5.お菓子よりも飯を食え

「で、アンタはどこまで覚えてる?」

 食器棚の下にある収納スペースを探っていた蒼が、藪から棒に田中に問いかける。田中は先ほどまで蒼が座っていたソファーの真ん中を陣取り、どことなく柔らかな表情を浮かべている。もちろん、それはブヨブヨとした液体の中に眼球がそれっぽく配置されているだけであり、厳密に言えば目の錯覚によって顔が見えていると表現したほうが正しいのだろうが。

「ふむ、気が付いたらこの町にいて、ふらふらしていたら京介に出会った。それ以前のことは思い出せない」

 ふーん、と蒼が素っ気ない返事をする。信じていないようだ。彼はソファーに戻ることはせず、食器棚に背中をもたれさせながら、取り出したスナック菓子の包装を乱暴に開封する。チョコレートでコーティングされた甘そうなそれをひとつ摘み、無表情で口に放り込んだ。キッチンに立ってその様子を眺めていた京介は、ハッとなって冷蔵庫の扉に手をかけ、中を確認する。


 あぁ、やっぱり。京介の思った通り、冷蔵庫の中身は京介が出掛けに見たそれと寸分たがわぬ有様を呈している。つまり、蒼は朝起きてから食事をとっていないということだ。おそらくだが空腹に耐えかねて菓子に手を出したのだろう。彼らしいといえば彼らしい行動だ。京介は独りでに苦笑する。きっと、朝起きてすぐ、慌てて飛び出していったんだろう。服も着替えず、朝食もとらずに。それで、自分たちを助けてくれた。

 

 が、不意にあることを疑問に思った。そもそも、蒼はなぜあんなに都合よく自分たちを助けに来たのか。


 あのヒルのような怪物に襲われていた自分を、彼は間一髪のところで助け出した。だがそれはどうしてだ。蒼はおそらく、京介が家を出てから目を覚まし、朝食もとらずに家から飛び出した。ご丁寧に金属バットを片手に携えて、だ。明らかに都合がよすぎる。彼は外で何が起こっているか知らなかったはずだ。にもかかわらず、危険を予期していたかのように武器を持ってあの場に現れた。どう考えても不自然じゃないか?


「あぁ、そういえば2つ、覚えていることがあるぞ」

「へ…?」

 なにか大きなひらめきでもあったのか、軽快な口調で田中が切り出した。思考の海に身を沈めていた京介はその一言で我に返る。そうだ、今は大事な話をしているんだ。そもそも蒼を疑うなんてマネはしたくないしする必要もないはずだ。彼がもし何かを隠していたとしても、それは自分を脅かすものにはならないだろうから。


 開けっ放しになっていた冷蔵庫を閉め、田中の言葉を待った。彼も随分となじんだものだ。まだここに来てちょっとしかたってないのに。きっと、元々社交的な性格だったんだろう。


「わたしが覚えていたのは2つの言葉だ。まず1つは『うみなりさま』」


 その言葉を聞いた時、京介の背に悪寒が走った。嫌な予感がした、そう表現すればいいのだろうか。


 得体のしれない違和感のようなものが、杭となって京介の心臓を貫いたのだ。うみなりさま、その言葉に聞き覚えはない。なにを指す言葉なのか理解しかねる。だがわからないはずのそれから、何か不吉なものを覚え、ひとりでに肩を強ばらせる。

「うみなり? なにそれ」

 恐怖をごまかすように半笑いで尋ねる京介に対し、田中はなんでもないような顔をしながら、さぁ、と首を傾げた。

「意味まではわからない。音を覚えているだけだ」

 意味は知らない。田中の返事を聞いた時、なぜだかよくわからないが京介はひどく安堵した。うみなりさま、という単語の中に恐怖を感じていたのだ。意味を知らずに済んだことにほっと胸をなでおろす。だがすぐに思いなおす。

 まてまて、弱気になるな。俺のやりたいことは謎を解くことだ。知らずに済んでよかった、だなんて安心している場合じゃない。


 京介は腕を組んだ。『うみなりさま』のさまの部分はおそらく『様』にあたる、いわば敬称だ。つまり『うみなり』はなにかの名前に違いない。様がつけられている部分を鑑みるに、うみなりは大衆から尊敬を集めている人物、もしくは生き物だ。自分を襲ったあの怪物のような気味の悪いなにかである可能性も否定できないが、様をつけられるくらいの何かがあのような怪物であるとは考えにくい。もしそうであるなら、崇められるどころか疎まれるのが自然だろう。

 うみなりの語感から真っ先に思いつくのは海鳴りだ。台風とか津波の前兆、海から響いてくる轟音が海鳴り。ではうみなりは海に関係しているなにか。


 うーん、と唸る京介を尻目に、蒼はポケットから取り出したスマートフォンを片手で操作する。インターネットで検索でもするんだろうか。スナック菓子でべたついたのとは逆の手で器用に画面をタップしながら、蒼は怪訝そうな声を上げた。

「あれ、なんかスマホ使えないんですけど」

「マジ?」

 蒼に倣い、ポケットから取り出したスマートフォンの画面をタップする。いくらボタンを押しても、画面をタップしても、それはうんともすんとも反応を示さない。

 充電切れかもしれない。だが蒼と京介、2人のスマートフォンが同時に充電切れを起こすなんてとてもじゃないが考えにくい。京介はさておき、蒼は小まめにスマートフォンの充電をするタイプだ。外に出るときは常にモバイルバッテリーを持ち歩くぐらい。

 そんな彼が、このタイミングで都合よくスマートフォンを使えなくするのは不自然な気がする。


 蒼は不機嫌そうに使えなくなったレンガ同然の黒い板をポケットにしまうと、半分以下にまで量を減らしたスナック菓子の袋をテーブルに置いた。テーブルにひかれたこたつ布団の下からゴソゴソと何かを取り出す。出てきたのは今朝京介が見つけられなかったテレビのリモコンだ。そんなところにあったのか。


 蒼はリモコンの電源ボタンを何度か押すが、スマートフォンと同じようにテレビの画面は真っ暗なままだ。

「テレビも死んでますね。まぁそんなこったろうと思ってたけど」

「ピンポイントに死んでいるな」

 田中はなぜか口をもごもごとさせながらつぶやいた。不思議に思った京介がテレビから田中へと視線を移す。田中はソファーから片手を伸ばしながら、蒼が途中でテーブルに置いたスナック菓子の袋の中から甘そうなそれを取り出し、我が物顔で口とみられる場所に押し当て、そのプルプルとしたからだの中に取り込んでいた。

 要は蒼の菓子を食べていた。

ご飯食べられるんだ。

「お前、なに勝手に食ってやがる!」

 菓子を奪われていることに気が付いた蒼が食ってかかった。だがすでに菓子から興味が失せていたのか、まぁいいやとつぶやきながら小さくため息をついた。蒼はなかなか飽きっぽいタイプでもある。半分ほど口にしたところで、チョコレート特有の甘さに飽きてしまったのだろう。

田中さん、結構面白いな。まさか蒼ちゃんのお菓子食べちゃうなんて。もしかしてお茶目さんなんだろうか。


「2つ、覚えていることがあると言ったよな? もうひとつはなんだ」

 用済みとなったテレビのリモコンをテレビ台の端に置きながら、蒼はカーペットに腰を下ろす。いつもの無表情の中に探るような鋭さが覗いていた。

「2つ目の言葉は『アカガハラ』だ。これも音を覚えているだけだな」

 田中はしどろもどろになりながら菓子の袋を閉じ、気まずそうに視線をさまよわせながら袋を机の端に追いやった。

「アカガハラ?」

 京介は目を丸くした。てっきり先ほどの様な不気味な言葉が降ってくることを覚悟していたのだが、田中が発したその単語は京介にとって非常に馴染みのある響きを持っていた。

「アカガハラって赤ヶ原岬あかがはらみさきのこと?」

「岬? ということは『アカガハラ』は地名だったのか」

 赤伊市の東側に位置する赤ヶ原岬。京介や蒼の住むこの住宅地から徒歩10分ほどの距離にある場所だ。岬の名を冠していたとしても、観光地や灯台の役割を果たしているわけではなく、京介を含む赤伊市の住民にとっては僻地のイメージが根強い。

 その岬というのは人の手が入っていない山道を徒歩で抜けないとたどり着けない場所であるほか、実は私有地で他人が安易に入りこんでいい場所ではなかったのだ。京介は赤伊市出身だから、子どものころからそこそこ噂を聞き及んではいたが、もしかすると蒼は知らないかもしれない。彼は数年前に他県から引っ越してきたのだ。この手のご当地噂話にはなじみがないかもしれない。


 赤ヶ原岬には20年ほど前に大きな屋敷が建てられたという話がある。が、実際にそこに人が住んでいるということは聞いたことがなかった。

「なんかヤバイ廃墟がある、みたいな話は聞いたことあるよ」

「俺は初耳、ですね…」

「廃墟か、なんだか怪しいな」

 京介は首をかしげる。

「明らかになにか関係してそうな田中さんが覚えてた言語しかヒントがない今、そこを掘り下げていくしかないか」


 うみなりさま、のような不吉な言葉が飛び出してこなかったことに、京介は内心ほっとしていた。そんなことはつゆ知らず、田中は意気揚々とソファーから飛び降りる。

「いまから出発するのか?」

 ワクワクしているという様子ではないが、少なくとも彼は京介のように、未知の事柄について怯えている風ではない。頼もしい限りだ。彼を見ていると自分がひどく怖がりに思えてしまっていたたまれない。考えすぎてビビってるのかもしれない、と自嘲する。

 誇るように見せつけるのもなんだが、自分はかなり気にするタイプの人間だ。起きてもいないことを気にして、行動をためらうことが多い。

 いい加減シャキっとしなきゃ。それこそなに起こるかわからないのだから、ウジウジ考えるよりも瞬発力があった方がいい。


京介はヘラリと笑う。

「いや、出発前にメシを食おうな。蒼ちゃんは朝メシ食ってないでしょ」

「あぁ、バレました?」

「そりゃ目の前で菓子食われたらね」

 腹が減っては戦はできぬ、というし、このままの状態の蒼を連れ回すのは気が引ける。

「田中さんも食べるよね?」

「あぁ、モチのロンだ」

田中の軽快な返事に、蒼が舌打ちをする。

「昭和かよ…」

 そういえば、蒼は田中の姿を見て驚かなかったな。キモいと言ってはいたが、京介のようにコケることはしなかった。冷蔵庫に手をかけながらぼんやりと考える。


 今朝の残りを温めてもいいが、食べ終わってすぐ外出するのなら軽い食事の方がいいだろう。こないだ蒼が買って帰った食パンがまだたくさんあったし、サンドイッチでも作ろうか。具材はどうしよう。無難にハムやレタス、目玉焼きで十分か。

 来客である田中、いや、行く当てがなさそうな彼を来客と表現するのは誤りかもしれない。どちらかと言えば新入りのような表現の方が正しいのかもしれないが。

 外からはるばるやってきた彼に軽食を振舞うというのはいささか気の引けることだ。状況が許してくれるのであれば、もっとしっかりしたものを出してやりたかった。


 すべてが解決したらお好み焼きでも作ってやろう。京介の一番の得意料理だ。蒼も喜んでくれるはず。

 キャベツをいっぱいいれて、もったいないと思うくらいソースをぶっかけてやるんだ。ビールを出してもいいかもしれない。蒼はあったらあるだけ飲んでしまうから、買い出しの時にその辺は気をつけないといけないが。

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