6.土足で不法侵入か。やるじゃないか

 軽食を済ませて屋敷を目指す。例の怪物との遭遇に備えて、それなりに武装をしていこうということになり、京介はひとまずカッターナイフを選択する。もちろん、普通のカッターではなく、木材やプラスチック等の硬い素材を切るためのカッターだ。

 ただの人間相手ならまだしも、あのような怪物相手では、ないよりマシ程度にしかならないだろうが。

 蒼はあのバットを持っていきたいと言ったが、田中の「いざという時邪魔になるぞ」という説得によって渋々諦めていた。屋敷の探索を予定しているから、軽装である方が望ましいのだ。結局、バットではなくアウトドア用のポケットナイフを選択していた。去年の夏ごろに2人でキャンプに行くつもりで買ったものだが、予定そのものが流れてしまったために、買ってそのままの状態で食器棚の隅にしまっていた。まさかこんなことで持ち出すことになるとは思わなかった。


 なお、田中はそもそも武器を持って使う、ということに不向きであるため、武装はしていない。「いざという時は頼れないぞ」と息巻いては蒼に舌打ちをされていた。

 しかし、怪物と積極的に戦うことは可能な限り避け、逃げることを前提として行動をしたい京介にとって、田中は戦えない頼りない存在ではない。いざという時はみんな逃げるのだから、みんな頼りないに決まっている。

 ただ、いざという時はみんなを守れるように、それなりの心構えをしておかないとな。いくら逃げることが最善でも、友達を守ることを放棄したくはない。


 そこそこの武装を済ませ、上着を着こんで外へ踏み出す。動きやすさと防寒の両方を兼ね備えた服装というものは難しい。動きやすさはそこそこクリアできたものの、寒さはどうにもできなかった。


 白い息を吐きつつ、アパートから岬を目指して歩くが、その道のりは楽ではなかった。

 壁だ。壁が道を塞いでいたのだ。それも何か所も。何度も何度も通せんぼを食らった結果、岬にたどり着くのにかなりの時間を要してしまった。

 てっきり、あの壁は町からの脱出を阻止するための障害物だと思っていたが、もしかすると他に何か別の意味があるのかもしれない。そうじゃなきゃ、いろんなところにバラバラに設置されている意味がない。

 現時点では判断材料がまったくないからそこまでしかわからないが、壁の正体は探っていかなくてはならない重要な謎だ。ここを解き明かせば、この町からみんなで脱出することもできるかもしれない。


 住宅地から山道へ踏み込み、ヒイヒイ言いながら手入れのされていないゴツゴツした山道を抜ける。コンクリートジャングルに甘やかされて育った現代人にとってはややつらい道のりだ。帰りも同じ道を通らなければいけないのか。億劫だなぁ。


 数分ほど歩みを進め、開けた場所に到達する。潮風が勢いよくふきつけ、耳元でごうごうと音がする。ここが赤ヶ原岬だ。京介はあたりを見渡した。切り拓かれた陸地が海にせり出し、容赦なく叩き付ける波間とその境界線を争っている。

 これまでに通って来た人の手の加わっていない森とは対照的に、海を眼前に構えたその敷地一帯は綺麗に整地されていた。見通しの良くなった岬は小高い丘のようになっており、そのてっぺんには噂通りの大きな屋敷が建てられている。

「あれが例の廃墟か」

 田中はやや息を切らしながら屋敷を見つめる。悠然とした佇まいのその邸宅は西洋風の洋館で、どことなく威厳を感じさせる。廃墟と噂されていたものだから、ボロボロに朽ちた幽霊屋敷、というものを京介は想像していた。が、想像に反してそれは立派な邸宅であった。やや古びてはいるが、少し手を加えればそのまま住めるのではないだろか。

「ザ・廃墟って感じはしないよな」

 山道から屋敷までの道はレンガで歩きやすいように舗装がされており、手すりの付いた階段まで整備されている。京介は一歩一歩確かめるように階段を踏みしめ、屋敷を目指していく。よっぽどお金をかけて丁寧に作られたのだろうか、作られてからそこそこの年月が経っているはずだが、レンガの階段には目に見えて破損があるような部分は微塵も見当たらない。試しに手すりを軽く握って揺さぶってみたがびくともしなかった。

「20年前に建てられてそのまま、って話でしたっけ? 古っちいけど結構な豪邸じゃないですか。これを放置するなんて、持ち主はよっぽどお金持ちなんでしょうね」

 赤ヶ原岬の廃墟の話はよく噂で聞いていたが、この屋敷の所有者、ひいては、この土地の所有者のことは聞いたことがない。屋敷の外観や屋敷へと延びる階段に手入れが行き届いているような感じはしないから、所有者は今ここにはいないはずだ。蒼の言うように、こんなに立派な建物を放置だなんて、非常にもったいない話だ。


 無事に階段を上りきった京介は後ろを振り返る。丘の頂上からは海を一望することができた。天気が良い日であれば、青い空と青い海のコントラストを独り占めできる絶好のチャンスだったのかもしれないが、空には依然として分厚い灰色の雲がかかっている。

 日の光を奪われた海は味気なくくすんでしまっていた。おまけに容赦なく吹きつける冷たい潮風が京介の身を貫き、体温を奪っていく。

「玄関はわりと普通な感じですね」

 蒼の言葉を受けて京介は視線を海から屋敷の方へ移した。洋風の屋敷の玄関なだけあって、それっぽい装飾が施されている。馴染みのないデザインではあるが、蒼の言うとおり不審な点は見当たらない。

「チャイム押した方がいいかな?」

 玄関ドア周辺を見渡すがそれらしきものはない。

「いや、誰も住んでいないという話だったじゃないか。チャイムなど律儀に押したところで誰も出てこないだろう」

 半ば呆れた様子で田中が目を細めた。

「先輩って変なとこで気にするタイプですよね」

 田中に同意するように苦笑しながら、蒼は玄関のドアに手をかける。がちゃり、と鈍い音がする。

「なんだ、開くじゃん」

 拍子抜けしたように蒼が手に力を込めた。たてつけが悪くなっているのか、ギシギシときしむような音を立てながら、ゆっくりとドアが開いていく。

 物怖じする様子もなく、田中はドアの隙間からするりとスライム状のからだを滑り込ませた。家を出る直前まで「わたしは何の戦闘力もないザコだ! いざという時は何もできないぞ」と、声高々に豪語していたはずだが、率先して中に入ってくとはなかなかのチャレンジャーだ。

「ふむ、中は普通だな」

 田中に続いて蒼と京介も屋敷に入り込んだ。玄関口はやや広めで、京介と蒼が並んでも全く狭さを感じない。その先には真っすぐと廊下が続いており、最奥部には2階に上がるための階段がある。


 普通だ。何ら変わった様子は見受けられない。室内は目立って荒れ果てているというわけではないが、全体的にうっすらとほこりが積もっており、それなりの時を手入れされずに過ごしたらしいことが窺えた。

 廊下の右手側には扉が1つ、反対側には3つ並んでいる。

「調べないとダメだよねぇ」

 人気のない様子の薄暗い屋敷の内部を見渡しながら、京介は唇を尖らせた。勝手に人の家に上がり込むという無作法に躊躇いがあると言えば体裁は良いが、本音を言えばこの屋敷が怖かったのだ。だって何があるのかわからないし。

 だが尻込みしてはいられない。この屋敷くらいしか今はヒントがないのだから。

「まず右からでいい?」

「いいですよ」

「構わないぞ」


 京介は廊下へ足を踏み入れる。靴を脱ごうかやや迷ったが、なんの躊躇もなく土足で床を踏む蒼に倣ってそのままでいくことにした。ガラス片が落ちていたり、釘が飛び出している可能性があるから、素足で歩き回るというのもなかなか危ない話だろう。気は進まないが、靴を脱ぐべきではない。

「土足で人の家に踏み入るとは、不謹慎かもしれないが結構楽しいな。いや、わたしは靴を履いてはいないが」

 玄関口から廊下へと這いずる田中は、どこかワクワクするように語尾を踊らせる。

「ちょっとだけわかるかも。ちょっとだけだよ?」

 ちょっと、の部分を強調しつつ、京介は目を伏せた。まさか、土足で不法侵入することになるとは思ってもみなかった。ためらう気持ちが大きいが、田中の言うようにワクワクする感じも否めない。子どものころに憧れた探偵もののドラマを思い出してしまう。


 田中には目もくれず、蒼が右の扉を開く。

「リビングですかね」

 京介もそれに続く。

 扉をくぐった先にあったのは大きなリビングだ。庭に面した壁面には窓が設けてあり、海が一望できる。電気こそついていないものの、部屋の中が比較的暗くないのは窓から差し込む光によるものだろう。

 部屋を見渡す。薄っすら埃が積もっているが、部屋の状態は悪いものではない。高級そうなカーペットや革張りのソファー、ダイニングテーブルが配置されており、埃さえ掃除してしまえばそのまま住めるんじゃないかとさえ思う。だが少し殺風景だ。他に家具は見当たらない。

「寂しい感じがするね」

 京介は部屋の中心に歩みを寄せる。

「窓にカーテンがかかっていないな。ソファーが日焼けして色あせているぞ」

 ズルズルとフローリングを這いずりながら田中が窓際へ向かっていく。彼が歩いた後の床は埃が取り払われ、まっすぐと線が描かれていた。

「キッチンもあるみたいですけど、中は空っぽですね。食器や包丁なんかの調理器具は見当たりませんよ」

 キッチンを物色しているらしい蒼が無遠慮に戸を開け閉めしている。

 そっか、と返事を返しながら部屋の奥に視線をずらす。いや、ずらそうとしたところであることに気が付いた。

「これって子ども用じゃない?」

 京介のいる部屋の中央から、奥にあるキッチンへ視線を動かすと、自然とダイニングテーブルが目に入る。視線を移す過程で京介の視界に飛び込んできたのはテーブルの脇に備えられた3脚の椅子だ。そのうちの1つの座面の高さが、他の2つと比べると妙に高かった。座る部分が小さいことも踏まえると、おそらく子ども用なのではないだろうか。

「子どもがいる家だったのか」

 窓から外を眺めていた田中が、京介の足元にやってきた。テーブルを挟む形で成人用の椅子が2脚並べられており、片方の椅子の隣に寄り添うように、子供用の椅子が配置されている。

 キッチンから戻ってきた蒼が椅子の傍でしゃがみ込んだ。

「床に椅子を引きずった跡がない。建てられて以来そのままって話は間違いじゃないみたいですよ」

「あー、ホントだ。子ども用の椅子だったらもっとこう、ガリガリ引きずった跡がつくはずだよね」

 京介もしゃがみ込んで椅子のすぐ足元をじっと見つめる。

 蒼の言うとおりだ。椅子の足にカバーがかけられているわけではないから、普通なら椅子の脚との摩擦で床にへこみや削れたような跡がついているはずだ。が、フローリングは綺麗なままだ。

「家具は置いてあるから、家建ててこれから引っ越してくるつもりだった、みたいな感じがするね」

 京介と蒼は立ち上がり、視線を合わせた。

「まぁこれ以上のことは何にもわかんないな」

「ここだけ見れば普通の家っぽいですもんね」

「じゃあ他の部屋に移ろっか。ここはもう大丈夫でしょ」

 早々にリビングから見切りをつけ、廊下に出る。次は反対側の部屋を探索しよう。

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