を持っていたとしても、うみなりは所詮形を持たない生命体。支えがなければ流れてしまうのがオチだ。


大量の血を流し込むことで楔は起動し、御子の流体化を助け、そして神を蘇らせる。再臨した神は楔を取り込んで、存在をこの星へと固定する。この過程のことを儀式と呼ぶんだ。何も強制的に御子を流体化させるためのものではない。


だが、流がかなり手を加えているせいで、手助け以上の力が込められてしまっている。あの壁ができた時点で、蒼は相当な干渉を受けていたはずだ。

だが初めの段階では干渉は効かなかった。

蒼はエーテルをロックしていたからな。楔による干渉は、電源の入っていないスマートフォンにメールを送ったようなものだ。


電源を入れないとメールが見られない。ロックを解除しないと干渉が効かない。さっき、流がわたしたちを襲ったのは、蒼に力を使わせることでエーテルのロックを解除させるためだ。

そのたくらみはまんまと成功。蒼は楔からの干渉を受けて流体化が始まった。


外側はまだ大丈夫だが、内側はほとんど流体化してしまっているはずだ。


 ——身体の中が神様になっちゃったってこと?

あぁ、そういうことだ。ギリギリの段階で蒼を眠らせ、辛うじて流体化を食い止めてはいるが、こんなのはただの時間稼ぎでしかない。

 ——完全に神様になっちゃったらさ、蒼ちゃんはどうなるんだろう。

…蒼という存在がそのままうみなりに変わるんだ。蒼そのものは、残念だが、無くなってしまうに違いない。それは死んでしまうことよりもつらいことだ。命を落とす方がマシだろう。

 ——そんなの、そんなのひどすぎる! あんまりだ。蒼ちゃん、まさかこのこと知ってて…


だろうな。蒼はずっと、この事実と一緒に生きてきた。さぞ怖かっただろう。


蒼は神になりたいとは思っていないだろう。そう思っていれば、流と敵対する道を選ぶことなどしないだろうからな。

 ——俺だったら耐えられないよ。こんなの理不尽だ! こんなの、こんなのかわいそうじゃん。


…蒼を助けるには楔を停止させなければならない


 ——そのためには、その、流をどうにかしないとダメなんだよね

その通りだ。あれを討って楔の権限を奪い、停止させる。あれは疑似的にだが、身体のほとんどを流体化させることに成功している。物理的な干渉は無意味。だが杭があれば、あれを討つことは可能だ。

 ——田中さんは、この杭、ずっと持ってたの?

あぁ、そうだ。

これは推測だが、昔、杭を持ち出したわたしは、ここから遠く離れた場所に身を寄せていた。だが、楔が起動したことに気が付いて、流を止めようとしてこの町にやってきた。

わたしが記憶や人としてのからだを失ったのは、この町への侵入を試みたからだろう。壁を抜けるために杭を無理に使おうとした。だから、代償として全部を持っていかれてしまった。

 ——代償? 俺は杭を使ってもピンピンしてるけど…、これってそんなに危ないヤツだったんだ。

この杭はエーテルへの特攻持ちだ。わたしにはとてもじゃないが、触れるだけで精一杯だ。


…悪いな、京介。お前にはつらい役どころを押し付けることになってしまう。本当にすまない。だがもうお前しか頼れないんだ。杭を使えるお前にしか流は止められない。蒼を助けられない。もうわたしではどうにもできない。


 ——田中さんこそ、いいの?

どういうことだ?

 ——だって、流とは友達だったんでしょ?

…わからない。わたしとあれの間に何があったのか。何も思い出せない。

だが、構わないさ。アイツは悪いことをしたんだ。無関係な人間を巻き込んで、自分の望みを果たそうとした。

もし、わたしとあれが友達と呼び合えるほどの仲であったのなら、止めてやるというのが筋だろう。


なぁ、京介。


お前は蒼を友達だと言ったな。それはどうしてだ。どうしてそこまで、蒼のために自分を捧げられるんだ。


 ——俺さ、小さい頃から人と話すのが苦手でさ。いや、話すこと自体は全然できるんだけど、なんかすごい気を使っちゃってさぁ。ちょっと会話するだけですっごい疲れるんだよね。

気にするタイプって言えばいいのかな。お皿洗ってるときとか、お風呂入ってるときとか、寝入るまでの真っ暗なときとかに、どうしてあんなこと言っちゃったんだろう。とか、こう言えばよかったのにーってもんもん考えちゃう感じ。

 ただ毎日疲れるだけで、笑顔でいるのになんにも楽しくなかった。


 ——でも蒼ちゃんとはそうじゃなかったんだ。


 ——蒼ちゃんはさ、何言っても正解にしてくれるっていうか、とにかく全然気を使わなくても良かった。欲しい時に欲しい言葉をくれるし、俺も蒼ちゃんの欲しい時に欲しい言葉をあげられてるっていう手ごたえがあった。

蒼ちゃんと話すことだけは怖くなかったんだ。

話しててすごい楽しい相手だった。


 ——俺にとって蒼ちゃんは救いだったよ。一生つまんないまんま過ごすんだろうなって思ってた俺を助けてくれた。


 ——あんまり、うまく言えないけど、蒼ちゃんのためならなんだってしてやりたいっていうのが、俺の本音なんだと思う。


そうか。お前の言葉を聞けて良かった。わたしが代償として支払ったのは記憶ではなく、そういうきらめきだったのかもしれないな。

 ——どういうこと?

いいや、独り言だ。気にしないでくれ。さぁ、今日はひとまず休もう。お前も疲れただろう。まだ昼間だが、今日はここで切り上げだ。


明日、全ての決着をつけようか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る